***
いつも通りの時間にすまいるの前に到着し、土方はパトカーから降りた。
今日は久しぶりに近藤が顔を出しに行っていると聞いている。
いつもの如く潰されているに違いない。
部下に行ってくると一声かけて、すまいるへと足を踏み入れた。
わずかばかりの緊張を感じて、柄でもねェ、と舌打ちを落とす。
しかし、妙に会うことに後ろめたさに似た気持ちを抱いていることは確かだった。
中まで辿りつくと、近藤さんは奥のテーブルですよ、とボーイに教えられる。
それに頷きを返して、そのままテーブルへ向かった。
一番奥のテーブルに辿りついた時、近藤は丁度少女に殴られてソファーに沈み込んだところだった。
妙は土方の姿を見止めると、近藤の胸倉をつかみ、そのまま足元に投げ捨てる。
どこかに頭をぶつけたのか、ゴン、という鈍い音がした。
「…今日も手荒いな」
きつい視線をこちらに寄越してくる妙に、土方は苦笑を返す。
妙は気にするでもなく、憮然として早く連れて帰れと言った。
「それから、今日は送って頂かなくて結構です」
「あ?」
「今日は店の娘たちと一緒に帰る約束をしたので。ですから、どうぞお気になさらず。では、失礼しますね」
「おい、」
矢継ぎ早にそう告げられて、土方は面食らう。
そんな土方を振り返りもせず、妙はさっさと店の奥に引っ込んだ。
(…帰るだと?同僚と?)
今の状況がわかっているのか、と土方は苛立たしげにテーブルを蹴り飛ばす。
無性に腹が立って仕方がなかった。
「…チッ」
思い切り舌打ちをして、土方は近藤を引き摺るようにして歩きだす。
お妙さん、と近藤が発した名前に、思わず足を止めた。
(…近藤さん、)
裏切っている。
自分が今妙に抱いている気持ちは、ミツバを、そして近藤を裏切っているのと同じことじゃないのか。
不要な気持ちは、切って捨ててしまえばいい。今までだってそうしてきた。
他ならぬ自分が、近藤の邪魔をしているなんて。
ずくずくと痛む胸に眉間の皺を深め、土方はずり落ちそうになった近藤を抱え直す。
幸せそうに意識を飛ばしたままの近藤の財布から金を出して、見送りに来たボーイに手渡した。
店の前に待機させていた部下に近藤を預け、屯所へ戻れと一言伝える。
素直に頷いて車を発進させた部下を見送り、土方は店の裏口へと足を向けた。
煙草に火をつけて、壁に背を預ける。
肺にたまった煙を出して、深く息をついた。
(…下手なくせに、嘘なんかついてんじゃねェよ)
こちらを睨み付けてきた妙の表情を思い出し、眉を寄せた。
会いたくないと思われてもおかしくない。
きっとそれが、普通の反応なんだろう。
妙のことを思えば、このまま距離を置く方がいい。
(…仕事だ)
言い聞かせるように心の中でそう言って、言い訳ばかり重ねる自分にどうしようもなく嫌悪感が湧いた。
(何やってんだ…)
チクショウ、と呟いて短くなった煙草を携帯灰皿の中に押し込む。
「お疲れ様でーす」
聞こえた明るい声に、土方は顔を上げる。
裏口から出てきたのはショートカットの少女で、名前まで覚えていないが土方にも見覚えがあった。
短髪の少女は土方に気付いて一瞬怪訝そうな顔をしたが、何かに思い当たったのか、にっこりと笑ってお妙ならまだ中ですよ、と言った。
「…そうか」
「呼んできましょうか?早番で残ってるのはあとお妙だけですし」
「いや、いい」
やっぱり嘘だったんじゃねェか、と土方は浅くため息をつく。
視線を上げると、短髪の少女と目が合った。
そのままじっとこちらを見つめてくる少女に土方はやや面倒くさそうに何だ、と問いかける。
短髪の少女は笑顔で土方さん、と呼んだ。
「お妙のこと、泣かしたら承知しませんから」
「…は、」
「普段はあんなだけど、お妙は誰よりも女の子です。まあ意地っ張りだから、土方さんも苦労するかもしれないけど、」
土方は、目の前の少女を無表情に見つめた。
そんな土方に構うことなく、短髪の少女は言葉を続ける。
「優しくて強い子です。だから、お妙のこと泣かせたら私達が黙ってませんよ」
「……」
「多分、万事屋の旦那あたりも黙ってないんじゃないかな。あとはほら、おたくのゴリラとかもうるさいんじゃないですか?」
「…何が言いたい」
やっと言葉を発した土方を、少女はじっと見つめ返す。
「単なるお節介ですよ。それから、牽制かな」
呆気にとられる土方を残して、短髪の少女はさよなら、と夜のネオン街へと消えていった。
『泣かせたら承知しませんから』
短髪の少女の言葉が、土方の心に突き刺さる。
目を閉じれば、浮かんでくるのは妙の泣きそうな顔。
「泣かせたくなんか、ねェに決まってるだろうが…」
"幸せ"になってほしい。
そのためには自分が近くにいてはいけないのだ。
でも―――――、
一ヶ月前の妙の泣きそうな顔。
今でも鮮明に思い出せる。
本当に、このままあの少女の前から消えるのが最善なのか?
このまま何も、伝えないまま。
(クソッ…!)
どうすればいい、と新しい煙草を取り出す。なかなかつかない火にイライラが募った。
(どうすればいい?いや、…どうするべきだった?)
