挨拶回り〜会計委員会〜

ある程度戯れた後、さて、と澄姫がひょいといろはを抱き上げた。
不満そうな声を洩らしたいろはに、彼女は笑って言った。

「そろそろ会計委員会に行きましょうか。文次郎が待ちくたびれているわよ?」

「もんちゃん!!もんちゃんとこいくー!!」

「ぶっくく…もんちゃん…!!」

両手を挙げて喜ぶいろはの言葉に、八左ヱ門を筆頭に生物委員会の全員がくすくすと笑う。そんな彼らに小さな手を精一杯振って、2人は会計室に向かった。

相変わらずバチバチと算盤を弾く音が耐えない会計室の扉を、いろはが勢いよく開く。その音で、全員の視線がいろはに向いた。
しかしそんなことはお構いなしに、いろはは文次郎に向かって突進。

「もんちゃ、あそび、きたよー!!」

「そうか、ここの計算が終わるまで待ってろ」

飛びついてきたいろはを胡坐の上に乗せ、文次郎はバチバチと物凄い速さで算盤を弾く。ぎっしりと書き詰められた帳簿を不思議そうに眺めていたいろはは、目に付いたところを声に出して読み上げ始めた。

「んと、んと…ひとーつ、みっちゅ…」

その声に、文次郎がくっと喉の奥で笑った。

「…こっちは?」

「えと、えと…やっちゅ…?」

「ほぉ、すごいな。幾つまで数えられる?」

「んとね、ひとーつ、ふたぁつ、みっちゅ、よっちゅ、むっちゅ、いちゅつ、ななーつ、やっちゅ、ここのちゅ、…とぉ!!」

「よっつの次はいつつだ、その次がむっつ。しかし凄いな。お前今幾つだ?」

「いっちゃんみっちゅ!!」

「みっつか…それで十まで数えられるとは大したもんだ。だが指が違う。みっつはこうだ」

すっかり算盤を弾く手を止め、文次郎はいろはの小さな手を掴んでもう一本指を立てさせる。その様子を見ていた井桁は2人揃って筆を取り落とし、萌黄はカポリと口を開けている。紫はただでさえ大きな瞳をこれでもかというほど見開き、小さな声で“え、誰…?”と呟いた。
必死に笑いを堪えていた澄姫だったが、その一言で我慢ができなくなり噴き出してしまう。
ハッとした文次郎が耳まで真っ赤にして怒鳴ろうとしたその時、可愛い声が会計室に響いた。

「ちゃむらー!!!」

「はい!!すいません!!って、え!!?」

つい反射的に謝った三木ヱ門だったが、声の主を見て驚く。なんと、今まで文次郎の膝に座っていたいろはが、ふんぞり返って彼の前に立っていた。

「え?えっと…いろは、ちゃん?」

「ちゃむらー!!!」

「わぁ!!何、何!?なんで私は怒鳴られているの!?」

「だってもんちゃんもにぃにぃもそうよぶよ?おおきいこえでちゃむらーっ!!て」

きょとりと首を傾げてそう言い放ったいろはに、文次郎は顔を背けた。井桁と萌黄は肩を震わせており、澄姫も我慢できなくなって笑い出す。

「あっはははは!!そうね、文次郎も滝もそう言うわね!!」

「澄姫先輩笑い事じゃないです!!いろはちゃん、お願いだから真似しないで!!」

「ちゃむらー!!は、だめ?」

「だめ、というか悲しくなっちゃう、かな?」

三木ヱ門が眉を下げてそう言うと、いろはは彼の頭をよしよしと撫でた。

「かなしいの、よしよし。でもいっちゃん、おなまえわかんない」

「私は田村三木ヱ門だよ」

「ちゃむら、みきえも…みき?」

「あ、それでも呼び捨てなんだ…」

まぁいいか、と呟いて、三木ヱ門は頬を掻いた。そんな彼に今度こそ迫力の怒号が飛ぶ。

「田村ァァァ!!いつまで手を止めとるんだ!!ちゃっちゃと終わらせんか!!」

「ヒィィ!!すみません!!」

その怒鳴り声で、部屋に算盤の音が再度響き出す。ちょこちょこと部屋を歩き回るいろはが気になるが、委員長が怖くて声を掛けられない下級生たち。
その内のひとつ、3年生の神崎左門の前に、突然いろはがちょこんと座り込んだ。
ぽかんとした左門だったが、にへっと笑ったいろはにニカリと笑う。

