誘惑〜蛸壷〜

小平太の掘ったであろう塹壕を脇目に、澄姫は喜八郎を探していた。


先程の図書室でのやり取りを聞いて爆笑した仙蔵に天女の幻術を解く方法を話したら、そんなに簡単ならばと頼みごとをしてきたのだ。
その内容は、作法委員の後輩の綾部喜八郎をさっさと正気に戻してくれ、というものだった。

元々そのつもりだった澄姫はそれを快諾し、その代わり文次郎を会計委員会に無理矢理にでも参加させてくれと彼にお願いしたのである。
それを見ていた浦風藤内がこっそりと「魔王と魔女の会合…」などと呟いていたが、2人は華麗にスルーした。


そうこうしているうちに、目的の後輩の掘ったであろう落とし穴の印を見つけ、澄姫は周囲を見渡す。そして、ざっくざっくと土を掘り返す音をさせている穴をすぐ傍で発見した。
気配を消さずにその穴の中を覗き込むと、案の定ふわふわとした髪を揺らして踏鋤を動かしている綾部喜八郎が居た。

「喜八郎」

澄姫がそう呼びかけると、踏み鋤を動かすのを止める。
大きな瞳が彼女を捉えた。

「おやまぁ、滝のお姉ちゃん」

「仙蔵が探しているわよ、出ていらっしゃい」

そう優しく促してやるも、穴の中の彼は猫のようにプイとそっぽを向き、また踏み鋤を動かし始めた。


どうみても拗ねている喜八郎に澄姫は不思議そうに問いかける。

「どうしたの?」

「立花先輩は、僕を探してなんていません」

がつ、と地面に踏み鋤を突き立て、いきなり穴の中に座り込んでしまった喜八郎に澄姫は苦笑を零す。

「仙蔵に何か言われたの?」

そう問いかけて、澄姫は音もなく穴へと飛び込んだ。
ひやりとする穴の中は狭いが、澄姫はうまく体を捩って喜八郎の顔を覗き込む。
黙り込んでしまった喜八郎にを優しく見詰め、その綺麗な顔立ちの頬についていた泥を指で軽く擦って落としてやる。

「立花先輩、呆れてました」

ぽそりと呟かれたその一言に、澄姫は首を傾げた。

「色に溺れるなど忍び失格だ、って言いました」

僕まだたまごだもん、そう言って喜八郎はぷくぅ、と頬を膨らませる。
そんな子供っぽい態度に、澄姫の頬が緩む。

そして、本来はSである喜八郎のギャップに、彼女の悪戯心が刺激された。



「そう、それは悔しかったわね」

そう言って澄姫はつつ、と喜八郎のふっくらした頬に指を滑らせる。

「はい」

その指をつい、と首筋にずらしていく。

「喜八郎は、立派な忍者になるんだものね」

そのまま彼の着物の袷を指でそっと割り開き、前掛けの襟口を弄ぶ。

「は、い…」

急に変わった澄姫の雰囲気に、喜八郎は滅多に変えない顔色を少しだけ赤くした。

「天才トラパーなんて呼ばれてて」

澄姫はそう言うと自分の豊満な胸を、彼の意外と逞しい胸板へと押し付けた。
そして熱を孕んだ潤む瞳で、既に真っ赤になってしまった喜八郎を見つめる。

「すごく、立派…」

とっても色んな意味を込めて、そう耳元で囁くと、喜八郎の体は可哀想なくらい熱くなっていた。
浅い呼吸を繰り返す喜八郎の潤んだ瞳を見据え、澄姫は舌なめずりをして彼の帯に手を掛けようとした。



その後頭部に、ごちん、と小気味いい音を立てて何かがぶつけられる。



「やりすぎだ馬鹿者」

そして投げかけられた冷ややかな声。
その主に、喜八郎は穴から飛び出して駆け寄った。

「いやだ、どこから見てたの?」

大して悪びれた様子もなく、澄姫は呆れ顔の仙蔵に手を引かれて穴から出た。

「何が立派だ、何が」

「何って喜八郎のその心意気に決まってるじゃない」

そんな2人の軽口にも顔を真っ赤に染めたまま、喜八郎は仙蔵の背中に顔を押し付けている。

そんな後輩の色々な事情を察してか、仙蔵は顎で会計室を指し示した。


それに黙って頷いた澄姫は、喜八郎に驚かせてごめんなさいね、と一声掛けて文次郎の居る会計室に向かっていった。
その背を見送ってから、仙蔵は苦笑いで背中にへばりついている後輩に声を掛ける。





「相変わらずものすごい破壊力だな、大丈夫か?」

「…大丈夫じゃ、ないです」

だろうな、と納得しつつも、喜八郎を背に貼り付けたまま自身も会計室へと足を進め始めた。

「だが、これで目も覚めただろう」

その一言に、喜八郎はようやっと顔を上げ、まだ赤い顔を傾げる。
そんな後輩の様子に満足げな笑いを向けながら、しばらく大変であろう喜八郎と、これからもっともっと大変な目に合わされるであろう同室の男に同情した。






(女とは怖いものだな、喜八郎)
(……はぃ…)

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