ミツバ、と心の中で彼女を呼んだその時、裏口のドアが開いた。
お疲れ様でした、と言って出てきたのは、自分が待っていた少女。
顔を見た途端、沸き起こったのは安堵感。
土方に気付いた妙は、目を丸くして立ち尽くした。
震える声で、どうして、と切れ切れに告げる。
「それはこっちのセリフだ」
つけたばかりの煙草の火をもみ消して、土方はキツい視線を妙に向ける。
「何で嘘なんかついた」
「っ、嘘なんかじゃ…っ」
怯えたように顔を歪める妙を引き寄せて、無理やり視線を合わせた。
一瞬だけ合った瞳。
明らかな動揺と驚愕に似た色。
それから怯えと、困惑したような、複雑な感情。
「やめてっ!離して下さいっ!」
叫んで懇願するようにそう言った妙に、土方は眉を寄せる。
「…妙?おい、どうしたんだ」
「離してっ」
泣きそうな声。
妙、ともう一度呼ぼうとした時、目の前から桃色の色彩が消える。代わりに映ったのは、桃色と対をなすような水色がかった淡い銀色の髪だった。
銀さん、とか細い声で妙が男の名前を呼ぶ。
その声から感じた安堵と愛情に似た色に、土方の心に抑えきれないほどの苛立ちが湧いた。
銀時は妙の頭を優しく撫でて、労るように細い体を抱き締める。
妙に触るなと叫びそうになる自分を必死で抑えつけ、溢れる殺気はそのままに土方は銀時を睨み付けた。
「…何の用だ」
「多串くんこそお妙に何の用なわけ?」
妙に向けて甘く細められていた瞳に剣呑な光がともる。
明らかな不快感と苛立ちを隠すこともせず、銀時は土方の目を真っ直ぐに見つめた。
「…お前には関係ない」
「ふーん。まァ、深くは聞かねーけど。お 妙は俺が連れて帰るから」
「んだとテメェ」
当然と言うようにそう言い放った銀時に、土方は青筋を立てる。抜刀しかねないほどの怒りが土方の中に渦巻いた。
土方が言い返した言葉を、妙が焦ったように遮る。
そのまま銀時の腕の中をするりと抜け出て、妙はにこりと笑ってみせた。
お待たせしてごめんなさい。迎えに来て 欲しいって頼んだのは私だったのに。と妙は笑ってそう言った。
妙の言葉に銀時は一瞬瞠目したが、妙の言葉に特に異は唱えずにいつもの調子で軽口をたたく。それから、早く帰れと追い払うように土方に手を振った。
帰りましょうか、とくるりと背を向けた妙に向かって、土方は絞り出すようにたえ、と呼び掛ける。待て、行くな。という思いを込めて、土方は妙を呼んだ。
背を向けたままの妙の肩がぴくりと僅かに揺れる。
それでも妙は振り返らずに、先に行きかけてます、と銀時に伝えるとそのまま歩き出した。
***
少しずつ遠くなっていく妙の後ろ姿を、追いかけることも出来ずにただ見つめていた。
知らずに作った握りこぶしに力を込めて、土方は歯噛みする。
(クソ…っ!)
妙の後ろ姿を見守るように見つめていた銀時が、土方に向き直った。
「おい」
妙がいなくなったことで抑える必要性がなくなったのか、銀時の視線は険しさを増していた。
その視線を受け止めて、土方は何だ、と短く問い返す。
「何してんだ、お前」
騒がしいはずの街並み。しかし、銀時の声ははっきりと土方の耳に届いた。
「とぼけてんじゃねェぞ。お妙にあんな顔させて、何してんだよ」
銀時の怒気をはらんだ声が土方を責める。
苛立ちは増すばかりだが、言い返す言葉すら思いつかなかった。
苛ついたような舌打ちをして、銀時は大きくため息をつく。
「お前さァ、ほんとに何してんの?今さっ き、お前の目の前にいたのは誰だよ?」
「……」
「アイツはアイツだ。それがわからねェな ら、お前にアイツの隣に立つような資格は ねェよ」
よく考えろ、と低い声で言い捨てて、銀時は妙の後を追う。
遠ざかる足音を聞きながら土方はまた新しい煙草に火をつけて、銀時たちとは逆方向の道 へ足を向けた。
やり場のない怒りとやりきれなさに、傍らにあったポリバケツを思い切り蹴り飛ばす。
「…クソ、何やってんだ…!」
あんなやつに言われなくとも、そんなことはわかっているのだ。
目の前にいた人物?それが誰か?
そんなこと、わかりきっている。
泣きそうに震える声。揺れる瞳。安心したように銀時を呼ぶ。
悟らせまいと必死に作ってみせたあの笑顔。
「…妙」
どんなに後悔しようとも、もう遅いのだ。
妙の心に落ちた影と疑念は晴らせない。
ミツバと妙。
違うんだ、そうじゃない、と否定すればするほどに、それは言い訳にしか聞こえなくなっていく。
結局、何もかも整理がつけられないまま。
忘れると決めたのに、ずるずると引き摺って。
大嫌いなあいつに忠告されるほど、今の自分は情けない。
「…すまない」
口をついて出た謝罪は、誰に向けた言葉なのか。
それさえも、もうわからない。
いつまで経っても揺れ動く天秤(いつまで続けるんだ、こんなこと)
(捨ててしまおうと決めたんだろう?)
title:灰の嘆き