ふわ、と毛先が触れて意外と監督の髪って柔らかいんだなぁ、なんて呑気に考えていたら、
触れるはずない体温が重なって俺は急いで閉じた視界を開く。
近距離で目が合う。目尻に乗せた笑みは隠すつもりなんか全くなさそうだった。

「目閉じててって言ったじゃん」
「睫毛、ついてるからって…ぇえ、あれっ、えぇえ…?」
「…椿ってさぁ、」

鋭く見えた目がやんわりと半月に歪んで、硬直したまんまの俺を捉えた。

「壷とか買わされちゃうタイプでしょー」
「つ、壷っスか」
「そう、壷」
「〜監督ッ!」

そんなことより、にやにやと吊り上がった口端の意を問いたくて思わず波を荒立てても、
何のことはなしに監督はそれをひょいっと越えてしまう。
まるでさっきのことが当たり前であるみたいに、寧ろ、何も無かったみたいに。

「じゃ、カラダ冷やす前にちゃんとシャワー浴びて着替えて帰ってね。じゃないと俺、松ちゃんに怒られちゃうから。」

真っ赤になってる生き物みるのも面白いんだけどさ、と言いながら監督は踵を返してクラブハウスに消えていった。
真っ赤な顔で呆然としたまんまのオレを残して。





[10min×sec older.]




「椿ぃ」

遡るはほんの10分前、練習場でボールを蹴るのを繰り返した帰り、クラブハウス二階の監督から声を掛けられた。
俺としては、既に監督に見られた前科があるだけに、気恥ずかしさと、モヤモヤした何かからなるべく避けていたわけで。
その上で一応コーチ陣が誰も残っていないのを永田さんに確認したはずで、なのにまさかまさかまさか、監督が居るとは思わなくて。
手に持ったボールが真四角に変わってしまったかと錯覚するほどがちがちに緊張した。


「おおお、おっ、お疲れさまッス!」
「ははっ、肩ビクーッってなってんの。一応、お前がイメトレしてる最中に出て行くより配慮したんだけど?今日は」
「……ウス。」

今日は、のアクセントが強い気がすんのは気のせいなのか。
配慮ってことは、今日は一部始終見られてたってことなんだろうな、と思い当たって、心の中でウギャ、と悲鳴を上げつつ声の主から視線を外す。
相手はチームを率いる監督で、俺はレギュラーに置いてもらっているとは言え、サテライト上がりのミスばっかの新人で。
こんな風に声かけられて、緊張しないワケない。
いつまで経っても心臓はシャトルランを繰り返したばかりみたいに煩いし、監督の目を何だか真っ直ぐ見ることが出来ない。
……声、かけてもらえるのは本当はすごく嬉しいのに。

「最近さーぁ」

尖った靴の踵がカンカン、とキツい金属音を鳴らして、階段を降りてくる。
二階の窓からの煌々とした明かりが漏れ出しても、逆光の中の顔色は伺えないままだ。
ただ、口端と言葉尻がうっすらと笑っているのは分かって俺はじっとりと手に汗をかく。

「オレの居ない時間を狙うのは偶然?」
「そんなことは、ない…っす」

弾かれたみたいに顔を上げたら月よりも人工的な光が眩しく邪魔をして目を細める。
監督の位置から見てしまえば、俺の顔色なんてきっと分かりやすいぐらい分かるんだろう。
椿の言ってること時々良くワカンネー、と頭の中で喚く世良さんがリフレインする。
誤解、されたいわけじゃない。

「監督が見てるって意識すっと、俺、なんかドキドキして駄目なんす…」

監督の上向き矢印みたいな眉がぴくり、と歪んだ。
あれ、俺なんでそんなとこまで見えてんだろ、と思ったら、がしっと顎を掴まれた。
ち、近い。近い近い!

「…椿、睫毛付いてるから取ってあげる」
「はっ、えっ?」
「目ェ閉じろ」


視界が覆われる前に、舌打ちと共にほんとにお前って、て言われたような気はするけれど、十秒後の俺は勿論それどころじゃなかった。







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