わるいこ
いろはが風邪を引いたその日、全生徒たちが放課後代わる代わる医務室を訪れた。
医務室の出入り口には長蛇の列が出来、各々が用意したお見舞い品を大切そうに抱え、今か今かと面会の時を待っている。
「いろはちゃんの面会は各学年一度でーす。並んでお待ちくださーい」
保健委員会の川西左近と三反田数馬が何度もそう呼びかけ、生徒たちもそれに大人しく従っている。
そんな光景を見て新野先生はにこにこと笑い、疲れない程度にしましょうね、と一言添えていた。
保健委員たちの案内でいの一番に医務室に通されたのは、1年い組の面々。
普段は棘棘したイメージがある彼らも、根はいい子たちなので、裏山で摘んできたという花をいろはに差し出し、早く元気になってまた一緒に遊ぼうねと一言告げると、大人しく医務室を出て行った。
1年ろ組の子達も同じように、自分たちといろはの似顔絵を描いた半紙を差し出し、ゆっくり休んでね、と一言告げて帰って行った。
誰もが心配していた1年は組も、さすがに体調が悪いいろはの前では大人しく、代表でしんべヱが用意したと言うお菓子を置いて、名残惜しそうではあるものの、1人1人いろはの頭を撫でてから長屋へと戻った。
2年生からは退屈しないようにと図書室から皆で選んで借りてきた御伽草紙を、3年生からは栄養がつくようにと生物委員会伊賀崎孫兵チョイスの新鮮卵を貰い、あっという間にいろはの寝ている布団の周りには贈り物の山が出来上がった。
熱が上がってきてしまったため少しぼんやりしながら、それでも嬉しそうにほにゃんと笑って皆に何度もありがとうと繰り返すいろは。
4年生の面会は少し大変だったものの、本人たっての希望で滝夜叉丸に抱っこをしてもらい、風邪が治ったらタカ丸に髪を結ってもらう約束をし、皆で雪遊びをしようねと喜八郎、三木ヱ門、守一郎と順番に指切りをしていた。
5年生からは兵助お手製の豆腐を、くノ一教室の子達からはお盆に乗せた可愛い雪うさぎを、そして更に、山本シナ先生からわざわざ着物を縫い直して作ったという半纏を、食堂のおばちゃんからは3年生に貰った卵と5年生から貰った兵助お手製豆腐を使った特製の卵粥を差し入れて貰い、いろはは大喜びなものの、澄姫はもう笑うしかなかった。
その後、一連の面会を終え、その日一晩は医務室で療養することとなったいろは。夜通し伊作がついて面倒を見ることになり、何かあればすぐ呼んでくれと言う長次と澄姫も後ろ髪を引かれつつ医務室から出て行った。
卵粥も食べ終わり、昼間とはうってかわって我侭ひとつ言わず薬を飲んだいろはは早々に眠りにつき、伊作はそれを見ながら薬草の在庫確認をしていた。
それから、どれくらい経った頃だろうか。
ふと、火鉢の中の炭がぱちりと爆ぜた音で、伊作は手元から視線を上げた。
それとほぼ同時に、いろはが布団からむくりと起き上がる。
「あれ、起きちゃった?」
「いしゃっくん、のど、かわいた…」
「ああそうか、じゃあちょっとお水を飲もうね」
いろはの要求に伊作は小さく笑い、そっと背中を支えながら枕元に置いてあった水筒を取り、水を飲ませてやった。
ついでに額に手を当ててみると、随分と熱は下がっており、これなら明日か明後日には元通りかな、と考える。
「っぷは…あーとぅ」
「どういたしまして。じゃあもう少し寝ようか」
水を飲み終え満足そうないろはにそう言うと、もう一度布団に寝かせて、寒くないようにしっかりと掛布団を引き上げる。
大人しく横になったいろはだが、数回瞬きを繰り返した後、小さな声でねーねー、と呟いた。
「ん?どうしたの?目が冴えちゃった?御伽草紙でも読んであげようか?」
そう問い掛けると、いろはは小さく首を振る。普段とはどこか違ういろはの様子に伊作が首を傾げていると、布団から手だけを出して、いろはは自分の髪を人房摘んで笑った。
「いっちゃんのかみのけね、とうさまとおなじいろなんだって…まっすぐで、きれいねーって…」
突然喋り出したいろはに少しだけ驚いたものの、伊作は持っていた薬草を床に置き、いろはの布団の傍に移動して、笑顔で頷いた。
「そうだね、いろはちゃんの髪の毛は長次にそっくりだね」
「うん…おかおはね、かあさまのちいさいころにそっくりなんだって…」
「それは僕たちも思ったよ。1年生の頃の澄姫とよく似てる」
「ほんとう?いっちゃんもおっきくなったら、かあさまみたいなびじんになれるかなぁ?」
「性格は似て欲しくな…いやいや、うん、きっとなれるよ」
そう言いながらそっと頭を撫でてやると、いろはは突然、その大きな瞳からぽろりと涙を一粒零した。
あまりにも唐突なことで、思いっきり慌ててしまった伊作がどこか痛いのかと問い掛けると、いろはは小さな手でぐしぐしと目を擦り啜り泣きながら、ごめんなさい、と呟いた。
「…いっちゃんね、ほんとうはすごくわるいこなの…ごめなさい…」
