短編 | ナノ

上手じゃない、だけどいとおしい

「トビオちゃん」
目の前でドリンクを飲んでいた後輩をそう呼んでみると彼は盛大に噴き出した。

「なっ、なんスかいきなり…」
「呼んでみただけだけど」
「やめてください、その呼び方ものすごく腹立ちます」
彼の眉間に深々とシワが刻まれた。
「なんで?及川さんがそう呼んでたから?」
「ウス…」
「ちぇー、ちゃん呼びかわいいのに…」
影山くんがあまりにも嫌そうな顔をするので仕方ない、トビオちゃんと呼ぶのはもうやめてあげよう。残念だけど

「待てまて待て、望月よ」
そこに呼んもいないのに現れたのは田中だ。彼は神妙な顔で告げた。
「彼氏を差し置いて、影山をちゃん呼びするとはどう言うことだコラ」
「だって田中の名前長いから呼びづらいもん」
「だっ…しょーがねぇだろ!名前をつけたのは俺じゃねぇし」
「じゃあ名字でいい?田中ちゃん」
呼べ!呼べ!とうるさい彼氏が鬱陶しいので仕方なく呼んでやれば
「…萌えない」
なんて文句をいう。まったくもう、面倒くさいやつ。

「ワガママね、龍之介ちゃん」
「………」
望み通り呼んであげたらあげたで黙りうつむいた。
「何か言えアホ」
田中のきれいなまんまる頭をスパンと叩いてやれば片手で口を押さえてどうしたのかと思えば、彼の顔は何故か真っ赤だった。
「な、なに、どうしたの」
「ちゃん呼びはともかく…お前に名前を呼ばれるの、そういや初めてだったなぁと思ったら何つーか、ちょっと、いや、相当萌えた」

…あ、そういえば、そうだったっけ。
気の合うクラスメイトとしての期間が長くて、彼氏彼女になっても何となくその延長と言う感じでお互い名字で呼びあっていたんだった。

「……バカじゃないの」
意識したら何だか急に恥ずかしくなってきてうつむいた。
「頼む!もう一回、もう一回!呼んでくれ!!」
「いやだ。もう無理、恥ずかしい」
「ちょっと呼ぶだけだろ!呼べ!呼んでくれ!」
「やだって!しつこい!」

「頼む!」
田中が、視界から消えた。と思ったら土下座していた。
「もう一度!名前を呼んでくれ寧々!!」

田中が私の名前を呼んだ。
さっきの彼もこんなむず痒い気持ちだったんだろうか。恥ずかしくてくすぐったくて仕方がない。

でも、とっても、嬉しかった。

恥ずかしくて仕方がないけれど田中が喜ぶなら、呼んでやってもいいかもしれない。そう思って口を開こうとした瞬間、地を這うような低い声が聞こえてきた。

「お前ら…休憩時間はもうおわってんだけど?」
振り向けば笑顔なのにものすごい怖い大地さんが立っていて、それにみんなの視線が痛いほど突き刺さる。

私たちはみんながいる体育館で何をやっていたんだろう…
田中は大地さんから怒りの鉄拳を脳天に食らい、わたしはスガさんに「お前らほんとバカップルだべ」とからかわれ、穴があったら本当に入りたかった。

練習再開、頭をさすりながらコートに戻っていく彼に「がんばれ、りゅ…龍之介…」と声をかけてあげたら今まで見たことのないほどのうれしそうな顔をしていた。


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