白檀の毒

澄姫の返答にやっぱりな、と頭を抱えたのは留三郎と文次郎。仙蔵と小平太はだろうなと小さく笑い、5年生たちは揃ってあんぐりと口を開けている。
だが、伊作は渋い顔をして、これは遊びじゃないんだと再度言い含めた。
そんな彼にくすくすと妖艶に笑い、彼女は頷く。

「勿論、そんなことはわかっているわ。遊びのつもりもない。けれどね、先生や可愛い後輩たちが誑かされたのに一人だけ守ってもらうなんて冗談じゃないわ。貴方たちやあの三人組には悪いけれど、私、そんなにやわな女じゃないの。…それに話を聞く限りだと、私が一番“適任”なんじゃないかしら?」

そう笑い続けている澄姫が発した“適任”という言葉に、ずっと黙っていた長次が心配そうに眉を下げた。
そんな友人を見て、伊作が困ったように慌て出す。

「澄姫、よく聞いてよ。本当に、本当に厄介なんだ。くのたまを味方につけたって言ったよね?彼女達、本当にそいつの言いなりみたいになってて、まだ実害は出てないけど、乱太郎たちも仲良くしていたくのたまに酷いことを言われたって悲しんでいるんだ。しっかりものの彼女たちがそうなってしまったってことは、相当な…」

澄姫がやろうとしていう事がいかに危険なことなのか、そして心の優しい友人がどれだけ心配するかを説こうとした伊作だったが、その言葉はぴたりと止まる。彼の視線の先では、先程まで穏やかに寝息を立てていたはずの栗と桃が毛を逆立たせ、低く唸っていた。

「…実害が、ないですって?」

そしてその飼い主もまた、綺麗な微笑みを浮かべながらも絶対零度の瞳で伊作を睨みつけていた。

「忍たまであろうと、くのたまであろうと、心に傷を付けられたのならそれはもう実害でしょう?」

「それは…そうだけど…」

彼女の怒りにもごもごと言い難そうに口の中で言い訳を述べた伊作は、向けられる威圧感にそっと視線をそらす。
それにより飛び掛ろうとした桃…だが、そのふさふさの尻尾を澄姫に掴まれ、ヒャンと甲高い悲鳴を上げた。

「…ありがとう、貴方なりに心配してくれたことはわかっているわ」

桃をその場に伏せさせた澄姫は、先程とは違う柔らかな微笑みで伊作の頭を撫で、黙ってそのやりとりを見つめていた長次にくるりと振り返る。

「…澄姫がやるというのなら…私は全力で守る、だけだ……だが…」

「ええ、わかっているわ。ありがとう長次。絶対に無茶はしないと誓うから」

心配そうに、それでも彼女の意思を尊重して自由に動けばいいと呟いた長次の大きな手をそっと胸に抱き締め、澄姫は愛おしそうに笑う。
だがしかし、彼女の領域を無断で荒らした者に対しての怒りが、涼しげな瞳の中でごうごうと燃えていた。







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とりあえずその日は鍛錬組と共に裏々山で一晩を明かし、翌朝学園に戻ってきた澄姫。
早朝にも拘らず入門表にサインを求めてきた小松田さんに苦笑し、待望の入浴を済ませ、身支度を整え、まずは食堂に様子を見に行こうとくのいち長屋を出ると、丁度忍たまとの共同地域に差し掛かる廊下の柱に凭れかかる深緑色を見つけた。

「……小平太は、放っておいてもいいの?」

舞い上がる心を何とか抑えそう声を掛けると、柱に凭れながら肩にとまった小鳥と戯れていた深緑はその瞳を優しく細め、愛おしそうに彼女を見た。

「…自分のことはいいから…迎えに行けと…薦めてくれた」

同室の元気な笑みでも思い出したのだろうか、微かに眉を顰めた長次は小さく呟き、彼女の柔らかな手を取って歩き出す。
食堂に続く長い廊下を手を繋いでゆっくりと歩きながら、彼が横目で今日も彼女の美しい髪に揺れる翡翠色の簪をちらりと見ると、ふいに視線を上げた澄姫と目が合った。

「…ねえ長次、昨晩は邪魔者がいて言えなかったけれど」

突然そう呟いて歩を止めた彼女に習って、彼もまたぴたりと足を止める。くるりと身体の向きを変えて、しっかりと目を合わせた澄姫はその瞳に言葉では到底言い表せない程の愛を籠めて、恥ずかしそうに頬を染めた。

「…私はこの先ずっと、一生、貴方以外の男を愛さないし、愛するつもりもない。他の誰でもない、貴方自身の目で、ちゃんと私を見ていて。そして何があっても、信じていて頂戴」

優しい眼差しで愛を囁き、背の高い彼の唇にそっと自分のそれを押し付ける。自分に対してはいつも控えめな恋仲の珍しい熱烈な発言に、長次はかあと頬を染めた。一瞬で離れていってしまったぬくもりにもう一度手を伸ばそうとした。
だがその瞬間、ふいに鼻を突いた香りに、びくりと肩を撥ねさせる。

「…あっれぇ?中在家長次くん、こんなところでなにしてるの?」

白檀の香りによく似た匂いを纏い現れた人物に、さり気なく澄姫を背に隠した長次は無言で俯き、じりと無意識に一歩下がる。
しかし、その大きな背中から、なんと澄姫がひょこりと顔を出してしまった。

「うっわ!!すっごい美人!!何、誰!?くのたまの子?」

彼女を見た瞬間嬉しそうに声を上げたその人物に、長次は妙な焦りを感じて彼女を背中に押し込めようとするが、彼の大きな手をするりと潜り抜け、澄姫は可愛らしく頭を下げた。

「えっと、初めまして…私は平澄姫と申しますが…」

「ああ、ごめんね!!俺は数日前からここでお世話になってる諸浜稔です!!」

「あ、貴方が噂の…そうですか、うふふ、よろしくお願い致します」

「いやいや、こちらこそ。いやあ、君みたいな美人がいたなんて知らなかったよ、何年生なの?」

「私はくのたま6年生です。実は昨日まで所用で出ておりましたので、ご挨拶が送れて申し訳ございません」

「いいんだよそんなこと!!ねえ、良ければ朝食一緒にどうかな?もっとお話したいなあ、なんて…」

「ええ、是非。私ももっと、稔さんとお話したいですわ」

笑顔の澄姫から発せられた信じられない言葉に、長次は僅かに目を見開く。白檀に似た香りと自分を残して去っていく恋仲の背を、彼は呆然と見つめるしかできなかった。


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