ペダル | ナノ

甘いだけのレモン

昨晩はよく眠れなかった。
特に理由も無く、大勢の人の前で涙を流してしまったことがはずかしくてその事ばかり考えてベッドの上で悶えていたからだ。
理由が全くなかったわけでもない。荒北くんのことが怖かったのは事実。それでも昨日トレーニングで疲れていた荒北くんを、何をされたわけでもないのに困らせてしまったのも事実で…だからひとこと、謝りたかった。

眠れなくて赤くなった目を擦りながら、いつもより早く家を出た。荒北くんに早く会えるとは限らないのに、少しでも早く謝りたかった。

まだ人が疎らな教室。当然、荒北君はいなかった。

以前は遅刻も当たり前で授業をサボるのも当たり前だった彼が早く来ている訳もなく…

早く謝りたくもあるけれど、少しホッとしていた。
正直、まずなんと話しかければいいのかという問に答えは出せていなかったから。
教室の入口と荒北くんの席をチラチラ窺いながら、ソワソワしていたら大きな音を立てて教室の戸が開かれた。賑やかだった教室が一瞬でしんと静まり返った。
振り向けばそこにはいつも通り怖い顔の荒北くんがいた。

目が合って、彼はそのまままっすぐ私の席の前までやってきて立ち止まった。
…ゴクッと自分の喉が鳴ったのが聞こえた。

うわ、怖い顔してるよ…早く謝らないと…でもいきなりごめんは無くない?おはようが先?でもこんな怖い顔してるんだもん怒ってるンだよね?どうしよこわい
頭の中でぐるぐる考えがまとまらなくて言葉は一向に出てこない。結果顔を上げられない悪循環…荒北くんも何も言わない、一体どうしたらいいの!?
逃げ出したくなるほど困り果てていたらドン!と大きな音を立てて、荒北くんは私の机の上に何か置いた。
恐る恐る伏せていた目を上げると、机の上にはベプシのボトルが置いてあった。

……え?

思わず上げた視線は間もなく逸らされた。
気まずそうな荒北くんがモゴモゴと口にした言葉に心から驚いた。

「昨日は…その…悪かったな」
彼からは信じられないくらい小さく、そして驚く程に棒読みでの謝罪だった。

「……え?」
本当に、それ以外の言葉が出てこなかったのに
「え?じゃねーよ!昨日は悪かったって謝ってんだろーが!」
怒られた。

「あ、うん…」
やっぱり怖いこの人…
そして謝るきっかけを失ってしまったなと頭の中で嘆いていたが、そんなの荒北くんは知る由もなくボソッと話し始めた。

「鉄仮面がよ…」
もどかしそうにガシガシと頭をかいてそっぽを向いた荒北君。野獣のような険しい目はどこへやら、楽しないほど、泳いでいた。
「…理由はどうあれ泣かしたことに変わりはねぇから謝って来いってウッセェからよ…だからベプシ飲め、詫びだコラァ!」

「…あ、ありがとう」
私の返答に納得したのかそれ以上は何言わず自分の席の方へ歩いていった。

…あれ?
ちょっと待って、私が謝れてない。
「あ、荒北くん、待って」
呼び止めて振り向いてくれた荒北くんはやっぱり怖い顔だった。でも気にしていられない、謝るべきは私の方で、そして謝らないと私の気がすまないんだから。

私の方こそごめんなさい
そう口にしようとしたけれど最後まで言い切る前に荒北くんに止められた

「おい、もういいっつってんだろ。」
「でも」
「俺がイイって言ったらイイんだよ!俺の目つきが悪かったのは分かってっから…この話は終わりだ!イイな?」
そう言われてうなずけない理由はなかった。
荒北くんが乱暴にカバンを置いて席についたのをみて、わたしもそっと腰を下ろした。

…嘘みたい
今のって、わたしに気を使ってくれた…んだよね?

もしかしてだけど、荒北くんほんとはいい人なんじゃないのかな…悪いのは口と目つきだけなんじゃないのかな…

少しだけだけど、ほんの少しだけだけど
荒北くんのことが怖くなくなった、かもしれない


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