その女、動き出す

翌朝早く、ドクタケ忍術教室ではせっせと何かを梱包する澄姫と黒戸カゲの姿があった。
作業の手を止めないまま、黒戸カゲはちらりと美しい横顔を見てころころと笑う。

「平さん、貴女すごいのねえ。座学も実技も優秀で、お料理も出来て、更にそんなに綺麗なんだから引く手数多じゃなあい?」

将来安泰ね、と付け加えたカゲは目の前に置かれたものをささっと箱につめて赤いリボンをかける。現役主婦だけあってその手つきは鮮やかだ。

「いやだ、黒戸先生ったら。…どれだけたくさんの男に言い寄られたって、本当に好きな人に振り向いてもらえなければ、何の意味もありませんよ」

背を向けたまま、視線は箱に落とし、悲しそうに呟いた澄姫。
気丈に振舞っていても心の傷はまだじくじくと痛み、時折勝手に浮かんでくる男の姿に唇を噛んだ彼女はしかし、梱包を終えた箱から手を離した瞬間に背中に走った衝撃に目を白黒させた。

「やっだぁ、なに諦めちゃってるのよ!!」

「いたっ!!」

「男なんて可愛いものよ?あ、そうだ、ひとつアドバイスしてあげる!!」

「あ、あどばいす?」

ばしりと強かに彼女の背中を叩いたカゲはにんまりと目を細め、ぼそぼそとなにやらを耳打ちした。それを聞いて澄姫の瞳が見開かれる。

「えっ、ええっ!?」

「ね、可愛いものでしょう?だからほら、そんな泣きそうな顔はもうやめて、笑顔笑顔!!女は愛嬌よ!!」

それだけ言うとカゲは立ち上がり、頑張りなさいよと手を振って教室を出て行った。1人残された澄姫は火照ってしまった頬を押さえ、意を決したようにぱちんとひとつ叩くと、最後に残してあったそれを箱に入れ、一本だけ色の違う緑のリボンをかけると、恥ずかしそうに顔を綻ばせた。

それらを教室の外に止めてあった荷車にのせると、ふんふんと鼻を鳴らしていた栗と桃を繋いでいた紐を外す。

「さあ、お前たちにもしっかり働いてもらうからね」

交互に頭を撫でてやり、ピスピスと嬉しそうに鳴いた二匹の首元を強めに叩けば、揃って駆け出す黒と赤。
それを見送り、これから始まる大騒動に口角を吊り上げた彼女は、自身の準備のために宛がわれた部屋へと歩き出す。



まだ見慣れない部屋で、渋柿色の装束の上から用意してもらった綺麗な藤色の小袖を纏い、真っ赤な帯を締める。頭巾を被り、長い髪を纏め、普段より少し厚めの化粧を施して、血のように真っ赤な紅を唇に注し、準備は万端。
タイミングよく外から掛かった声に短く返事をして、荷物を纏めた澄姫は静かに部屋の扉を開く。

「うふふ、どうかしら?」

同時に、冗談めかしたセクシーポーズ。
しかし部屋の外で待っていたドクタケ忍者数人はびしりと固まり、その反応の薄さに彼女はちぇっと唇を突き出した。
ドクタケ忍者って意外とノリが悪いのねとつまらなそうに呟いた澄姫はしかし、直後彼らに目の前に跪かれて大層驚くことになるのだが。






ガラガラと先程梱包した箱を山のように積んだ荷車が山道を進む。荷台に腰掛けた澄姫は過ぎ行く景色を眺めながら、もう何度目かわからない言葉を目の前の雲鬼に投げかけた。

「…ねえ、あの、交代しますから」

「いいえ!!か弱き女性にこんな重たい荷車を引かせるわけにいきませんから!!」

しかし何度やっても返ってくる同じ言葉に、彼女は申し訳なさそうに眉を下げる。もう一度同じ申し出をしようとした彼女だが、背後から聞こえた小さな声に頬を引き攣らせる。

「いーなー雲鬼のやつ、澄姫ちゃん直属の下僕みたいで」

「山頂に着いたら交代してもらおうぜ霧鬼。俺も下僕になりたい」

ガラガラと車輪の音に隠れ切れなかった彼らの本音に、彼女のこめかみに痛みが走った。
そんなこんなで先頭のローテーションを繰り返しながら進んでいると、もう少しで学園が見えてくるというところで前方に人影を発見した澄姫はひょいと荷台から飛び降り、その影に駆け寄った。

「利吉さん、お待たせしました」

「やあ、澄姫ちゃん。随分綺麗に化けたねえ、驚いたよ」

小走りで駆け寄ってきた彼女の艶やかな姿を見て微かに頬を染めた利吉が賛辞と共に華やかに色付いた頬に手を触れようとしたその瞬間、ドクタケ忍者下僕三人衆が物凄い目で彼を睨み付け、利吉は思わず手を引っ込めた。
しかしそんなことはお構いなしに澄姫は荷車を指差し、こちらは万全ですと告げて彼の背後にそびえる学園を睨む。

「…こちらも大丈夫、いつでもいけるよ」

苦笑気味に頷いた利吉は袖から小さな紙包みを取り出すと、それを振って見せた。

「…危険な役割を押し付けてしまって申し訳ありません。どうかお気を付けて」

「ああ」

優しい笑みで頷いた利吉は、紙包みの中から小さな黒い丸薬のようなものを一粒取り出すとそれを口に突っ込み、その場から一瞬で立ち去った。
直後太陽の位置を確認した澄姫は渇いた喉に水を流し込み、汗を拭うドクタケ忍者下僕三人衆に微笑みかける。

「もう少しだから、頑張ってくださいね」

その一言ですっかり疲労回復した三人衆は、暫く緩んだ顔が戻らなかったそうだ。


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