その女、やっと笑う

その日の夜、ドクたまたちに纏わりつかれながらドクタケ食堂で夕食を取った澄姫は、寝室にと宛がわれた山ぶ鬼の部屋で深赤色の装束を見つめていた。
ぎゅっと辛そうに眉を顰めながらも、今持っているものを確認する。
突然飛び出してきてしまったものだから必要最低限のものしか手元にない今、それらを把握しておかないといざと言うときに危険だと何とか自分に言い聞かせ、深赤を探る。

(苦無が2本、お金と、手拭い、縄が2本と、棒手裏剣が4本…)

確認のため荷物を広げていた澄姫はそこではっと息を呑んだ。
慌てた様子で髪を触り、深赤を広げ、ばさばさと振り回す。

「ない…ない…ないっ!!」

しんみりしていたはずの澄姫が突如慌て出し、その鬼気迫った様子に本を読んでいた山ぶ鬼がびっくりして振り向いた。

「ど、どうしたの?」

「ないっ…どこで、いつから!?落としたのかしら…どうしよう!!」

「澄姫先輩、何がないの?何を探してるの?」

「簪、簪見なかった!?これくらいの翡翠色の玉がついた簪!!」

豹変した彼女に驚いて近寄ってきた山ぶ鬼の小さな肩を掴み、がくがくと揺すりながら必死の形相で大切な宝物を探す。

「はわわわわ…か、かんざし?」

「かんざし!!」

「た、平先輩が来た時はつけてなかったですよね?」

揺すられながらも何とか答えた山ぶ鬼の言葉に、澄姫はぴたりと動きを止めて嫌な記憶を探る。
まだ冷静だった学園までの道すがらに落としたのであれば優秀な彼女が気づかない訳がないし、まして同行していたのは彼女の恋仲である長次と野生児と呼ばれる小平太…この2人が簪が落ちる音に気付かないというのもあり得ない。
という事は、あの記憶が曖昧な間から、ドクタケ忍者隊に保護されるまでの間にどこかで落とした可能性が極めて高い。
雨音に掻き消されたか、それとも茫然自失だったから気付かなかったんだと青褪めた澄姫は急ぎ探しにいこうと部屋の扉を開け、立ち竦んだ。

探しに行ったところで、それをどうするつもり?

頭の中の冷静な自分が、彼女に冷たく問い掛ける。
瞬時に血の気が引いて冷たくなった指先が震え、ぐっと唇を噛んだ澄姫は開け放った扉を静かに閉めた。
その様子をはらはらと見守っていた山ぶ鬼は、顔面蒼白で俯く泣きそうな彼女を見て、意を決したように重たく口を開いた。

「…忍術学園で、何があったんですか?」

夜の静寂に落ちた言葉はずしりと彼女の心を突き刺す。
沈黙が続いても辛抱強く澄姫の言葉を待ち続けていると、山ぶ鬼の耳に消え入りそうな声がやっと届いた。

「………わからないの」

その呟きと同時に、扉に手を付いたままずるずると床に膝をついた澄姫。慌てて駆け寄った山ぶ鬼が顔を覗き込むと、能面のようだった彼女はボロボロと涙を零しながら唇を噛み締めていた。

「わからないって、どうして…」

「本当に、わからないのよ。一月くらい前に怪しい男が学園に現れて、追い出したんだけれど、先日その男の亡骸を見つけて、調査に向かって、学園に戻ったらくのいち教室の子達が実家に帰るって学園をぞろぞろと出て行って、小松田さんが変で、凄い頭痛がして、そしたら、そしたら…長次がっ」

途切れ途切れに語った彼女はそこまで話すとわっと火がついたように泣き出した。夕方とはうってかわって親と逸れた子供のように泣きじゃくる澄姫の姿に、山ぶ鬼もおろおろと狼狽えるしかない。
とりあえず背中を摩りながら必死に黒戸カゲから教えられていた“現在調査中”の言葉だけを伝え続け、可愛らしい花柄の手拭いで止まらない涙をひたすらに拭う。その間ずっと泣き声に混じっていた名前が気になり、山ぶ鬼は一生懸命考えて、笑顔を浮かべて澄姫の名を呼んだ。

「大丈夫よ澄姫先輩、稗田八方斎校長先生が調べてくれているんでしょ?ああ見えてもドクタケ忍者隊ってちゃんと仕事してるし、きっとすぐわかるわ」

もしサボってたら、私がまた箒で追い掛け回してやる!!と意気込んで力こぶしを作った山ぶ鬼に、澄姫はぐすんぐすんと鼻を啜りながらもゆっくりと顔を上げた。

「それより、楽しいこと考えましょ?泣いてたらいいことだって逃げて行っちゃうもの。ねえ、澄姫先輩のこともっと知りたいなあ。先輩は6年生なんだよね、一番仲良しは誰なの?」

