利用する者とされる者

ガザガザと乱暴に草木を掻き分け、諸浜稔は懸命に学園の裏々山を走っていた。
背後に感じる殺気は恐らくくノ一のたまごたちのものだろう。

「クソッ、なんだってこんなことに…!!」

彼は鍛錬された足を必死に動かし、さっさと学園の敷地を出ようともがく。
そんな彼の脳裏に浮かぶ、一人の美しい少女。

「…っ、クソぉ!!」

彼の周りに集まったどの少女よりも見目麗しく艶っぽいその姿に、すっかり心奪われてしまった稔は悔しそうに歯軋りをしながらも、その足を必死に動かし続けた。

(私が信じてと言えば信じてくれるの?それは、貴方が自分で決めることよ)

耳の奥で、可憐な声が遠く響く。
自分で思っている以上に懸想していたらしい少女の声が耳から離れず、そんな彼女から受けた仕打ちに心がざわつく。

てっきり、彼女も自分に惚れたと思っていた。
餓鬼どもが噂していた恋仲を見たとき、これは奪える、と本気で思った。
しかしいざ蓋を開けてみれば、彼女は全然自分など眼中になく、それどころかちょっと罵声を浴びせただけで目の色を変えて自分に牙を向けてきた。
もう何年もプロとしてやっているが、今更色に惑わされるなんて何たる失態だ。

そう思いながらも、稔の胸中から澄姫の姿が消えることはなかった。








かなり走り、やっと陰鬱とした森を抜けたところで彼は立ち止まり、すっかり乱れた呼吸を整えようと立ち止まる。
ふう、と胸を摩り、一息ついた稔。
そんな彼の目の前に、かさりと小さな音を立ててひとつの影が降り立った。
それを見た瞬間、稔の瞳に怒りが燃える。

「おい!!全然話が違うじゃないか!!」

色々な怒りを綯い交ぜにしてそう怒鳴った彼に、影はくすくすと静かに笑う。

「何が“ホセイ”だ!!こんな玩具何の役にも立たなかったじゃないか!!馬鹿にするのもいい加減にしろ!!」

そうがなりつけ、桃色の“ケイタイ”を硬い地面に叩きつける。
がしゃりと軽い音を立てて壊れたそれを一瞥し、再度目の前の影を睨みつけた稔の頬が突然ひくりと引き攣った。

「お、おい、何をする…まさか、よせ…」

先程の怒りとは一変して怯えたように後ずさる稔に抱きつくように、影が距離を詰める。
グチュ、と不快な音がして、影が身を引くと、稔の腹から夥しい量の血液が溢れ出した。
ゆっくりとした動作でそれに触れ、信じられないとでもいうような瞳で影を見た稔はどさりと地面に倒れ、小さく澄姫の名を呟いた直後、ガクリと事切れた。
どくどくと溢れ続けている血液をじゃりと踏み躙った影は、小さく笑いながら懐から小さな桃色のコンパクトを取り出す。

「……話と違って当然、それはただの携帯電話だもの。ここまで役に立たないアンタなんかに、本物を渡すわけないでしょう?」

そう呟きながらコンパクトを大事そうに撫で、影は闇に溶けた。










−−−−−−−−−−−−−−−−
夜中。食堂から長次の部屋へとつれてこられた澄姫は遠慮がちに扉を引っ掻く爪音で目を覚ました。
眠る長次を起こさないようにそっと彼の腕の中から抜け出し、そこらに放り投げられていた上着を一枚羽織って扉を開けると、ぴふん、と鼻を鳴らす二匹の愛犬の姿。

「栗、桃も…一体どうしたの?見失ったの?」

そう小さな声で問い掛けると、栗と桃はその場に大人しく座り、縁側の廊下に何かを静かに置いた。
それを見て、彼女は目を見開く。

廊下に置かれたそれは見覚えがある…というか、諸浜稔が身につけていた着物。赤黒く染まったそれは、もう持ち主がこの世にいないであろうことを暗に告げていた。

「…そう、わかったわ。ありがとう、栗も桃も、遅くまでお疲れ様」

とりあえず微笑んで二匹を小屋へ帰るように促し、嫌な予感が過ぎる中で血染めの衣を手に取ろうと彼女が手を伸ばした瞬間、剥き出しの太股をぺろりと撫で上げられる感覚に小さく悲鳴を漏らした。

「あん!!」

「なはははは、色っぽい声だ!!」

「もう、小平太!!もう今夜の鍛錬は終わりなの?」

「そっちこそ、ちょっと声枯れてるけど長次とのお楽しみは終わったのか?」

「やだ、やっぱり?長次ったら焦らすんだもの」

ひょいと屋根から姿を現した小平太を咎めた澄姫だが、なぜか彼の問い掛けに素直に答えて頬を染める。

「きゃん!!」

「うがっ!!!」

そんな2人の頭に、片方はこんと言う軽い音、もう片方はゴガンとその体を吹っ飛ばすほど激しい音を立ててこぶしが叩きつけられた。
頭を押さえた澄姫と、廊下からぶっ飛ばされた小平太が衝撃の方向を見やると、そこには上半身裸で袴だけを身につけた長次が仄かに耳を赤くして拳を握り締めて立っていた。

「…澄姫…余計なことまで喋るな…あとちゃんと服を着ろ……小平太、声が大きい……」

「「ご、ごめんなさい…」」

圧し掛かってくるプレッシャーに素直に謝った2人。
だが、直後すんと鼻を鳴らした長次に、澄姫はおずおずと先程の血染めの着物を差し出す。

「…これ、ついさっき栗と桃が持ってきたものなのだけれど…」

そう言ったきり黙りこんでしまう彼女に、小平太と長次は顔を見合わせる。
彼女と同じで、これの持ち主がもう生きてはいないことを察した2人は、とりあえず夜が明けてから調べにいこうと決めた。

長次の腕の中で再度眠りにつこうとした澄姫だったが、突如感じたなんともいえない胸の奥の不安…それを振り払うようにふるりと長い睫を震わせて、逞しい胸板に頬を寄せた。




−4人目の天女編 完−


[ 172/253 ]

[*prev] [next#]