「悪い子じゃないよ!!いろはちゃんはとっても良い子じゃないか!!」
「ちやうの。わるいこなの…だってね、いっちゃんね、ずっとずっと、うそついてたの…」
「うそ?」
いろはから発せられた“うそ”という単語に、伊作は思わず怪訝な顔をする。咄嗟に脳裏を駆け抜けた、未来の長次と澄姫の子供、という誰かの声。
そんな脳裏の声を一度頭を振って吹き飛ばし、伊作は掛布団ごといろはを抱き上げて、その背中を摩りながら、いろはの言葉を根気よく待った。
「いっちゃんのおうち、ここじゃないの…本当はね、もっとおやまのなかのおうちでね…」
「うん…」
「にぃにぃとね、いっしょにすんでるの…」
「にぃにぃ…滝夜叉丸と?長次や澄姫は一緒じゃないのかい?」
なるべく優しくそう聞くと、いろははぐっと唇を噛み締めて、一度だけ頷いた。
そしてその先伊作が聞いた言葉は、彼が想像していた以上の話だった。
「とうさまとかあさまはね、いっちゃんがあかちゃんのときに、しんじゃったんだって、にぃにぃがいってた…むつかしいおはなしだから、いっちゃんよくわからなかったんだけど、にぃにぃがいつもかなしそうにおしえてくれたの。いっちゃんのとうさまとかあさまは、すごくりっぱなひとで、いっちゃんのことまもってくれたんだよって、らんちゃんにかいてもらったとうさまとかあさまのえをみせてくれてね、いっちゃんにおしえてくれたの…」
「し………そんな、まさか…」
「でもね、いっちゃんさみしくてね、おはなしでしかきいたことがないとうさまとかあさまにあいたくてね、まいにちかみさまにおねがいしてたの…」
「神様?」
「うん。にぃにぃがあぶないからぜったいにいっちゃだめっていつもおこるんだけどね、いっちゃんね、どうしてもとうさまとかあさまにあいたかったの…っ…いっちゃんがかあさまにあったひもね、いっちゃん、にぃにぃにないしょでかみさまにおねがいしにいったの。それでね、かみさまにとうさまとかあさまにあいたいですっておねがいしたらね、おそらがぴかってひかってね、そいでね、いっちゃんね、ながいながいかいだんからおっこっちゃったの…ごちんってなってね、いたくてないてたらね、かあさまがきてくれたの。いっちゃんね、おねがいごとがかなってうれしくってね、とうさまにもだっこしてもらえたしね、うれしくってね、ほんとうのことずっといえなかったの…」
ひっくひっくと泣きながら、ずっと心の中に溜め込んでいたことをようやっと吐き出したいろははそのまま泣き寝入りしてしまった。
あまりにも衝撃的なことを聞いてしまった伊作も、ぐわんぐわんと不自然に揺れる頭と心に動揺を隠せない。
しかしこのままではいけないと、数回深呼吸をした後、いろはを布団に寝かせてなるべく音を立てないようにお茶を入れ、ホカホカと湯気を立てるそれを啜りつつも、たどたどしい声で語られた内容を頭の中で整理していく。
「(落ち着け僕、落ち着くんだ僕、まずは整理をしていこう。
いろはちゃんは嘘を吐いていると言った。でもそれは長次と澄姫の娘、というのがではなくて、一番最初にあの子が話した内容のことだ。
本当は『母様と遊んでいた時に雷が鳴って、気がついたらここに居た』ではなくて、『滝夜叉丸に内緒で“神様”にお願いに行ったら雷が鳴って、驚いて階段から落ちたらここに居た』ということか。
そして、既にいろはちゃんの両親である長次と澄姫は何らかの理由により他界していて、代わりに山の中のお家で滝夜叉丸に育てられている。滝夜叉丸に育てられて良くあんな素直な子に育ったな…って、そうじゃなくて!!
えっと…長次と澄姫を見て迷いなく父様、母様と言ったのは、滝夜叉丸が乱太郎の描いた2人の似顔絵を見せていたから…乱太郎は絵師にでもなったのかなぁ?ってちがうちがう!!
うーん、でも外堀を固めていくと、いろはちゃんは長次と澄姫の子供で間違いないんだよね。外見はさることながら、小平太のことも竹谷のことも不破のことも知ってたし、自己紹介の前に何人も名前を言い当てているから、未来でも交流がある、つまり知り合いで間違いない。
いろはちゃんの言葉を全て真に受けるなら、両親に会いたい一心で神頼みの末、神隠しに遭って…いやでも熱に浮かされてよくわからないことを口走ったって可能性もあるけど、でも、意識ははっきりしてたし、何よりぼろぼろ泣いてたしなぁ…)
んー………だめだ。僕だけじゃ混乱しちゃって考えが纏まらない…明日皆に相談してみよう」
考えに考え抜いた結果、1人ではもうわからないということに落ち着き、すっかり冷めてしまったお茶を啜りつつ、いつの間にか降り始めた雪を眺めて、伊作は夜が明けるのをじっと待つことにした。
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