挨拶回り〜図書委員会〜

土井先生と乱太郎の取引(?)が成立したことは露知らず、澄姫はいろはを抱いたまま幸せそうな山田先生たちに一礼し、職員室を後にした。

「かあさま、どこいくの?」

にこにこといろはに問われ、彼女は父様のところよ、と答えた。それに喜んだいろははきゃっきゃとはしゃぐ。しかし、彼女はぴたりと立ち止まり、いろはを一度下ろして真剣な顔で語りかけた。

「いい、いろは。父様のいるところは本がたくさんおいてある図書室というところで、静かにしないといけないの。しぃー、よ?」

「しぃー…?にんじゃだから?」

「それもあるけれど、皆が静かに本を読んだりお勉強する場所だから、邪魔になっちゃうでしょう?それに長次が…父様がね、図書室では“危ないものを持ち込まない”“ご飯やお菓子、飲み物を持ち込まない”“騒いではいけない”って決めていて、それを破ると…」

「やぶると…?」

首を傾げながらも、彼女が漂わす緊張感を察したのか、いろはは不安そうに繰り返す。それを見て、澄姫は伝わるかしら、と思いながらも小さな声で続けた。

「長次が…父様が、笑うわ」

「とうさま、わらうの?にこってするの?やぶるとうれしいの?」

「いいえ、フヘッてする方よ…」

まるで脅すように低めの声でそう言うと、いろはは良くわからない、とでも言うように首を傾げた。しかし、彼女の訂正を聞いて、小さな体をびくりと震わせて、この世の終わりのような表情をする。

「…とうさまがこわいほうのやつだ…いっちゃん、しぃーって、する…」

心なしか青褪めた顔で小さく呟いたいろはを見て、澄姫は笑いを堪えるのに必死。どうやらいろはの父になった長次も、少なくとも一度以上、娘にあの怒り方を見せたのだろう。そう考えると、大変面白い反面、なんだか喉の下辺りがむず痒い。いろはの父になった長次と、母になった自分は、一体どのようになっているのだろうか…心が温かくなるような想像図を思い浮かべながら、怯えるいろはを抱き上げ、いい子にしてたら大丈夫よ、と慰め、図書室に向かった。



極力音を立てないように図書室の扉を開けると、そこでは図書委員会が本の整理や貸し出し記録のチェックをしている最中だった。
入室の際に目が合った二ノ坪怪士丸と能勢久作に軽く会釈をして、いろはを抱いたまま図書カードに目を光らせている長次に近寄った。

「長次、お待たせ」

「……あぁ、少し…待っていて、くれ…」

邪魔をしないように控えめに声を掛けると、長次は手は止めず視線だけを向けて、小さく微笑んだ。
それを見たいろはがびくりと身を竦ませて、澄姫の胸にばすりと顔を隠す。

「…いろは?」

不思議そうに小さく問い掛けた長次から、まるで逃げるような隠れるような、そんな行動を示すいろはに、彼女が小さく笑った。

「ごめんなさい、ちょっと脅かしすぎちゃったみたい…」

「…脅、かす?」

「図書室では騒がせたらいけないと思って、静かにしないと長次が笑うわよって言い聞かせたの。それが、思いのほか効きすぎたのね」

再度ごめんなさい、と謝る澄姫だが、その表情は大変楽しそうに歪んでいる。それを見て長次は彼女の滑らかな頬をそっと指で摘んだ。

「…まったく…」

そう呟いたもののしかし、彼は喉の奥で小さく笑い、優しい眼差しで悪戯に笑う彼女を見つめた。
そして、するりと頬を撫でていた手をいろはの頭にそっと乗せる。

「…そんなに、怯えなくても…いい。今日は、遊びに…来たのだろう?」

恐々と顔を上げたいろはに優しく言うと、いろははこくりと頷いた。

「…いろはのために、ボーロを焼いておいた…あとで、皆と…食べるか?」

「………たべう…」

長次にそう言われ、いろはは嬉しそうに、それでも小さな声で答えて、彼女の腕から長次の腕にくるりと跳びついた。
ぐりぐりと胸に頭を擦り付けているいろはを抱えたまま、長次は図書カードの整理をさくっと終わらせるべく作業に戻った。
それをにこにこと見ていた澄姫の背後に、いつの間にやら5年生の不破雷蔵が本を抱えたまま立っており、同じように満面の笑みで見つめていた。

「ふふ…可愛いですね。あんまり待たせちゃ可哀想だし、早く終わらせないと」

「そうね、私も何か手伝うわ」

「助かります」

勝手に吊り上ってきてしまう口角をそのままに、彼女は雷蔵からいくつか本を受け取り、図書委員会の作業を手伝った。

作業はあっという間に滞りなく終わり、図書委員会の面々は飲食厳禁な図書室を一旦留守にし、食堂に向かった。
おばちゃんが仕込みをする中、長次があらかじめ用意していたボーロを切り分けて机の上に置く。
それを見て、いろはときり丸、怪士丸の目がキラキラと輝いた。
忍術学園で隠れた名物になりつつある長次のお手製ボーロに舌鼓を打ちつつ、長次の膝の上ではしゃぐいろはと、楽しそうな図書委員会。

