その老人、元天才忍者

遠くから聞こえた指笛に休憩していた澄姫は顔を上げて、腰を下ろしていた手頃な岩から立ち上がる。

「合図だわ」

短く呟いた彼女は荷車に手を掛け、確認するように三人衆を振り返った。

「貴方達ドクタケ忍者は学園に…特に1年は組のあの子達に顔を覚えられている可能性が高いので、何があっても、絶対に、学園に入らないでくださいね」

にっこりと周囲までが華やぐ笑顔で釘を刺され、三人衆は心配そうに眉を顰める。しかし彼女の言う事も一理あるので、3人は大人しく重そうに荷車を引いていく彼女の後姿に白い手拭いを振りながら見送った。



ガラガラと重たい荷車を引いて歩くのは見慣れた学園への山道。時々小石に車輪を取られながらも何とか辿り着いた大きな正門の前で、澄姫は静かに息を吸うと、ごめんください、と大きな声を張り上げた。
数呼吸置いて、扉の反対側からはぁいと間延びした声が聞こえ、通用門がかたりと開く。そこから顔を出した事務員に、彼女はにっこりと大袈裟に笑った。

「こんにちは、お忙しいところ申し訳ありません」

「何かご用ですかぁ?」

「旅の行商なんですけれど、今ここの近くの町で露店を出してるんですよ。そしたら通りかかったお兄さんがここの責任者が珍しいもの好きと教えてくださって、お品物をお持ちしてみたんです」

「お兄さん?品物?」

「ええ、何でもお父上がここの関係者とかで…尾張で仕入れた南蛮の菓子で、ボーロというものなんですけどね、ここら界隈じゃなかなか手に入りませんでしょう?」

そこまで話を聞いた事務員…小松田秀作はぽんと掌を打ち、きっと利吉さんですね、と笑うと彼女が引いている荷車に視線を動かし、わぁ、とその顔を綻ばせた。

「ね、重たい荷物引いて山道あがってきたんです。ちょっとだけでもお目通し願えませんか?」

「あ、入門表にサインいただければ大丈夫ですよぉ」

あっけなく立ち入りを許可した小松田さんに内心苦笑を零しながらも、ある意味徹底されたマニュアル通りの行動に助かったと口角を上げて案内されるままに開かれた正門をくぐった澄姫は、彼に連れられて学園長の庵に足を踏み入れた。
顔に笑顔を貼り付けたまま、彼女は正門でやりとりした台詞をもう一度繰り返す。そしてぱかりと箱の蓋を開けて差し出せば学園長は嬉しそうな声を上げて小松田さんにお茶を持ってくるように言いつけた。
そこで澄姫の背中を悪寒が駆け抜ける。
パタパタと庵を出て行った小松田さんの遠ざかる足音を聞きながら、焦燥が浮かぶ瞳を見られないように俯いた。
そんな彼女に、咳払いと共に掛けられた声。

「ブッフォ………その様子じゃと気付いたのぉ」

「な、なんのことでしょう?」

「フッ…フホホ…相変わらず詰めが甘いわい。のお、澄姫?」

暖かいその声に、彼女の肩がびくりと跳ねた。がばりと顔を上げた視線の先には、悪戯めいた笑みを浮かべる老人と犬。
2人(?)の目には確かに光が浮かんでおり、自我を保っているのだと確信した澄姫は口元を押さえてよかったと小さな声で呟いた。

「ホッホ、見くびるでないわ。年老いたとはいえ元天才忍者大川平次渦正、小娘如きの幻術にはまだまだ負けんわい」

「へむへむっ」

自信満々に笑う学園長と、その隣に正座する忍犬ヘムヘムが揃って畳を滑らせたのは小さな御香とうちわ。

「原始的…」

「やかましいわ!!」

つい口を滑って飛び出した言葉にかっと目を見開いた学園長だが、その怒鳴り声さえなんだか懐かしく思えて澄姫は目尻を下げる。
そんな彼女を暫く睨んでいた学園長は、ふと同じように目尻を下げて、しわがれた手でそっと彼女の手に触れた。

「…また一回り成長したようじゃな」

短い言葉に含まれた、優しい気遣い。暖かく胸を締めつけるその褒め言葉に浮かびそうになった涙を堪えた澄姫は静かに頷いて、長い眉毛に隠された瞳を見据えた。

「はい。でも、まだまだ未熟です。学ばねばならないことはまだまだあります。だからこそ、私はここへ戻ってきたのです…!!」

「そうか。…よろしい、ならば思うようにやりなさい」

そう言うと学園長は澄姫の手を離し、彼女の顔の前でぐっと親指を突きたてて見せた。その隣ではへむへむが任せろといわんばかりにどんと胸を叩く。
思わぬ味方の登場に澄姫が目を細めた時、やっと庵の扉を叩く音が聞こえた。

「お待たせしましたぁ〜」

マイペースな声に、3人は顔を見合わせて笑う。お茶を持ってきた小松田さんはそれを見て、なんだか仲良しになってますねぇと微笑んだ。
人数分のお茶を置いて庵を出ようとした彼に澄姫が声を掛けようとした瞬間、学園長がこれこれと小松田さんを呼び止める。

「小松田くんもどうかね?」

そう言って差し出されたのは、澄姫が持ち込んだボーロ。おいしそうな見た目のそれにコクリと喉を鳴らした小松田さんはいいんですか?と再度確認を取るように学園長を窺い、満面の笑みで頷いた老人に促されるまま嬉しそうにボーロを頬張る。
その瞬間、ボーロからした音とは思えないじゃり、ともがり、ともいえない音が庵に響き渡り、白目を剥いた小松田さんがバターンとその場に倒れて痙攣し出した。
衝撃的な光景に目を見開いた学園長はびくんびくんと痙攣して泡まで吹き出した小松田さんと笑顔の澄姫を交互に見てから、床にころりと転がるボーロを穴が開くほど見つめた。

「な、なんじゃ…!?澄姫、これは一体…!?」

そしてボーロから彼女に視線を戻した学園長が恐る恐る問い掛ければ、澄姫はしれっとした顔でこう答えた。

「気付け薬代わりのボーロです」

「き、気付け薬!?」

「ええ、集めた情報によるとそれで自我を保っている者がいるとわかりましたので。でも、ちょっと入れすぎちゃったかしら?…色々と」

ぽつりと付け足された色々という一言に、学園長とヘムヘムは一体何を入れたのか問い質すのをやめた。


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