起き抜け

ふぇぇ、という小さな声で、澄姫は目を覚ました。
誰の声だったか、と寝起きの頭でふと考え、がばりと体を起こす。

「いろは、どうしたの?」

「うえぇ、かあさま…かあさまぁ…とうさまいなくなったぁぁ…」

隣で寝かせていたいろはがぐずぐずと泣きながら、留三郎作のうさぎ人形の耳を掴んで扉の前で泣いている。
彼女はいろはを抱き上げてそっと扉を開けた。冬なので外はまだ暗い。
昨日は遊び疲れて長次たちの部屋で眠ってしまったいろはをそっとくノ一長屋の自室へ連れてきたので、目が覚めて違う部屋…更に長次たちの顔が見えなかったいろはは不安になって泣き出してしまったのだろう。

「大丈夫よ、父様はちょっとお散歩に行っているだけ。まだ早いから、もう少し寝ましょう?」

いろはの心情を察した澄姫がそう言うも、いろははいやいやと首を振り、父様のところへ行くと言って聞かない。
わあわあと火のついたように泣き出してしまったいろはは、ひくひくとひきつけまで起こし始めたので、彼女は大きな溜息を吐いて、いろはを布団で包んだ。

「しょうのない子ね…わかった。父様のところへ行きましょう。でも、いい?静かにするのよ?決して泣いてはだめ。約束できる?」

澄姫の言葉に泣き止み始めたいろはは不思議そうに首を傾げた。

「ど…して?」

「父様も母様も忍者だということは知っている?」

「しってう…こへちゃ、も、もんちゃ、も、ひっく、そっ、でしょ?」

「そうよ。忍者はね、こっそり静かに行動するものなの。いろはも忍者である父様と母様の娘なら、静かに忍者、できるわよね?」

唇に人差し指を当てて、しぃ、といろはに向かってやって見せると、いろはも同じようにしぃー、と声を潜めた。涙はすっかり止まり、ぎゅっとうさぎ人形を抱き締めている。

「いっちゃ、とうさまとかあさまみたいに、にんじゃできる」

小さな声でそう言ったいろはに笑顔を向けて、彼女は布団ごといろはを抱えて部屋を飛び出した。夜着のままの彼女の体に夜明け前の冷たい空気が突き刺さるが、それよりもいろはの体が冷えないように、最短距離である冷たい瓦の敷かれた屋根の上をひょいひょいと跳んでいく。
布団の中でまん丸に目を見開いているいろはの顔をちらりと見て、思わず笑いがこみ上げる。はしゃぎたいのを必死に我慢しているいろはがいじらしい。

あっという間に忍たまの6年長屋へ辿り着いた澄姫は、きょろきょろと周囲を伺い、人気がないことを確認してから長次たちろ組の部屋の扉を開けた。
と、同時に部屋の中から伸びてきた腕に襟元を掴まれ引き倒される。
何とかいろはに衝撃がいかないように庇い、床の上で体を捩って飛んできた何かをかわした。

「…!!」

「ん?なんだ、澄姫じゃないか。こんな夜明け前に夜這いか?」

「おはよう長次、小平太。寝起きで悪いけれど、お邪魔させてもらうわね」

苦笑交じりで呟いた澄姫の体を小平太が起こしてやり、すまん、と軽く笑った。
実は、稀にこのようなことがある。
6年生ともなると就寝時でも襲撃に備えたり、反応したりすることができる。
だが、体が疲れている…例えば忍務の直後だったり、騒動の後だったり…そんな時には脳の覚醒が体に追いつかないことがある。
今回も恐らくそれだろう。昨晩彼らは、かなり遅くまでいろはを見ていたから。

「…どうした?…何か…」

「え、あぁ、ごめんなさい…あのね」

そんなことを考えていた澄姫に長次が不思議そうに問い掛けると、彼女がしっかりと抱えていた布団がもこもこと動いて、隙間からいろはとうさぎ人形がぴょこりと顔を出した。

「おお、いろはじゃないか!!」

「…な…!!!」

「…目が覚めたら長次が見えなかったから、泣いてしまって…父様のところへ行くって聞かないものだから…」

喜ぶ小平太と驚く長次。そんな2人に苦笑いで説明すると、長次は大慌てで火鉢に火を入れ、小平太は笑顔でいろはを抱き上げ澄姫に長次の半纏を投げた。

「澄姫、これ着ろ。長次のだ。いろは、外は寒くなかったか?」

人差し指でいろはの顔周りの布団を下げてそう問い掛けるも、いろははぐっと口を噤みうさぎ人形に顔を押し付けて黙っている。

「いろは?どうかしたのか?」

その様子に、長次と澄姫もいろはを覗き込む。ひょっとして、移動中怖い思いをさせてしまっただろうか、と不安になった彼女が口を開こうとしたら、いろははその小さな手で小平太の口を塞いだ。

