その女、保護される

「お取り込み中申し訳ありませんが、我々もう行ってもいいですか?」

手を上げてそう言ったのはすっかり蚊帳の外になっていたドクタケ忍者の風鬼。澄姫に掛かりきりになっていたとはいえこいつらをみすみす逃がしても良いものかと一瞬だけ考えてしまった利吉がとりあえずなにか言葉を発しようと口を開いた瞬間、彼の腕からするりと逃げ出した澄姫がもうひとりの黙っていたドクタケ忍者、雲鬼の胸に飛び込んだ。
突然のことにあっけにとられてしまった雲鬼だが、引き剥がそうと澄姫の肩を掴んだところで、はらはらと涙を零す彼女に縋るような瞳を向けられ、再度震える肩を引き寄せた。

「どうしよう風鬼、俺今女神を抱き締めてる」

感極まったようにぽつりと呟いた雲鬼の言葉に、利吉と風鬼が揃ってすっ転んだ。

「何してるんだ澄姫ちゃん!!そいつらはドクタケ忍者なんだぞ!!」

「………」

「や、柔らかい…!!」

「雲鬼お前なんて羨ま…違う!!ずるい…でもない!!とにかく離れなーさーいー!!」

慌てて引き剥がそうとする利吉の腕を振り払って無言でしがみ付く澄姫のあまりの柔らかさに鼻血を垂らした雲鬼をぽかぽか殴る風鬼。
一瞬で騒がしくなってしまったその場に轟いたのは、聞き覚えのある喧しいという声だった。

「なっかなか戻ってこんと思ったら、お前ら何をやっとるんだ!!」

3人が振り向いた先には、大きな頭で…いや、大きな声で怒鳴るドクタケ忍者隊首領、稗田八方斎の姿。朱色の番傘を木で傷つけないように慎重に歩を進め、すれ違いざま利吉をひと睨みすると風鬼と雲鬼の頭に一発ずつ拳骨を落とし、そして、雲鬼の胸にしがみ付いている澄姫を見るなり、目玉が零れ落ちそうなくらいに目を見開いた。

「な、なんじゃお前、財布を取り戻しに行ったら川から女神が現れたのか…!?」

震える指で問い掛けてくる八方斎にでれでれとした笑みを浮かべて見せた雲鬼がしがみつく澄姫の肩を調子に乗って抱こうとしたところ、すんでのところでするりと離れた彼女は、今度は八方斎にしがみ付き、小さな声で告げた。

「私を、ドクタケ忍術教室に、転校させてください…」

「なっ、」

その言葉を聞いて動揺を隠せないのは山田利吉。ともすれば裏切り行為とも取れる彼女の言葉に、さすがに驚いたようだ。
八方斎にしがみ付く澄姫の肩を掴んで引き剥がし、がくがくと揺すりながら正気かと問うと、光の見えない彼女の瞳から壊れたように流れ続けている涙。

「澄姫…ちゃん?」

取り乱すどころか精神の均衡さえ崩れかけているその瞳を見て、利吉の背筋を寒いものが駆け抜ける。愕然と瞳を覗く彼の腕から力が抜け、雨に濡れた地面に澄姫の膝がべしゃりと落ちた。
そのままの体勢で、彼女はさめざめと泣きながら、雨音にすら掻き消されそうな声でうわごとのように声を漏らす。

「…だって…だって、もう、わたし…にんじゅつがくえんに、ちょうじのところに、みんなのところに…もどれ、ない…」

たどたどしい言葉でそれだけ呟くと、澄姫は小さな嗚咽を零し始めた。
これはいよいよもって学園で何かが起きたと危機感を感じた利吉は、同時にそれを敵対するドクタケに聞かれてしまったことに眉を顰める。
気付かれないようにちらりと横目で八方斎を伺い、また悪い顔をして悪い算段を立てていたらここで潰していこうと思ったがしかし、彼は真剣な表情で何かを考えているようだった。
そして暫くすると静かに泣く澄姫の前にしゃがみこみ、意外にも穏やかな声で問いかけ始めた。

「…君、名前は?」

「……平、澄姫…です…」

「忍術学園の者かね?」

「…は、い…くのいち教室、6年生、です…」

「学園に戻れないと言っていたが、何か悪いことでもしたのかね?」

「っいいえ、なにも、なに、もしてないです…」

「ではどうして戻れないんだ?理由は言えるかな?」 

ゆっくりと、穏やかに、虚ろな少女に問い掛け続ける八方斎は普段の悪人面などどこにも見えず、ただひとりの優しい大人のようだった。
彼の問い掛けにゆっくりと答えていた澄姫は、一瞬戸惑った後、涙を拭いもせず、言葉に詰まりながらもなんとか学園を追い出されたいきさつを話した。

「ひどい頭痛と見知らぬ女と豹変した友…か…」

ようやく欲しかった情報が得られた利吉は彼女の言葉を繰り返し、顎に手を当てる。思考の海へ足を進めた彼に、八方斎がおい、と声を掛けた。

「山田利吉、お前、これから仕事か?」

掛けられた言葉に否定を示すと、八方斎は突然懐を漁り始めた。それに警戒を示した利吉に、ぽいと何かを投げる。

「依頼料だ」

じゃりん、と重たい音を立てて彼が受け取ったそれは金糸の刺繍が施された財布。たっぷりと中身が詰まっているそれを受け取った利吉は目を見開いたあと、にんまりと笑った。

「どうした?いつもは学園に敵意剥き出しのドクタケ忍者隊首領が随分殊勝なことをするじゃないか?」

からかいを含んだ声に、八方斎はふんと鼻を鳴らす。しかしその耳は微かに赤い。

「…子供が泣いているのに放っておく大人がおるか、バカタレ」

恥ずかしいのか途端に小さくなった声にくっと喉の奥で笑い、利吉は受け取った財布を投げ返した。うまいこと八方斎がさしている傘をずぼりとぶち抜いたそれは彼の大きな頭に当たり、ゴチンと小気味いい音を立てた。
痛みで呻く彼にニヒルな笑みを向け、利吉は颯爽と木の枝に飛び乗る。

「仕事は選ぶようにしてるんだが、私も澄姫ちゃんの泣き顔などできれば見たくないからね、特別に引き受けてやるよ。調査の間彼女の保護を頼む………変なことはするなよ?」

そう釘を刺しあっという間に姿を消した利吉に怒鳴ってやろうとしたがしかし、激しさを増した雨にその考えを改め、風鬼と雲鬼に指示を出した。

「雨が強くなったな、一旦戻るぞ。…澄姫…と言ったな、1人で歩けるかね?」

耳に心地よい八方斎の声にこくりと頷いた澄姫はふらりと立ち上がり、茂みに身を隠していた栗と桃を力なく呼ぶと、二匹を寄り添わせて渋柿色の装束に混じる。

強くなった雨は彼女の涙と同じで、止む気配はない。


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