誘惑〜転倒〜
タカ丸と勘右衛門を1日で正気に戻した澄姫は上機嫌でランチを食べていた。
その向かいには小平太、その隣が仙蔵。
ここ数日でお馴染みとなった6年生3人の内、いち早くランチを食べ終えた小平太がお茶を啜りながら心底羨ましそうにぼやいた。
「いーなー、私も澄姫に誘惑されたい…」
そんな小平太に呆れたとばかりの視線を遠慮なく投げかけ、仙蔵は溜息を吐く。
「何がそんなに羨ましいんだ」
彼の言うことが尤もである。しかしそんなことは気にせず小平太は尚も羨ましい羨ましいとぶーぶー呟き続ける。
「うるさいわね、そんなに言うなら小平太も誘惑してあげるわよ」
あまりのしつこさに耐え兼ね澄姫がそういうと、途端に顔を上げ嬉しそうにする小平太に、仙蔵は付き合ってられんと零しさっさと食事を終え食堂を立ち去った。
そんな仙蔵には目もくれず、小平太はそそくさと湯飲みを持って澄姫の隣に移動した。
わくわく、といった様子で澄姫を見る小平太を薄目で睨み付け、溜息をひとつ吐くと澄姫は着物の袷を少しだけ開いて、小平太にそっとしなだれかかる。
「小平太。私のお願い、聞いてくれるわよね?」
そう上目遣いで彼を見上げ、意識して胸を寄せる。
ただでさえ豊満な澄姫の胸の谷間が袷から覗き、小平太は嬉しそうに頷く。
そんな小平太の素直な様子に満更でもない笑みを浮かべ、澄姫は丁度食堂へ入ってきた八左ヱ門と勘右衛門を顎で指し示した。
「ハチから、今日の図書委員会の当番、聞いてきて」
小平太の顔に自分の顔をぐっと寄せ、唇が触れそうなほどの距離で甘く囁く。
「上手に出来たら、ご褒美あげるわ」
途端にものすごい速さで八左ヱ門に突撃する小平太。
その獣のような存在を認識するや否や、完全に怯えてしまった八左ヱ門からなんとか当番を聞きだしたらしく、満面の笑みで戻ってくる小平太をお茶を飲みながら澄姫は待っていた。
「澄姫、澄姫、聞いてきた!!今日は雷蔵だって!!」
まるで忠犬のような様子にくすりと笑いながら、澄姫は彼の頭をよくできましたと撫でてやった。
すると、今の今まで笑顔だった小平太の顔が不満そうに歪む。
「澄姫、ご褒美って、撫でるだけか?」
「そうよ、立派なご褒美でしょ?」
何かいけなかった?とばかりに余裕の笑みを浮かべる澄姫だったが、次の瞬間小平太に思いっきり胸を掴まれた。
「なっ、にするのよ!!」
先程とは逆ににまにまする小平太を叩こうとするが、寸でのところで避けられた。
「やっぱり澄姫の胸は柔らかいな!!」
そんなことを笑顔で言って、塹壕掘ってくる、と飛び出していった小平太を澄姫はしてやられたと憎憎しげに見送るしかなかった。
−−−−−−−−−−−
(まったくあの暴君は)
昼休みの小平太の暴挙を忌々しげに思い返し、澄姫は図書室へと歩いていた。
図書室、と書かれた板が下がっている扉を怒りのまま見上げたが、急速に気持ちが萎んでいく。
それも仕方のないこと。
数日前までは、ここの委員長と澄姫は恋仲で、毎日とはいかないが足繁く通っていたのだ。
しかしそれも、あの女にぶち壊されてしまった。
ツンとせり上がる胸の痛みを堪え、扉を開ける。
そこには昼に聞いた通り、5年の不破雷蔵がせかせかと書物の整理をしていた。
「あ、澄姫先輩こんにちは。中在家先輩なら今食堂で…」
扉が開く音で澄姫に気がついた雷蔵が、いつものように自然にそう教えてくれたので、思わずポロリと涙が零れてしまう。
「て、わ、澄姫先輩!!?」
抱えていた書物を慌てて机に置き、雷蔵が澄姫に駆け寄る。
「どうされたのですか!?」
元来心根の優しい雷蔵は、いきなり泣き出してしまった自身の所属する委員会委員長の恋仲の先輩に、懐紙を差し出しながらうろたえる。
「ごめ、なさ…大丈夫。ありがとう雷蔵」
そう返事をしながらも、澄姫はしまったと顔を歪める。
元々雷蔵には色を仕掛ける予定だったのに、制御できなかった自らの感情に苛立ちを感じる。
そんな澄姫の心の中など知る由もなく、雷蔵は心配そうに澄姫の背中を摩り続けていた。
「大丈夫じゃないですよ!突然泣き出すなんて…誰かに何かされたんですか?」
「本当に大丈夫。ちょっと失恋したから、今日は気分転換になるような本を探しに来たの」
澄姫のその言葉に雷蔵はほっとしたが、すぐに氷のように固まった。
「失恋…?」
その聞き流せない単語は、雷蔵の口から再度発せられた。
「ええ、私一昨日長次に別れを告げられたわ」
すん、と小さく鼻を啜り、澄姫は心底悲しそうに笑った。
儚げなその笑顔は見るもの全ての同情を集められそうだが、雷蔵はそれどころではない。
「そんな、だってあんなに仲が良くて、喧嘩だってしたことなくて、あの『忍術学園一寡黙な男』といわれる中在家先輩が澄姫先輩の話をたくさん聞かせてくれて…」
ショックのあまり大きな目を更に大きく見開いて、うわ言の様に繰り返す。
そんな彼の様子を横目で見て、澄姫は『雷蔵はこのショックで正気に戻るだろう』と一人納得し、本棚から適当に本を探そうと歩き出した。
すると何を焦ったのか雷蔵が急に澄姫の腕を掴み、加減できなかった彼に引かれるまま2人で床に倒れる。
「わぁぁ!!」
どたどたばたん、と満足に受身さえ取れず、澄姫は背中を強く打ち付ける。
その上に雷蔵が倒れ込み、澄姫はまるで押し倒されたような体制になってしまった。
「雷蔵…」
若干色を含んだ澄姫の呼びかけに、雷蔵は慌てて謝り起き上がろうと腕をつくと、その柔らかさにおや、と視線を上げた。
「わぁぁ!!!澄姫先輩!!ごめ、ごめんなさい!!」
視線の先には、澄姫の胸を鷲掴む自らの腕があり、雷蔵の頭が一瞬で沸騰する。
早く離れないとと慌てるので、余計にうまく立ち上がれず、彼は半泣きになってしまっていた。
そんな雷蔵の手を澄姫はきゅっと握り、ぎょっとする彼を熱っぽく見詰め、自分の胸にぎゅっと抱き込んだ。
「ありがとう、慰めてくれるのね…」
潤んだ瞳で彼の手を着物の袷から差し入れ、耳元で澄姫は囁いた。
「壊れるくらい、激しくして…」
その一言であっけなく限界を超えてしまった雷蔵は、鼻血を噴き出して倒れた。
そんな初心な雷蔵を保健室に運んだ澄姫は、その足で仙蔵に報告に行き、彼はそれを聞きしばらく爆笑していた。
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