その女、纏わりつかれる

冷たい雨に打たれて冷え切った身体はすっかり温まり、澄姫はゆっくりと手拭いで美しすぎる曲線を描く身体を拭い、恐らく山ぶ鬼が準備してくれたであろう渋柿色の装束に袖を通す。

「…あら、随分着心地が良いこと」

するりと滑らかに肌を滑ったそれにほんのり驚きながらきゅっと帯を締め、ぽつぽつと水滴が落ちる長い髪を拭いていると、脱衣所の扉が遠慮がちに叩かれた。

「開けてもらって結構よ」

大した間を空けず返せば、からりと静かに脱衣所の扉が開き、ぴょこん、と赤いリボンが揺れる。

「お、お迎えにあがりました。装束どうですか?大きすぎませんか?」

気遣わしげな声が落ちるたびにぴょこぴょこと揺れる赤いリボン。それがなんだか可愛くて、澄姫は手拭いを頭に乗せたまま片手を離し、自分より低い位置にある頭をぽんぽんと撫でてやった。

「丁度良いとは言えないけれど、十分許容範囲よ。どうもありがとう、山ぶ鬼ちゃん」

やんわりと目を細めて、微かに口角を上げる。到底笑顔とはいえないけれど、今の彼女にとっての精一杯の微笑みでそう言ってやれば、山ぶ鬼は一瞬ぽかんとした後撫でられた頭にゆっくりと手を乗せて、嬉しそうに頬を染めてえへへと笑った。

「…平、先輩に、褒められちゃった…」

赤いサングラス越しでもわかるほど嬉しそうな瞳を見て、澄姫の瞳が揺れる。
弟が同じ学園にいるから滅多に呼ばれないその呼び方が新鮮で可愛らしくて、どこか悲しい。
新しい手拭いを用意したからしっかり髪を乾かそうと山ぶ鬼に促され、脱衣所を出て廊下を歩く彼女は、結い上げていない所為で頬を擽る髪を耳にかけながら、前を歩いていく山ぶ鬼の赤いリボンをぼんやりと眺めていた。
途中すれ違ったドクタケ忍者が揃いも揃ってあんぐり口を開けて彼女を見つめていたが、それらを綺麗に無視して辿り着いたのはドクたま教室。
澄姫を見るなり駆け寄ってきた栗と桃の頭を撫でてやりながら腰を下ろし、新しく渡された手拭いで丁寧に髪を拭いていた彼女は、サッと目の前に差し出された鏡にきょとりと目を見開いた。視線の先には、赤い頬のしぶ鬼。

「あの…髪、結うなら必要かなって…」

もじもじと恥ずかしそうに俯きながら鏡を差し出した少年は彼女が受け取ると同時にぴゃっと風のように教室を飛び出し、しばらくすると遊び始めたのだろう、楽しげな笑い声が彼女の耳を擽った。
教室の出入り口と手に持った鏡を交互に見比べていた澄姫だが、櫛と救急箱を持ってやってきた山ぶ鬼に気付くとねぇ、と声を掛けた。

「鏡、貸していただいたんだけれど…」

「え?誰にですか?」

「えっと…前髪を前に出してる子。ちょっと吊り目がちの…」

危うく口から零れかけた“留三郎に似た感じの子”という言葉を飲み込んで澄姫が首を傾げると、山ぶ鬼は彼女の前に腰を下ろし救急箱から消毒液を取り出しながらくすくすと笑った。

「きっとしぶ鬼だわ、ドジの癖にカッコつけたがりなの」

消毒液に小さな綿を浸し、一言断ってから澄姫の顔の傷にちょいちょいと押し付けていく。のっそりと桃が起き上がった時びくりと手が震えたが、じいっと見つめるだけの赤毛にホッと息を吐いた山ぶ鬼は気を取り直し、小さく切られた清潔な布を当ててテープで止めながら呆れたように笑った。

「平先輩すごく美人だから、いいとこ見せて気を引きたかったんだと思います」

慣れた手つきで手当てを終わらせて救急箱を閉じた山ぶ鬼は櫛を彼女に差し出して、ほら、と教室の窓を指差す。
そこには赤いサングラスがみっつ。
見つかったことに驚いたのか飛び上がってあっという間に隠れてしまった三つのサングラスに、澄姫はそっと目を閉じる。
隠れる前に自己紹介くらいしなさいよー!!と両手を突き上げて怒鳴った山ぶ鬼の声を聞きながらゆっくり目を開いた澄姫は、こっちいらっしゃい、と窓に呼びかけた。
何やらごそごそと相談する声が聞こえた後、開いた扉から教室に入ってきた3人を手招きして呼び、居心地悪そうにそわそわしている彼らを目の前に座らせると、ぺこりと頭を下げた。

「忍術学園から転入してまいりました、平澄姫です。向こうでは6年生だったけれど、こちらではどうなのかしらね?」

頭を下げた時に乾きかけの髪がさらりと肩を伝い落ち、それをそっと耳にかけた彼女の仕草に3人は揃って顔を真っ赤に染める。まるで茹蛸のようになって硬直している彼らを見た山ぶ鬼が呆れたように息を吐いて肘でつついて自己紹介!!と囁いてやると、つつかれたふぶ鬼が飛び上がった。

「ふっ、ふっ、ふぶ鬼です!!」

「いっ、いぶ鬼です!!内緒ですけど、金吾とはよく遊んでます!!」

「しししぶ鬼です!!」

緊張しているのかどもりまくったふぶ鬼の自己紹介に続きいぶ鬼としぶ鬼も真っ赤になりながら何とか名前を名乗ると、あきれ果てた顔をしていた山ぶ鬼が礼儀正しく頭を下げた。

「私は山ぶ鬼です。よろしくお願いします、平先輩!!」

そう言って顔を上げてはにかむ山ぶ鬼に、澄姫の瞳が優しく細められる。

「そんな緊張しないで。それと名前でいいわ。弟がいるから苗字で呼ばれ慣れていないの」

そう言った澄姫は相変わらず無表情に近いが、纏う空気が幾分か和らいだことを感じ取ったドクたまたちは顔を見合わせて嬉しそうに笑い、はいはいと元気よく手を上げて質問攻めを開始した。

「あのっ、あのっ、弟さんも忍術学園に?」

「ええ。4年生の滝夜叉丸って知ってる?あの子が私の弟よ」

「わっかの人だ!!ぼく見たことある!!言われてみれば澄姫先輩とよく似てるや!!」

「澄姫先輩澄姫先輩!!実技は得意ですか!?武器は何を使われるんですか!?」

「実技も座学も当然得意よ。武器は友人に作ってもらった一点物と、この子達」

「へぇー!!あ、ひょっとして三治郎がたまに話してくれる生物委員会の委員長って、澄姫先輩!?」

「ええ、そうよ」

「ねえねえ澄姫先輩、」

「澄姫先輩、澄姫先輩、」

ドクたまたちは初めて出来た“先輩”に大喜びで、その日は空が茜に染まっても彼女にべったりくっついて離れない。
いつの間にか雨は上がり、雲がどいた夜空には星が瞬いていた。


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