河梁之吟

ちくちく、ちくちく。
一針一針、想いを込めて。
ちくちく、ちくちく。
あの子の為に、想いを込めて。

「………完成、と」

縫い終わりをしっかり止めて、持ち上げてみる。
鮮やかな蝶柄の、大ぶりの巾着。いろはでも持てるように取り付けた、腕を通す用の紐。これは長次の髪紐を貰った。
巾着の口を結ぶ紐には、澄姫が大切にしている簪の飾りをいくつか。
くるくると色んな方向から見て、その仕上がりの完成度の高さに満足そうに頷く。

「さすが私。完璧だわ」

そう自画自賛していると、遠くから悲鳴が聞こえた。
なんだろうと思い顔を上げると、4年生をおままごとに付き合わせていたいろはが立ち上がってどこかを見ている。
その視線の先、悲鳴が聞こえたほうから、なにやら動く黒と茶色。

「栗、桃!?小屋から逃げたの!?」

可愛がっている山犬の姿を確認した澄姫が驚いて、被害が出ないうちに対処しようと愛用の武器を手に取ったその時、物凄い勢いでこちらに向かって走ってきている2匹の正面に、あろうことかいろはが立ち塞がった。
慌てていろはの手を引く滝夜叉丸がなにやら喚いているが、いろはは動こうとしない。

「栗、桃!!お止めなさ…」

咄嗟に叫んだ次の瞬間、可愛らしい声が運動場に響く。

「くーちゃ、ももちゃ、おすわりよ」

両手を挙げて、まるで通せんぼでもするかの様ないろは。さすがに無理だと思った澄姫だったが、その予想は見事裏切られた。
さっきまでの脱兎の勢いはどこへやら、まるで何もなかったかのようにいろはの前でちょこんと座る2匹に、4年生はあんぐりと口を開けてその光景を見ている。
かくいう澄姫もあっけに取られ、気性が荒いはずの2匹の従順さに驚きを隠せない。

「おほー!!栗ー!!桃ー!!」

そんな中、八左ヱ門が大慌てで現場に駆けつけてきた。そして、その光景を見て、皆と同じようにあんぐりと口を開けて、おほ、と呟く。

「きゃは!!くーちゃ、ももちゃ、あしょぼー!!」

沈黙が支配する空気を裂いて、いろはが暢気に笑った。




その後、八左ヱ門から謝罪と共に桃と栗の小屋の損傷具合を聞いた澄姫は文次郎に抗議することを約束し、自分がいるから大丈夫だと、八左ヱ門に戻るよう指示をした。
その視線の先には、おままごとを続けるいろはと、4年生と、山犬2匹。
彼女はせり上がる笑いを堪えもせず、とことこと近付き、いろはに声を掛けた。

「いろは、いろは。母様に紹介してくれない?」

そう聞くと、いろははにっこりと笑って喜八郎の手を引いた。

「うん!!えとね、きはちろはね、いっちゃんのだんなしゃま!!にぃにぃがちょうなんでね、たかまるしゃんはおとなりのおくしゃま、しゅいちろがそのだんなしゃん!!」

「ぶっ…そ、そう、タカ丸くんが、おとなりの、お、奥様…」

「そーなの!!でね、みきがおとなりのちょうなん!!くーちゃはそんちょさんでね、ももちゃが…ももちゃ、だあれ?」

困ったように笑う三木ヱ門と、何だか納得いかなそうな滝夜叉丸。そして、意外と満足そうな喜八郎とタカ丸と守一郎。
パタパタと尻尾を振って大人しくしている栗の隣で、役割が唯一決まってなかったらしい桃が不機嫌そうに鼻に皺を寄せて、アウアウアー、と唸った。

はたから見ているとどこかの新喜劇のようなそのおままごとは夕食まで続き、いろはを先に食堂へ連れて行ってと4年生たちにお願いした澄姫は、栗と桃を連れて飼育小屋に向かった。

「まあ、大きな穴。これは通れちゃうわねぇ…」

2匹が暮らす小屋には確かに大きな亀裂があり、早急に修理しないとまたいつ何があるかわからない。
夕食のときにでも文次郎に脅しを掛けて予算をぶん取ろう、と1人頷いていると、突然2匹が甘えたように擦り寄ってきた。
ぴすー、という悲しげな声に、澄姫は思わず眉を下げる。

「………なんだ、お前たち。いろはがいなくなるかもって気付いちゃったの?」

小さく呟いて、ごわごわの背中を撫でる。

「だから、ここを通っていろはに会いに行ったの?」

彼女の言葉をまるで理解しているかのように、ぴーん、と栗が鳴いた。
そんな2匹の頭を優しく撫でて、それでもしっかり『もう勝手に出てはだめよ』と釘を刺す。
まるでごめんなさい、とでも言うかのようにぱたりと一度耳を動かし、2匹は大人しく小屋へと戻っていった。
苦笑しながらそれを眺めていた澄姫は、踵を返して食堂に向かう。
そんな彼女の耳に届いたのは、珍しいことに栗と桃の甘えたような鳴き声だった。


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