「おにちゃ、それ、かして?」

「ん?これ?筆のことか?」

左門に小さな手を伸ばして筆を掴んだいろは。邪魔しないように見ていた澄姫が立ち上がろうとしたその時、べちょりという音が算盤の音に混じり会計室に響いた。
なんと、いろはが手にした筆を左門の顔にべとりとつけている。

「こらっ、いろは!!だめでしょう!!左門、ごめんなさ…」

鋭くいろはを叱りつけ、慌てて左門に謝る澄姫。だが、彼女は言葉の途中で思わず固まってしまった。
それもそのはず、いろははちょうど左門の目の下辺りに真っ黒な墨をつけたのだ。まるで、文次郎の隈のように。

「これ、もんちゃんといっしょ。おにちゃ、ぎんぎん!!」

澄姫が固まっている間に、もう片方の目の下にも立派な隈を描き、いろははにっこりと笑う。その左門の顔を見て、井桁2人は我慢出来ずに腹を抱えて笑い出した。

「あっはっはっはっは!!神崎先輩!!凄い隈ですよ!!」

「はっはっはっは!!すごい!!すごい!!ひぃー!!」

笑いが止まらなくなってしまった団蔵と佐吉の声で、固まっていた澄姫もぶるぶると震え出した。すると、唖然としていた左門がぎゅっと眉間に皺を寄せ、いろはを睨みつけた。
怒鳴るかと思われたが、左門の発した言葉は意外なもので。

「ギンギーン!!」

どこから取り出したのか、苦無を2本両のこめかみにあて、大きな声で叫んだ左門。その叫び声で、今まで必死に耐えていた三木ヱ門も盛大に噴き出した。
その場で立ち上がり、色々なポーズ(恐らく文次郎の真似)をする左門に、いろはは大喜び。

「もっ…もうだめ…!!あっははははは!!ご、ごめんなさっ、あははは!!」

とうとう堪えきれなくなった澄姫も笑い始めると、文次郎が片手で顔を覆い呟く。

「神崎左門、それは一体誰の」

「お前は大体あんな感じだぞ?」

静かに呟いた文次郎の言葉に被せるように、爆笑響き渡る会計室に涼やかな声が混ざった。

「あー!!せんちゃん!!」

「あまりに遅いからな、迎えに来た」

テンションのあがったいろはが仙蔵の足にしがみ付き、ぱぁと笑う。彼の登場により少し落ち着いた会計室。だが、仙蔵はくるりと左門に向き直り、ふっと笑った。

「神崎左門、お前は文次郎を良く見ているな。とても似ていたぞ」

その一言で、会計室は再度爆笑に包まれた。

「ほら、いろは、左門にちゃんと謝りなさい」

「さも…?おにちゃ?おにちゃ、ごめなさい…」

「いいよ!!楽しかった!!また遊ぼうな!!」

まるでひまわりのように笑った左門と、腹を抱えている井桁2人、そして、爆笑が止まらなくなったらしい三木ヱ門、渋い顔をしている文次郎に見送られ、いろはを抱き上げた仙蔵について澄姫も会計室を出ると、いろはがいなくなったからか遠慮のない怒鳴り声が聞こえた。

「神崎ィ!!いつまでやっとるかー!!」

「すいません!!顔洗ってきます!!」

「な、何!?よせ!!終わってからにし、ちょ、待たんか神崎!!そっちは窓、こらー!!一体どこへ行くー!!」

そんなやりとりを聞いた仙蔵と澄姫は顔を見合わせて小さく笑った。

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