また会える、その日まで

遂にその日はやってきた。
今日はとうとう、いろはを連れて澄姫の実家の傍の山にある『八十翁神社』に、いろはを元の場所に帰す、もしくはその手がかりを得る為に向かう日。
休みの日だというのに朝早くからほぼ全員の生徒、そして教師と、学園長までもが、お見送りのために集まっていた。
その1人1人に、何も知らないいろははご機嫌で行ってきますと手を振る。
誰もが辛そうな顔で、しかしそれをぐっと堪えて無理に笑っている。

「いってきまーしゅ!!」

ぶんぶんと、正門を出て暫くして振り返り手を振るいろは。
そして長次と澄姫と手を繋ぎ、小さな歩幅でとことこと、歩き出す。
見送る誰もが、あの子の未来に幸あらんことを願わずにはいられなかった。


暫く歩いて、学園の所有する山を抜けた頃、息を切らしたきり丸がおおいと大きな声を上げて駆け寄ってきた。
今日は早朝からアルバイトがあるといって出掛けていた筈だが、抜けてきたのだろうか。

「きぃくん!!きょうは、あるばいとないの?」

「ううん。でも、ちょっとだけ抜けさせてもらった。これ、いろはにやる!!」

そう言って、銭にがめつい少年から出たとは思えない言葉と共に、小さな包みをいろはに押し付ける。
包みの中身は小振りのお饅頭で、それをみたいろはは大喜びできり丸に頭を下げた。そんないろはを何とも言えない表情で見つめ、きり丸はぐしゃりとその小さな頭を乱暴に撫でる。
そして、精一杯の笑顔を作って、またな、と呟いて走り去った。

「きぃくんいっちゃった…あるばいと、いしょがしなのかな?」

「………そうだ、な…」

長次は去り際、後輩の頬に光ったものを見た。親がいなくなる悲しみを知っている少年は、これからのいろはに自分を重ねたのだろう。
彼の心遣いをそっといろはの巾着にしまい、小さな手を引いて、また歩き出す。





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八十翁神社のある山に到着したのは、お昼を過ぎた頃だった。
妖しくなってきた雲行きを心配しつつ、目の前に伸びる長い長い階段を一歩、また一歩と登っていく。
中腹まで上ったか、という時に、遂に恐れていたことが起きた。

「…やだ。いっちゃん、ここ、やだ!!いきたくない!!かえる!!」

何かに気が付いたいろはが、嫌だ嫌だと駄々をこね出したのだ。
怯えた顔でいやいやと首を振るいろは。
そのうち、ぱらぱらと雨が降り出したので、長次と澄姫は顔を見合わせ、少々強引な手段をとった。
長次ががばりといろはを抱え、階段を一気に駆け上がる。泣き喚くいろはを無言で見つめながら、澄姫も遅れないように階段を上がる。

長い長い階段の終わり、もう頂上が近いのだろうか。そこには小さな小さなお社がぽつんと佇んでいた。
とりあえず雨のしのげる場所でいろはを落ち着けようと、お社の軒下に腰を下ろして、澄姫が長次からいろはを抱き上げる。
先程からずっと泣き続けていたいろはは、疲れたのかひっくひっくと小さくしゃくりあげるだけ。

「いろは、ずっとここに一人でお願いに来てたの?」

優しく微笑んでそう問い掛けると、いろははべそをかきながらも小さく頷いた。こんな小さな体で、必死にあの長い階段を登って父と母に会いたいと願い続けたいじらしさに、澄姫の瞳にもじわりと涙が滲む。

「そう…そうなの。頑張って、会いに来てくれたのね…」

手段はどうあれ、そこまで会いたいと願ったいろは。
やっと願いが叶ったというのに、何と言う惨いことをしようとしているのだろうか。
そんな思いが浮かんでしまったが、澄姫は緩く首を振ってその考えを吹き飛ばした。
そして、白魚のような小指を、いろはの目の前に差し出す。

「いろは、母様と指切りしましょう?」

「ゆび、きい?」

「絶対に守る約束をするの」

そう言って、首を傾げたまま同じように手を出したいろはの小さな小さな小指に、自身の小指を絡ませる。

「母様と父様は、これからもっともっと鍛錬して、強くなるわ。いろはを守れるように、いろはを残して、いなくならないように。だからいろはも、必ず、また父様と母様に、会いに来て頂戴ね」