「はは!!いろは、口のまわりにいっぱいついてるぜ!!」

「ふふ…ほら、こっち向いて?」

長次の両脇に座っていたきり丸がいろはの顔を見て笑い、怪士丸がいろはの口の周りを拭いている。
それを見て、優しいなぁ、と笑っていたきり丸だが、突然正面から同じように口元を拭われ、きょとりとする。

「お前だっていっぱいついてるぞ」

そう苦笑しながらも、ぐいぐいと些か乱暴にきり丸の口元を拭った久作。
彼の珍しい行動に驚きながらも、きり丸はくしゃりと嬉しそうに笑った。
それを見ていた雷蔵が、なんだか家族みたいだね、と呟いた。

「中在家先輩がお父さん、澄姫先輩がお母さん、僕が長男で、久作が面倒見のいい次男、きり丸と怪士丸が双子の弟で、いろはちゃんは待望の妹…なぁんて」

そこまで笑顔で話して、雷蔵はハッとして口を押さえ、しまった、と顔を顰めた。そこまで気にしていたわけではないが、きり丸の前で余りにも無神経な発言をしてしまったと青褪める。
しかし、ちらりと伺ったきり丸は、しばしぽかんとした後、嬉しそうに笑って雷蔵を見た。

「へへっ…雷蔵兄ちゃん!!」

「!!…なぁに、きり丸」

頬を染めて、心底嬉しそうにそう呼ばれ、雷蔵も同じように笑い、優しく答える。内心ホッと胸を撫で下ろした雷蔵は、しかし気を遣わせてしまったのかと眉を下げた。
その時、微妙に曇ってしまったその空気をぶち壊すかのように、いろはが大きな声で喜びの雄叫びを上げた。

「みんななかよしねー!!みんないっしょ、ひしゃしうびねー!!」

「「「「ひしゃしうび?」」」」

「う?…ひしゃ…し、ひしゃしう…ししゃしぶい…?」

「…ひょっとして、久し振り?ってこと…?」

雄叫びの中に含まれていた理解不能な言葉を雷蔵が解読すると、いろはは大きく頷いた。
それを聞いて、澄姫がくすくすと笑い出す。

「澄姫先輩?どうしたんですか?」

久作が不思議そうに問い掛けると、彼女はそんな彼の頭を撫でながら口を開いた。

「どうやら未来でも、私たちは定期的に会っているみたいね。6年生が集まったときも、いろはは皆一緒って言ったの。この子がそう言うってことは、この子が生まれてから…少なくとも一度以上、顔を合わせているってことでしょう?それに加えて久し振りってことは…」

「……複数回、会っているということか…」

「そういうこと。本当、図書委員会は仲が良いわね。ね、いろは?」

久作に手を振り解かれながらも懲りずに撫で回しながら、そう言った澄姫の言葉に、長次がどことなく嬉しそうに頷く。それを見て、同じように頷いた彼女がいろはにそう聞くと、いろははじたじたと長次の膝の上で暴れて、床に下ろしてもらったら一目散に雷蔵に跳びついた。

「ねー?らいにぃにぃ、いしょがしいけどいっちゃんちあしょびきてくれるもんねー」

「ふふ、そうなんだ」

「なのー!!きゅーにぃにぃも、きぃくんも、あーくんも、みんなー!!」

雷蔵に抱き上げられながら両手を広げて楽しそうに語るいろはを見て、久作ときり丸と怪士丸が顔を見合わせて、くしゃりと笑った。

ほのぼのとした空気が漂うそんな中、雷蔵がせがまれて高い高いといろはを抱えたその時、突然いろはの体がもっと高いところにあがって澄姫がぎょっとした。

「誘拐犯!!」

「誰がだ!!遅いと思ったらこんなところで…ったく!!長次、図書室で浦風が困ってたぞ?」

「…!!」

彼女の悲鳴(?)に怒鳴り返した留三郎が、いろはを抱えながら長次に告げる。どうやら図書委員会の面々とゆっくりしすぎてしまったらしい。
図書室に様子を見に行った留三郎が、利用者が待っていることを長次に教えると、長次たち図書委員会は慌てた様子でいそいそと片づけを済ませ、ばたばたと食堂を出て行った。

「とーさまー!!おしおと、がんばっちぇー!!」

その背中に元気良く手を振りながら、いろはは留三郎に抱かれて用具委員の待つ運動場の倉庫に向かった。
そんな2人の後ろを歩きながら、彼女は小さく呟いた。

「…私、そんなに子持ちに見えるのかしら…」

それは先程、雷蔵の呟いた家族みたいという言葉でふと浮かんだ疑問。
勿論彼としてはそんなつもりで言ったわけでもなく、ただ純粋にその空気が、雰囲気がまるで家族のようだと思っただけなのだが

「………」

彼女には少しだけ、方向違いの誤解を与えてしまったようだ。

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