矛と盾

すっかりと日が暮れ、梟の鳴き声すらも聞こえない冬の裏々山。
せめて風くらい凌げるだろうとぽかりと口を開けた洞窟の中で身をちぢこませ、澄姫は気配を消さないままじっと待っていた。
どれくらいそうしていただろうか…すっかり冷え切ってしまった身体を動かして温めようかと洞窟の外に出ると、覚えのある気配がぞろぞろと彼女のほうに向かってきているのを感じとり、ほうと白い息を吐いた。
暫くすると洞窟のそばの茂みがガサガサと音を立てて揺れ、そこからひょこりと現れた見慣れた顔に破顔する。

「栗、桃、お前たち来てくれたの?」

「あれ、私は?」

綺麗な三角形のフォーメーションで顔を覗かせたのは、可愛い可愛い愛犬の栗と桃…と、小平太。澄姫の顔を見るなり大喜びで尻ごと尻尾を振り一目散に飛びついた山犬二匹はピスピスと甘えたような声を上げて、冷え切った彼女の頬をべろべろと舐め上げている。

「うふふ、擽ったいったら」

「ねえ、私は!?」

「あらやだ、小平太いたの?」

その光景をちょっとだけ羨ましそうに眺めていた小平太だが、いつまでたっても自分を見ない澄姫に痺れを切らして声を上げる。そんな彼に今気付きましたとばかりに首を傾げた彼女の言葉で、小平太は不服そうに眉を寄せた。

「こいつらと一緒に駆けつけてやったのに、それはないだろ」

ぶすっと唇を突き出して拗ねる小平太を見て、彼女はべたべたになってしまった頬を袖で拭い、小さく笑って彼に近付き、自分よりも高い位置にある頭を撫でてやった。

「冗談よ。ありがとう小平太」

「おうっ!!」

ごわごわの髪を撫でる華奢な手の感覚であっという間に機嫌を直した小平太は、もうすぐ皆来るぞ、と茂みのほうを指差した。
澄姫が彼の手の指し示す方へと視線をずらせば、言葉の通りまたガサガサと茂みが揺れ、各々荷物を抱えた深緑と群青がぞろぞろと姿を現した。

「澄姫先輩、遅くなりました!!これ頼まれていた装束と武器です!!」

彼女の姿を見つけるなりぱあと笑った八左ヱ門が抱えた荷物を差し出しながら、寒いと思ったんで栗と桃も連れて来ました、と頬を掻く。
どこか褒めて欲しそうな可愛い後輩の頭をよしよしと撫でてやりながら、澄姫はありがとうと綺麗に笑った。

「わざわざ皆で来てくれたの?」

「あ、えっと、中在家先輩からお話を伺って…これ、お役に立つかわかりませんが…」

八左ヱ門から荷物を受け取りながら群青に視線を向けると、雷蔵がはにかみ笑いをしながら抱えていた荷物を差し出す。
渡された風呂敷に包まれていたのは、暖かそうな半纏と毛布だった。
とんでもない、助かるわと笑った彼女が雷蔵を見ると、彼の背後で兵助、勘右衛門、三郎がもじもじとしていた。彼らにもありがとうと礼を述べた澄姫…そんな彼女に、珍しく不機嫌そうに眉を寄せた仙蔵がそろそろいいかと呟く。
一気に引き締まった空気を感じて5年生が一歩下がると、仙蔵は留三郎と文次郎に抱えさせていた荷物をどかりと洞窟の中に投げ入れ、なにやら大きな荷物を背負った伊作と共にてきぱきとなにやら準備をし始める。
黙ってそれを眺めていた澄姫だが、出来上がったそれを見てクスリと笑みを零す。

「…寒かったなら早くそう言えばいいのに」

「やかましい」

洞窟の中で火を起こし、伊作の背負った荷物…大きな土鍋を下ろさせ、文次郎が持っていた敷物を敷いて、留三郎が持っていた食材をどんどん鍋に放り込んでいく。じわりと暖かくなってきた洞窟の中、一番火に近い場所に陣取り、仙蔵は微かに鼻を赤くさせて、笑う彼女を睨みつけた。


突如始まった裏々山での鍋パーティ。伏せさせた栗と桃に凭れかかりながら、甲斐甲斐しく食事の面倒を見てくれる長次に頬を染め、わいわいと友人や後輩と鍋を囲む。一見して和やかに見えるがしかし、交わされる会話はなかなかに不穏なものだった。

