手折られた花

ふああ、と大きなあくびを漏らしながら現れた小平太は、次の瞬間握っていた食券を取り落とした。
色とりどりの装束でごった返す食堂…だが、その中の一部に異様な光景が混じっている。

「…澄姫?」

もう既に見慣れつつあった、桃色と深赤の塊。その中に、昨日まで同室の男と仲良く寄り添っていた人物を見つけ、その名をぽつりと呟く。
固まるくのたまの中でも一際目を引く美しい容姿の友人は、恋仲を放って楽しそうに一人の男と談笑しているではないか。
慌てて食堂内を見渡すと、隅のほうでぽつりと食事をしている同室が目に入り、朝食を受け取る前だというのに小平太は慌てて彼に駆け寄った。

「何があった!!」

問い掛けに対して無言で視線をそらした長次に、小平太は吊り上げていた眉を悲しそうに下げ、普段の豪快さとは真逆の静かな身のこなしで彼の隣に腰を下ろし、再度静かに、何があった、と繰り返した。
それに対し、やっと視線を合わせた長次の瞳に浮かぶのは、混乱と困惑、そして、小さな寂しさ。

「…惑わされて、しまったのか?」

「……わからない…」

わからない、と小さく小さく呟いた友人の言葉に小平太は視線を彷徨わせる。その時、ふいに別の机で食事を取っていたらしい彼の率いる委員会の後輩、そして、澄姫の実弟である少年が友人に付き添われ顔色悪く食堂から出て行くのが目に入った。
目の前が真っ暗になるような感覚に襲われた小平太だが、慌ててぶんぶんと首を振る。

「…とりあえず様子を見るんだな?なら、朝食は私と一緒に食べよう!!なあに、すぐ皆来て賑やかになる!!」

そう言って食事を取りにいき、長次の隣でわざとガチャガチャ騒がしく食事を始めた。

「…小平太…ありがとう…」

「何のことだ?そうだ、今日は久しぶりに皆でバレーをして遊ぼう!!」

やっと眉間に皺を寄せてくれた長次に、小平太はにかりと笑う。
…笑いながら、心に渦巻いた黒い感情を、無理矢理閉じ込めた。






その日から、長次の隣に澄姫が並ぶことはなくなった。
小平太の空元気を見て長次の傍観姿勢を察し、口を挟まずにいた仙蔵たちも、余りにも諸浜稔にべったりな彼女に次第に苛々を募らせ始め、学園に剣呑な空気が立ちこめる。
下級生たちは変わってしまったくのたまの態度にショックを受けながら、ぴりぴりし出した上級生にもびくびくと怯え、徐々にその元気をなくしていく。
上級生は上級生で下級生のことを気に掛けつつも、やはりどこか様子のおかしいくのたまに警戒心を隠せない。
穏やかな忍術学園の日常は、どんどんとその姿を変えていった。
しかし、やはり最上級生というべきか。今のままではいけないと思い立った6年生たちは、伊作が当番の夜を狙い医務室に集まっていた。
ごうごうと冷たい風が吹き荒れる深夜、ひとつの小さな灯りだけが揺らめいている医務室に、ぴりりと張り詰めた仙蔵の呟きが落ちる。

「…このまま指を銜えて見ているだけと言う訳にもいかんぞ、長次」

ぐるりと輪を描くように腰を下ろしていた6つの深緑の中で、一際大きい肩が微かに揺れた。それを心配そうに見つめたのは、一番情に脆い伊作。

「…君が傍観の姿勢を貫くという事は、それなりの理由があるんだよね?」

真剣な眼差しを注いでくる5対の瞳に、長次は小さく息を吐いて、そして、ゆっくりと頷いた。話してもらえないかな?と遠慮がちに問う伊作に続き、仙蔵も目だけで促す。

「…ここ数日、遠目に澄姫を見ていて気が付いたことが…いくつか、ある…」

もそもそと口を開いた長次の言葉に、訝しげに眉を顰めた留三郎と文次郎。それに対し、仙蔵と伊作は静かに顔を見合わせる。
確かに、友人というだけでは些細な変化には気がつかない。しかし恋仲、特に繊細な性格の長次ともなれば、澄姫の小さな変化でも見逃すことは少ないだろう。

「…私が、まだ澄姫と今の関係になるまでのことを、思い出していた…」

その一言だけで、伊作がはっとして目を見開く。

「そうか、そうだよ。どうして今までそこに気が付かなかったんだろう…」

「成程、やはり長次に聞いて正解だったな」

観察眼に優れた伊作と仙蔵が思い当たったひとつの答えに頷いていると、全くわからない様子の留三郎と文次郎が俺たちにもわかるように説明しろと眉間に皺を寄せた。
そんな彼らにこれだから脳味噌まで武闘派の奴らは、と嘲笑した仙蔵が、よく思い出してみろ、と口角をぎゅっと上げた。

「私も、お前らも、もう見慣れて違和感を感じないかもしれんがな、長次と諸浜とか言う男に対しての澄姫の態度が明らかに違う。あの女は長次に対してはしおらしくなるだろう?だが、私が見た限り諸浜に対してそれはない。柔らかな態度を取ってはいるが、長次へのそれとはまったく違う」

「そうか…という事は、澄姫は惑わされちゃいないってことか?」

「そこを決めつめるのはまだ早いと思うけど、僕も留三郎と同じ印象を受けたよ」

「つまり、今のアイツの態度は“適任”だと言っていたことに関係あるという事か?」

「ふん、まあそうなるだろうな。文次郎にしては察しがいいではないか」

そう言葉を交わした4人は暫く黙り、そして長次を見て頷いた。澄姫の真意は計り知れないが、どうやらこのまま傍観の姿勢を崩さずにいることに決まったらしい。
とりあえず諸浜稔の監視を続けつつ、落ち込み始めている下級生の心のケアに努めよう、と意見を纏め、ぞろぞろと医務室を出て行った。
一安心したらしい伊作が薬草でも煎じようかと乳鉢を取り出したところで、思い出したように壁に凭れて座り、ずっと黙っていた小平太に珍しいね、と声を掛ける。

「どこか調子でも悪いのかい?君が大人しいなんて…それとも、」

澄姫のこと、疑っているの?そう問い掛けると、小平太の眉がピクリと動いた。それに一瞬だけ驚いた顔をした長次だが、ゆるりと目を細め、どうした、と優しく彼の言葉を待つ。

「…いや、違う。澄姫の態度じゃない。アイツは長次を裏切るようなことはしない女だ。私が疑問に思っているのは、諸浜稔の方だ」

彼に促されるようにゆっくり口を開いた小平太が、普段はくりくりとよく動く瞳を珍しく伏せた。
彼の発した言葉が当然すぎて、伊作と長次は首を傾げる。
しかし、次に漏れた小平太の呟きで、2人の目は驚きに彩られた。

「…あの男、ヘイセイってとこから来たって言ってたよな?凄く平和で、ここみたいに争いなんかないって…でもアイツ、たまに、


−−−−血の匂いがするんだ」


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