「こへちゃん、しぃー、しないとだめ。にんじゃでしょ」

そして声を潜めてそう言った。
その姿に、思わず彼女が笑い出すと、小平太と長次が訳がわからんとでも言うように首を捻った。

「ふふ…ごめんなさい。いろは、もう大丈夫よ。でもまだみんな寝てるから、静かにお喋りしましょう」

「…もういいの?いっちゃん、ちゃんとにんじゃできた?」

「うふふ、お利口さんな忍者だったわよ」

彼女がそう褒めると、いろははくふふ、と嬉しそうに笑って、部屋を出る前に澄姫が言って聞かせたことを一生懸命に長次と小平太に説明した。
それを聞いてくしゃりと笑った小平太が、布団ごといろはを高く掲げて偉い偉いと手放しに褒める。
ある程度小平太に構ってもらい満足したいろはは、本来の目的である長次に向かって手を伸ばした。
残念そうな小平太からいろはを受け取り、長次は静かな声でどうした、と問い掛けた。すると、楽しそうにしていたいろはは急にしゅんとして、あのね、と口を開いた。

「いっちゃんおきたらね、とうさまいなくてね、まっくらなしらないとこでね、ないちゃったの…」

「……そうか」

「でもね、そしたらかあさまがね、とうさまのとこいこうってね、おうちのやねぴょんぴょんってね、とうさまのとこ……ふぁぁ…」

「…そうか…」

説明の途中であくびを零し、こしこしと目を擦るいろはに長次は柔らかく笑い、優しい手つきで背中をとんとんと一定のリズムで叩いてやった。
すると、驚くことにあっという間にいろはは眠ってしまう。

それを見ていた澄姫と小平太が、目をまん丸にしながらこそこそと囁きあった。

「すごい…あっという間に眠ったわよ…」

「長次はあれだ、きっと睡眠導入機能ついてるんだ」

そんな2人の囁きを聞き流した長次は自身の布団にいろはを寝かせ、彼もその横にごろりと横になった。そして、黙ったままじっと澄姫を見つめている。

「……………」

「??」

不思議そうに見つめ返す澄姫。すると、長次はぽんぽんと、いろはを挟んだ自分の向かいの壁際の布団の空きスペースを軽く叩いた。

「………っえ!!?」

「んー、そうだな、まだもう少し寝れそうだ。私ももうちょっと寝る。扉少しだけ開けとけば火鉢付けたままでもいいよな?」

「…あぁ、一寸ほど、開けておけばいい…澄姫、…おいで」

動揺する彼女をよそに、小平太は大きなあくびを零してちょっとだけ扉を開けるともごもごと自分の布団に潜り込んで、あっという間に眠った。
一方長次の破壊力のある言葉によりその場に立ち尽くし硬直してしまった彼女は、焦れた長次に手を引かれて無理矢理布団に引っ張り込まれた。


ようやく日も出て明るくなってきた頃、6年生の中では一番の早起きの伊作が顔を洗いに行こうとろ組の部屋の前を通り、少しだけ空いている扉を不思議に思い興味本位で中を覗き込んだ。

「…わ、親子で寝てるよ…ふふっ…」

のほほんと呟いた伊作が見た光景は、穏やかなもので。
いつの間にか小平太も衝立を乗り越え、長次の上に乗っかるようにがあがあと眠っていた。
それが伊作には、仲のいい夫婦と、歳の離れた兄妹のように見えた。

柔らかく笑った伊作が邪魔して起こしちゃ可哀想だとそそくさと井戸に向かう…途中で、何もない廊下ですっ転び、ド派手な音に驚いた6年生全員といろはを叩き起こしてしまうまで、あともうほんの少し。

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