約束よと呟いて、いろはの小指を離そうとすると、突然、背後からぬっと伸びてきた大きな手の小指が、2人の小指を絡め取った。

「とーしゃま…も、やくしょく?」

「……ああ…」

澄姫ごと抱き締めるように、親子3人の指きりが交わされる。
ようやっと笑顔を見せてくれたいろはが絶対ね、と言ったその時、突然雨が激しくなり、遂には雷鳴まで轟き始めた。
長次と澄姫の脳裏に嫌な予感が走る。
ここは山の頂上。周囲には、何もない。かなり危険な状況だというのを理解した時には、既に遅かった。

目が眩むほどに空が光り、雷鳴が轟く。咄嗟にいろはを抱き締め庇った澄姫の体を、更に長次が庇うように掻っ攫う。
視界の隅に、眩い光。落雷の直撃を受けた社があっという間に炎に包まれる。
巾着の中に入ったいろはの大切な思い出を潰さないように、いろはの腹に抱かせて、腕の中の2人が絶対に怪我をしないように身構える。
雨に濡れた地面に肩から着地をする、その直前。
雷に驚いて呆然としていたいろはが、突然にぱりと笑った。

「とーしゃま…かっくいい!!」

愛らしい笑顔のまま、まるで閃光に溶けるように、長次の腕の中にあった小さなぬくもりは消えていった。



まるで永遠、しかし一瞬の出来事。ばしゃりと澄姫を抱き締めたまま地面に倒れた長次が慌てて体を起こし周囲を見渡すが、いろはの姿はどこにも見えない。
そして、激しかった雨もあっという間に止み、暗雲から光が差している。
未だ手に残る暖かな感触を逃さないといわんばかりにぎゅっと拳を握り、しかしそのぬくもりがあっという間に消えてしまった事実に項垂れていると、澄姫がゆっくりと体を起こして、小さな声で、あの子ちゃんと帰れたかしら、と呟いた。
ぼろぼろと大粒の涙を流しながらも、必死に笑おうとしている彼女を見て、長次も同じく一粒の涙を零して、きつく澄姫を抱き締めた。




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2人で手を繋いで、来た道を戻る。
間にあった小さな手は、もうここにはない。




長い長い道のりを、ゆっくりと歩いて、やっと辿り着いた忍術学園の門をくぐる。
いつも通り駆けつけてきた小松田さんの差し出す入門表にサインをして、すっかり暗くなったというのにずっと待っていてくれた友人たちへのお礼もそこそこに、澄姫はその日、夕食も取らずに自室に篭った。
誰もが彼女の心情を察して、その日はもう一言も発せず、各々自室へと戻っていった。



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翌日の朝、どこか空元気な小平太に普段と同じように叩き起こされた長次は身支度を整え食堂へ向かった。
するとそこには、しっかりと身支度を整えた澄姫が既に朝食を取っており、長次と小平太に気付いておはよう、とにこやかに声を掛けてきた。

「澄姫!!もう大丈夫なのか?」

「おはよう小平太、今日も元気ね。大丈夫って、何が?」

「何がって、いや、いろはのこと…」

珍しく言い淀む小平太に対して、澄姫はいつも通り、いや、それ以上の綺麗な笑顔で頷いた。

「いつまでも落ち込んでいられないわ。だって、あの子と約束したもの。もっともっと強くなるって、いろはを置いていなくならないように強くなるって」

「そうか…そうだな…うん、そうだな!!よーし、私も飯食って朝練だ!!」

彼女の言葉を聞いてすっかり元気を取り戻した小平太が朝食を取りに行き、徐々に食堂に生徒が集まる。
前向きな彼女を見て、落ち込んでいた生徒たちも少し元気が出たようだ。
姿を現した仙蔵、文次郎、伊作と、かなり落ち込んでいる留三郎も、これは負けていられないと一念発起。
途端に賑やかしくなった朝食の最中、一足先に朝食を食べ終えた澄姫は、湯飲みを持って長次の隣に場所を移した。
彼女のぬくもりを腕に感じつつ、ゆっくりと温かな味噌汁を啜った彼の耳に、甘い甘い声が飛び込む。

「強くなるって、約束したものね」

その言葉で、ちんまりした小指との約束を思い出す。
味噌汁を啜りながら頷いた長次は、この愛しい存在と、いつかまた会えるその結晶を守る為に、もっともっと強くならねば、と再度決意を固めた。


「……でも、やっぱりちょっと寂しいから、早めに作りましょ?」

くすくすと可愛く笑いながらのとんでもない爆弾発言に、激しく咽た。





−3人目の天女編 完−


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