中年忍者

その日の授業開始前までに、学園中の隅々までいろはが風邪を引いたという話は伝わった。
学園長は大慌てで医務室に駆け込み、午前中は先生も生徒もそわそわ。
昼食時も、いろはの顔が見えないというだけで食堂全体の雰囲気がどことなく暗い。
大半の生徒が、大慌てで食事を終え、残った昼休みは医務室に詰め掛ける、という状態になって、さすがの新野先生も苦笑いを隠せなかった。

「うぇぇぇん、ふえっ、わぁぁぁん!!」

昼前から徐々に熱が上がってきてしまったらしいいろはが辛そうに泣き続けている。
子供の発熱、といえば軽く聞こえるかもしれないが、長次と澄姫は初めての体験のためオロオロしっぱなしである。
同じく他の、それこそ学園長も、いろはが泣くたびに大騒ぎ。
小児科とレントゲン科専門の新野先生が大丈夫だからと宥めても、やれあそこの秘薬が解熱にきくだとか、遠い遠い山に自生している薬草が風邪にいいだとか、老体に鞭打ち無謀な冒険に出ようとしている、まさに地獄絵図。
子守が得意なきり丸も、その余波を受けて苦労している土井先生も、さすがに体調不良の子供を預かったことはないので困り果て、全生徒にじわりじわりと不安が広がっていく。

「大丈夫よいろは、大丈夫だから、お願い、このお薬を飲んで頂戴」

そんな不安をひしひしと感じながら、懸命にいろはに薬を飲ませようとする澄姫。しかしいろははいやいやと首を振り、それが辛くてまた泣く、の繰り返し。
困り果てた長次と澄姫に新野先生が助言をしようとしたその時、医務室に救世主の声が飛び込んできた。

「なんだなんだお前たち、もうすぐ昼休み終わるぞ?教室に戻りなさい」

「そうですよ。いつまでもこんなところにいては邪魔になるでしょう」

そう言って、医務室に足を踏み入れたのは、1年生の担任、山田先生と安藤先生。
2人はそれぞれ手に桶とお盆を持っており、出入り口の生徒たちを掻き分けて、困り果てる長次と澄姫の隣に腰を下ろし、いろはを覗き込んだ。

「おーおー、泣いた所為で熱が余計に上がったなぁいろは」

「そうみたいですねぇ、よっこいしょっと」

山田先生の笑いを含んだ言葉に、安藤先生が頷いて、慣れた動作で澄姫からいろはを抱き取る。
困惑している彼女をよそに、安藤先生は持ってきたお盆に乗っていた湯飲み、それに並々と注がれている白湯に布を浸し、いろはの口元に近付けた。
最初は泣き叫んでいたいろはも、口元に当てられた湿り気に気付き、ちうちうとしゃぶり始める。
少し大人しくなった時を見計らい、山田先生が桶に小さな布を浸し、きつく絞り、いろはの脇の下や首元にどんどん当てていく。

「山田先生」

「はいはい、どうぞ」

まるで阿吽の呼吸、とでも言わんばかりの動作で、安藤先生の呼びかけに対して山田先生が小皿を差し出した。
小皿には先程まで澄姫が悪戦苦闘しながらもいろはに飲ませようとしていた薬が少量の水で溶かされており、安藤先生は匙でそれを掬い、少しずついろはに飲ませてはまた白湯をしゃぶらせる、という行為を何度となく繰り返した。

「さすが、お子さんがいらっしゃる先生は慣れておられますねぇ」

すっかり落ち着いたいろはを布団に寝かせた安藤先生に、新野先生がにこにこしながら声を掛けると、2人は顔を見合わせて小さく笑い、そりゃあ親なら誰もが通る道ですから、と言った。

「さ、授業始まるから教室戻りなさーい」

「中在家君と平君も、いろはちゃんは新野先生にお任せして、教室に戻りなさいよ」

そして再度、医務室の出入り口で唖然としている生徒たちに呼びかけ、あまりの意外(?)な光景に目が点になっている長次と澄姫にも声を掛け、すたすたと医務室を出て行った。

「…親って凄いのねえ、長次…」

「………ああ……」

「慣れてしまえば、そう言うものですよ。さあ、いろはちゃんも寝てしまいましたし、そろそろ授業に遅れますよ?」

穏やかに笑う新野先生に促され、2人は慌てて教室へと向かった。
午後の授業の間、いろははずっと大人しく眠っていたそうだ。


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