その女、望む

「まず、始めに。この世界には平行世界というものが存在しています。平行世界というのは、平たく言えばここと同じ、でも違う世界です。難しいかもしれませんが、どこかで分岐して、それに平行して存在する別の次元…」

「平行して存在する、別の次元…?」

「例えばそうね、利吉さんの目の前におにぎりがあったとして、それをどうするかで分岐した世界ですね。おにぎりを食べた利吉さんは1、おにぎりを食べなかった利吉さんは2、おにぎりを落としてしまった利吉さんは3、おにぎりを誰かにあげた利吉さんは4というように、その人が遭遇した選択肢の数だけ世界があるんです。それを踏まえて聞いてくださいね」

そう言うと、月妃は一旦言葉を切り、そして、ゆっくりと話し始めた。

−−−彼女は、彼女のいう平行世界のひとつで生まれた。
彼女が生まれた二年後に生まれた弟の名は滝夜叉丸。共に両親に愛され育まれた彼女は十になった時に、忍術学園に入学した。
後を追うように弟も入学し、順風満帆な学園生活を送っていた。
彼女が6年生になったある日、突然空から天女と名乗る女が降ってきた。
未来の時代から来たというその少女は大変美しく、清らかで、戦う術を持たない女だった。
戦乱の時代それが命取りになることはわかりきっていたので、学園はその少女を保護し、せめて身を守る術を教えることを決めた。
しかし少女は忍たまたちに並々ならぬ執着を見せ、自衛どころか自炊も覚えることをせず、まるで一国の姫のように振舞い始めたのだ。
最初は静観していたくのたまたちも、いつか忍たまの鬱憤が溜まり追い出されるだろうとあたりをつけ見て見ぬふりを貫いた。
だがいつまで経っても忍たまたちは少女を追い出すことはなく、それどころか委員会や授業までもを放り出して少女に付き従った。
このままではいけないと説得に当たった先生たちの話も聞かず、彼らは遂に堕落し、とうとう学園長先生からくのたまたち…その中でも最上級生だった月妃に天女討伐の命令が下る。
勿論堕落した忍たまたちを欺くことなど容易く、月妃はあっという間に天女を討った。
亡骸を埋め、報告を済ませ、忍たまたちには天女は天に帰ってしまったと告げた。
それで、また平和な日々が戻ってくると、彼女は信じていた。

それから暫くして、ある天気のいい日、弟の同室である天才トラパー綾部喜八郎がいつも通り穴を掘っていると、地面から一部白骨化した死体が出てきた。
彼は最初こそなんとも思わなかったものの、その屍が纏っていた小袖を見て目の色を変えて学園に戻ってきた。
その屍が天女であると、気付いてしまったのだ−−−。

「…それからはもう酷いもので、学園は滅茶苦茶。怒り狂った生徒たちを先生ですら止められずに、くのたまの子達は皆殺されてしまったわ。勿論忍たまだって何人も命を落としていたけれど…それで、私は何とか逃げ延びて、天女の持っていたこれらの道具を隠しておいた小屋に身を潜めたの。そこにね、悪魔と名乗る人が現れたのよ。真っ白な服を着て、まるで仏様みたいだったわ」

−−−彼は言った。自分の所為でこうなってしまったのだと。
天女をこの世界にやったのは自分で、その時に戯れで持たせた補正と呼ばれる道具が強すぎて、今回の悲劇を招いてしまったのだと。
天女から取り上げた道具を見て、月妃は涙が止まらなかった。
こんな小さなもので、大切な世界は壊れてしまった。
あんな女の所為で、自分は今にも友人や後輩たちに殺されそうになっている。
色々な感情が綯い交ぜになった月妃の心は乱れ、彼女は男の白い服を掴んで怒鳴った。
返せ、返せ。
私の弟を、後輩を、友人を、先生を、学園を、未来を、好きな人を返せ。
怒鳴っても泣いてもどうにもならないことなどわかってはいたが、叫ばずにはいられなかった。
そんな彼女に、悪魔は囁いたのだ。

『じゃあ、賭けをしよう。』

ここと一番似た世界に、君を誘ってあげる。一月で君がその世界に認められたらそのまま新しい人生を歩むといい。でも、もし君が世界に認められなかったら、君の命を貰うからね。
そう言って、男は天女が使っていた桃色の携帯と、桃色のコンパクト、そして新しく小さな白い板を渡して、優しく月妃の背を押した。

『一番、似た世界?』

『世界にはね、平行世界というものが存在しているんだよ。どこかで分岐して、それに平行して存在する別の次元がたくさんね」

『平行して存在する、別の次元…?』

『例えば君の目の前におにぎりがあったとして、それをどうするかで分岐した世界さ。おにぎりを食べた君は1、おにぎりを食べなかった君は2、おにぎりを落としてしまった君は3、おにぎりを誰かにあげた君は4というように、その人が遭遇した選択肢の数だけ世界があるんだ。ねえもし、もしも、君が天女討伐を失敗していたらどうなっていたと思う?補正を解いてから天女を討っていたら、どうなっていたと思う…?』

耳元で囁く男の声が、救いの声に聞こえた−−−。

「…そして、私はこの世界に落とされた。本当に驚いたけれど、でも、凄く嬉しかった。あの日々が戻ってきたみたいで、凄く嬉しかったの。だからお願い、邪魔をしないで!!」

眉間に皺を寄せて苦しそうに叫んだ月妃に、しかし利吉はわなわなと唇を震わせて彼女を鋭く睨み付けた。

「そ、その話が仮に本当だったとしても、冗談じゃない!!自分勝手にも程があるだろう!!君がしようとしていることは、かつてその少女が君にしたことじゃないか!!」

「じゃあどうしたらよかったのよ!!」

とうとう涙を零し始めた月妃に、利吉はぐっと奥歯を噛み締める。

「大人しく死ねばよかったの!?自分の軽率な行動を悔やんで、来世では幸せになれますようにって祈りながら友達に殺されればよかったって言うの!?」

「そ…それは…」

「私、そんな聖人君子じゃない。他人の幸せを願うだけなんていや、私だって幸せになりたい…そのためだったら、藁にだって悪魔とやらにだって縋ってやるわ」

苦渋に満ちた呟きを残して、月妃は屋根を蹴る。しかしその細い手首を掴まれ彼女の体はがっしりとした腕に拘束された。
必死に抵抗する月妃を落とさないよう肩に担ぎ上げた利吉は詰めていた息を吐き出し、そっと澄姫の名を呟いてから甲高く指笛を吹くと、ひょいと屋根を飛び降り学園の裏裏山方面へ駆けて行った。


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