暴君は語る

それは、まだあの2人が付き合い始めて間もない頃の話。

「なあなあ、長次!!」

同室であるこの仏頂面の友人に、とても美人な恋仲が出来たのは、つい昨日のことだった。
長次の活動拠点である図書室で、いつの間にやら学園の影の名物になってしまった彼女からの告白を受けて、でも彼女の本音を信じ切れなかった長次は、半ばヤケクソ気味に彼女を問い質したらしい。
その時に、あの気丈な女が泣いてしまったことに驚き、そして、自分なんかに惚れるはずもないと常々言っていた長次は見事というか、遂に陥落。
晴れて恋仲になったと、今日の朝に聞かされてそりゃあ驚いたもんだ。

「……なんだ?」

気は優しいが見た目が怖いこの男。6年生で集まって酒盛りをするたびに、きっと結婚するのは長次が一番最後だろうなぁとみんなで笑っていたが、どうもそれはひっくり返されそうだ。

「澄姫とは、結婚を前提で付き合うのか?」

そう問い掛けてみれば、ばしゃばしゃと顔を洗っていた同室の男は、水を汲んだままの桶に勢いよく顔を突っ込んでしまった。
慌てふためいて彼の肩を掴むと、ふと赤い耳が視界に飛び込み、思わず口角が吊り上った。
ごほごほと咽ながら、突然何を言うんだと目だけで訴えてくる長次に、私はにまにまと黙って笑っていた。
すると、そんな私の笑顔の意味を察したのか、静かに溜息を吐いて、長次はほんの少しだけ、それこそ、私にしか分からないくらいに頬を染めて、視線を逸らして呟いた。

「……自分は、そのつもりだ…」

「くぅーっ!!羨ましいな!!このこの!!」

長次の呟きにそう言って肘で彼のわき腹を突くと、彼は大袈裟にごほごほと咽せ、得意武器の特訓で傷だらけの掌で私の肘を押さえつけた。

「…だが、平は、わからん…」

そう呟いた彼の言葉に、私は目を真ん丸く見開いて、ぽかりと口を開けた。

「……小平太…?」

「ちょ、長次…お前、まだ澄姫のことを名前で呼んでないのか!?」

「…まぁ、その…なんだ…タイミングが…」

恋仲になったというのに悠長にそんなことを言っている長次の腕を掴み、私は一目散に食堂へと駆け込んだ。




「澄姫ーーー!!!」

勢いよく、とはこのことをいうのだろうなとぼんやりと考えながら、食堂の隅に見つけた綺麗な長い髪を目指し、私は声を張り上げた。
その声の大きさに食堂にいた全員が振り向いたような気がしたが、そんなことは気にしない!!
長い髪を揺らして仙蔵と飯を食っていた澄姫が驚いて振り返ると同時に、私は彼女に詰め寄った。

「聞いたぞ!?長次と恋仲になったのだろう!?」

「なっ…!!」

私の問い掛けに絶句した彼女の隣に座っていた仙蔵が、冷やかすようにひゅーひゅーと口笛を鳴らしたが、そんなこともどうでもいい!!

「なのにお前、長次に平と呼ばれているって何だ!!?」

何だって何よと、頬を赤らめながらも眉を顰めて言い返してくる言葉を無視して、私はぐいぐいと長次の顔を彼女に近付けながら、長次が可哀想だと叫んだ。

「お前は知らんかもしれんがな、長次はずっーとお前の告白に悩んでいたんだぞ!?無口で無愛想な自分に本当に惚れているのか、それともただ単に遊ばれているのか悩んでな、眠れない日だってあった!!それが晴れて恋仲になったのに何だ、平って!!恋仲なら恋仲らしく名前で呼び合わんか!!長次も長次だ!!お前の女なんだろう!!名前でしっかりと呼んでやれ!!」

そう言い放って、どんと長次の背中を押す。
顔がくっつくほど近くなった2人は慌てふためいて真っ赤になっていたが、もじもじと両手の人差し指を擦り合わせて、ちらちらと視線を絡ませて、遂にはひっそりと指を絡ませ始めた。
そして、小さな小さな声で、長次が口を開いた。

「……いいか…?」

「……え?」

「…名前で、呼んでみても…いいか?」

その言葉に、私はぐっと胸を掴まれるような感じがした。
勘違いをするなよ!?長次が男らしさを見せたから感動しただけだ!!
そんな長次の言葉に頷いた澄姫を見届け、ついに、ついに長次が彼女の名前を呼んだ。

「……澄姫…」

わいわいと賑わうはずの朝の食堂が、一瞬にして静まり返る。
誰もがみな、長次の言葉に耳を澄ませ、また澄姫の返答を待っていた。
しかし、どれだけ経っても反応は伺えない。
不審に思い長次の顔を見ると、彼は何と顔を掌で覆ってその耳を真っ赤に染めていた。
対して、澄姫もまた両手で顔を覆い、小さな、それこそ蚊の鳴くような声で、一言だけ「鼻血でそう…」と呟いた。
そんな様子を呆れ返って眺めていたら、仙蔵についついと袖を引かれ、強かに引っ叩かれた。

「痛い!!」

「馬鹿者。これに懲りたら余計なお節介は二度とするなよ」

「わ、私は良かれと思って…」

「それが余計だというんだ。見てみろ、あの2人を」

そう言われ、仙蔵の指差す先を見てみると、それはもう林檎のように真っ赤っかな長次と澄姫がいて。
どことなく介入し辛い空気を感じて一歩後ずされば、仙蔵が困ったように大きく息を吐き、額を押さえる。

「あの2人にはあの2人のペースと言うものがある。無理にせっついたって碌な事はないし、下手すれば馬に蹴られるぞ」

「…肝に命じておく」

仙蔵の言いたいことを察して、私は静かに頷き、慣れないことはするもんじゃないなと心底後悔したのだった。







「…そんなことも、あったな…」

「笑い事じゃないぞ長次!!私があの後どれだけ仙蔵に怒られたか!!」

蝋燭の明かりに照らされながら、布団に身を滑り込ませてぷりぷりと怒鳴ると、長次は困ったように眉を下げた。

「あの後からちゃんと名前呼びになったからいいものの、当時のあのまごまごさは今思い出しても苛々する!!」

そう言って布団をばすりと蹴ると、長次に埃が立つ、と窘められた。
私は唇を尖らせながら、長次に叱られない程度にばすばすと布団を足で弄び、でも、と長次の顔を見た。

「2人が恋仲になって、私はすごく嬉しかったんだ!!」

にかりと笑ってそう言うと、長次も同じように目だけを嬉しそうに細めて、小さな声でありがとう、と呟いた。
そんなどこまでも穏やかな同室の男が、いつまでも幸せであるように、私は願わずにはいられないんだ。
なぁ?



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お節介暴君が書けて楽しかったですw
桔梗様、リクエストありがとうございました



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