ある夜の話

少しの欠けも見当たらない、見事な満月がぽっかりと浮かぶ夜。
時折過ぎ去っていく雲を指差しはしゃぐいろはを膝の上に乗せた長次と、その隣に寄り添う澄姫。
満月だからと夕食時に食堂のおばちゃんから渡された月見団子と、裏山の原っぱから小平太が取ってきたススキを飾り、六年長屋の廊下から親子3人で月を見上げる。

「あのねー、おつきさまにはねー、うしゃぎさんがいてねー、おもちをねー、ぺったんしてうの」

「……そうか…」

「おっきいうしゃぎさんがねー、おもちみょーんってしててねー、おつきさまでねー、たべうの」

「……そうか…」

「たまにねー、くもがまじゃってふかふかになってねー、おふとんになるの」

「……そうなのか…?」

たどたどしい言葉にただ静かに相槌を打っていた長次も、子供特有の奇抜な発想には驚かされることもあるようで、いろはの突拍子もない『お餅=布団説』に小さく首を傾げた。それを見て、隣の澄姫がくすくすと笑う。
ただ静かに時間が流れていく。静か過ぎるような気もするが、それはそれで悪くない。
そう囁くように彼が告げると、ますます彼女の笑みは強くなった。

「長次はいつも賑やかな小平太と同室ですものね。彼といる時と比べれば、今の状態は確かに静か過ぎると思うわ」

さわさわとススキを揺らして通り過ぎる風のように、涼やかな澄姫の声。甘すぎず、冷たすぎず、優しく耳を擽るその声に、胸の奥が擽られる。
いろはを膝に乗せたまま、彼女の視界に決して入らないように、長次は隣に座る女の柔らかな唇にそっと、己の唇を寄せた。



……のだが、まるで狙ったかのように轟いてきた大きな声にびくりと肩を揺らした。

「ちょーじー!!皆お月見するってー!!」

しっとりと湿った手拭をぶんぶんと振り回しながら大声と共に現れたのは小平太。その後ろにはぞろぞろと見慣れた友人たち、そして、すぐ下の後輩たちまでいる。
その中で、しっとりと濡れた髪を丁寧に拭いている鉢屋三郎を見つけた瞬間、いろはがうごうごと長次の膝から降り、彼に向かって飛びついた。

「あー!!はっちゃーん!!はっちゃんいっしょに、おつき、みー?」

がっしりと足にくっついたいろはを見て三郎は小さく笑うと、手拭を首に掛けてひょいと抱き上げた。

「ああ、皆でお月見しようって誘ってくれたのはいろはだろ?だから雷蔵と、兵助と、勘右衛門も一緒に来たんだ」

「あれ?三郎さん、俺は?」

「……いろは、ハチも一緒にお月見したいんだって、どうする?」

「はちもー?んー…はちもー!!」

「あは、だってさハチ。よかったねぇ」

「何なのこの扱い!?俺泣いちゃうよ!?」

三郎といろはのやりとりに、勘右衛門のチャチャが入り、八左ヱ門の泣き真似に広がる笑い声。静かだった空間が、わっと明るさを纏い出す。
風呂上りの姿のまま屋根の上へ上がっていった6年生と、いろはを抱えてそれに続く5年生。
わいわいと賑やかしい声を頭上に、廊下に腰を下ろしていた長次と澄姫は小さく笑い、そっと手を繋ぐ。

「……あっという間に、賑やかになった…」

「うふふ、そうね」

「……静かなのも、悪くないが…賑やかなのも、嫌いではない…」

「ええ、私もよ」

穏やかに囁く長次に、穏やかに微笑む澄姫。

「…………月が、綺麗だ…」

「…本当ね」

風と共に流れた愛の言葉、一瞬だけ雲に隠れた月、そして、重なった唇。
すぐに離れた2人の心情を表すように、一房の黒と茶がさらりと絡み合った。
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先に風呂に入って準備してた中在家一家と、満を持して邪魔しに来た風呂上りの5年と6年。是非混ざりたい。
藤宮様、リクエストありがとうございました



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