「…立花、仙蔵…」

「ああ、知ってるわ。しんべヱが大好きって言ってた人ね。困ったときはいつも助けてくれる素敵な先輩だって聞いてるけど、ちょっとドジって本当?」

無邪気な笑みで首を傾げた山ぶ鬼の言葉に、澄姫はブッと噴き出した。それが嬉しくて、山ぶ鬼はどんどん饒舌になっていく。

「他にも聞いているの。えっとね、乱太郎は保健委員会だったっけ?凄く不運だって言ってたけど、一日一回は必ず落とし穴に嵌るって褒めてたわ」

「それって…、褒めているの?」

「だって凄いねって言ってたもの。あと金吾の先輩も知ってる。むちゃくちゃで話聞いてくれなくて毎日大変って金吾が笑ってたっていぶ鬼から聞いたの」

「小平太ね…ええ、確かに会話は、出来ないわね…」

身振り手振りを交えて楽しそうに話す山ぶ鬼に、徐々に涙が引っ込んだ澄姫は懐かしむように瞳を細めて、時々しゃくりあげながらも相槌を打つ。
そんな彼女を見て、山ぶ鬼は少しだけ俯いて、ぽそりと告げた。

「……本当はね、澄姫先輩のお話も、ちょっとだけ聞いたことがあるの。三治郎と虎若と、ユキちゃんたちから」

「私の、ことも?」

「うん…ユキちゃんたちはね、すっごく綺麗な先輩がいるんだって言ってた。私凄く羨ましかったの。ドクタケには女の子っていないから…三治郎と虎若はね、委員会の委員長が優しくて美人で、ある人に見せる笑顔が素敵だって言ってた」

ある人、と聞いて、澄姫は口元を手で覆う。また溢れてきてしまった涙を拭いもせず、静かに山ぶ鬼の言葉に何度も何度も頷いて、もう何度呼んだのかもわからない名前を愛おしそうに紡ぎ出す。

「…長次…中在家、長次…」

「…きり丸の、委員会の先輩ですよね?」

「そ…よ。図書委員会のね、委員長なの…」

「一回だけ、お菓子をもらったことがあります」

「…長次ね、細かい作業、得意なの…おいしかった、でしょう?」

「とぉっても。でもなんて言ってるのか全然わからなくって、きり丸に通訳お願いしちゃった」

「…学園一無口な男って、言われて、いるもの」

「あとちょっと怖かったです。お顔の傷とか、ほら、背も大きいですもんね?」

「…うふふ。彼を知らない人は、そう言うわ。でも長次はね、凄く優しくて、繊細で、素敵な人なのよ」

もうすっかり脳裏に焼きついて、一時たりとも離れはしない優しい眼差しと低い声を思い浮かべた澄姫は大粒の涙を零しながらふわりと微笑んだ。それを見た山ぶ鬼は目を見開き、次の瞬間泣き笑いのような顔でにっと歯を見せた。

「えへへ、作戦大成功…っ!!やっと澄姫先輩、笑って、くれたぁぁぁ〜」

そのままわんわんと大泣きし始めた山ぶ鬼に、今度は澄姫が面食らう。立場逆転、驚きのあまり涙が完全に引っ込んだ彼女があわあわと手拭いを探していると、その細い腕を掴んだ山ぶ鬼が顔から出るもの全部出しながら必死に半日分の文句を訴え始める。

「うあああ〜、よがったよぅ〜!!ずっと能面みたいでごわがったああ!!話しかけてもそっけないし、折角先輩、でぎだのにいい!!」

「ご、ごめんなさい…!!」

「いいの〜!!先輩、づらいおもい、しだんでしょ〜!!だけど私は、わがっであげられないから、こんなごとじが、できないがらあああ!!」

涙交じりの雄叫びのような文句はとても優しく暖かく、澄姫の心を震わせる。5つも年下の女の子が会ったばかりの、それも表向きには敵対している人間に対してここまで親身になってくれることが彼女にはとても嬉しく、立派に映った。

「山ぶ鬼ちゃん、ありがとう…!!」

ぎゅうと泣き喚く少女を抱き締め、澄姫は涙を拭う。
愛する男に刃を向けられたけれど、学園では訳のわからないことが起こっているけれど、立ち止まって泣いているだけでは何も変わらない。
きっとこの状況を打破できるのは、自分しかいない。
確信めいた予感を胸に、澄姫の瞳がようやく輝きを取り戻した。


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