「…長次とお前が忍務に出た直後、ちょっとした騒動があってな」

もぐもぐと肉を頬張りながら、文次郎がその“騒動”について詳しく話した。
それはにわかには信じられないような話で、澄姫はぱちぱちと瞬きを繰り返す。

今から十日前…本当に、長次と澄姫を見送った直後のこと。
真剣な顔で空を見上げていた小平太が雲から顔を覗かせた太陽の光に目を細めた瞬間、空にひゅうと黒い線が現れた。鳥か何かかと思ったがしかし、聞こえる悲鳴と徐々に大きくなる影を見て、小平太は慌てて友人たちを呼ぶ。
なんだなんだと彼の指差す空を見て、その場に居合わせたくのたまもあんぐりと口を開けて固まった。
忍術学園の正門目掛けてまっしぐらに落ちてくるそれはどう見ても人。
誰もが呆然として動けないまま見つめていると、悲鳴を上げていた人物は地面が近いことに気が付き、なんと自力で見事に着地したらしい。
ずだん、と物凄い音を立てて着地した人物はしばらくすると立ち上がり、きょとんとしながら周囲を見渡し、そして、開口一番に

「…俺の名前を、呼びやがったんだよ」

持参した荷物の中から新たに白菜とねぎを取り出して鍋に放り込みながら、留三郎が初めて会ったって言うのにな、と呟いた。
その呟きに、どことなく敵意が籠められていることに気が付いた澄姫が小さく首を傾げると、彼の隣に座っていた伊作が微かに眉を下げて口を開いた。

「とりあえず、結構なところから落ちてきたその人を放って置けなくて、医務室に案内したんだ。そこで話を聞いてみたら意味のわからないことを言ってね」

伊作はそう呟いて、僕が聞いたことをそのまま話すね、と苦笑した。
空から降ってきた人物は、ヘイセイ、という未来から来たと話し、突然のことに戸惑いを隠せなかった伊作にケイタイ、という未来の通信道具を見せたらしい。可愛いらしい桃色をしたそれに触れると、聞いたこともないような音がし、警戒を強めた彼に微笑んだという。

「危害を加えるつもりもなさそうだし、危険なものも持っていない…でも、僕らのことを詳しく知っているんだ。生徒の名前、先生の名前、それに、敵の城の名前とかも全部…まるで、全てを見ていたかのように…空から降ってきたこともあって、ひょっとして神様ですか?なんて馬鹿なことを聞いてみたらね、こう言ったんだよ」

−−−自分のいた“ヘイセイ”という世界では、貴方達は“アニメ”や“マンガ”でよく知られているんです−−−

「…言っている意味が、よくわからないわね」

伊作の羅列する言葉を少々理解できない澄姫がそう呟くと、食事を終え身体が温まった仙蔵が小鉢を地面に置き、ふうと小さく息を吐いて、切れ長の瞳を鋭くさせた。

「ああ。…だが、問題はそこではない。そいつが現れてから、学園に…いや、正しくはくのたまたちに異常が起きた。
学園長先生に報告すると、空から振ってきたというのに怪我ひとつせず着地した実力やその知識が外に出ると危険ではないか、という話になってな、保護という名目で暫く様子を見ることになったんだ。
二日目までは大人しくしていたのだが、三日目からそいつの周りにくのたまが数人群れるようになり、それからどんどんとその数は増えていった…そして同時に、そいつは本性を現した」

忌々しげに吐き捨てた仙蔵の言葉を聞いて、やっと澄姫が疑問に思っていた謎が解ける。
忍たまがくのたまを苦手としていることを知っていたそいつは、くのたまを…いや、忍術学園の女性を後ろ盾にいまや好き勝手に振舞っている。
その所為でくのたまとまだ仲のいい下級生や、隠してはいるものの恋仲のいる者は苦い思いをしている、と。

「成程…それであの子達は私に学園に戻るなと言ったのね。でも、学園の女性って、まさか食堂のおばちゃんや山本シナ先生も含まれるの?」

そう問い掛けた澄姫の言葉に、誰もが口を噤む。それが肯定を示すとわかった彼女は、その薄い唇に触れ、何かを考えるように黙り込んだ。
そんな彼女に、伊作が言いにくそうに声を掛ける。

「…澄姫、君は丁度忍務で出ていたから影響がないけれど、あの人…本人はホセイがどうとか言っていたんだけど…幻術士の類かもしれない。うかつに近付くと、君までどうかなってしまうかもしれないから、だから、僕たちが何とかするまで、悪いけどどこかに身を隠していてくれないかな?」

当面の住み家は明日朝一番に学園長先生に手配してもらうようお願いするから、と続けた伊作と、無言のまま、それでもその意見に同意するかのような瞳で彼女を見つめる友人、後輩たち…。
そんな彼らの真摯な眼差しを受け、澄姫はにこりと綺麗に笑って

「…お断りよ」

そう、キッパリと告げた。


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