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近藤は知らない。
土方が彼女の名を呼んだ時の声を。
あのドキリとしてしまうような熱のこもった、泣きたいくらい切ない、声。

あれは、愛するひとを呼ぶ声だ。
それも、忘れたくても忘れられない人を呼ぶ。

視界が歪む。
もうごまかしきれない。

妙はテーブルにあったビンを掴み、そのまま飲み干した。

頭がくらくらと揺れる。
お妙さん、と焦ったような近藤の声が聞こえたが、泣きそうなのを悟られたくなくて闇雲に拳を振るった。
そのうちの一発がどこかに当たったようで、近藤はソファーに沈み込む。

そろそろ上がりの時間。そして、土方が迎えにくるころだ。
その前にこの顔をなんとかしなければ。

そう思った瞬間、視界の端に映った黒い影。

なんてタイミングの悪い、と妙は眉をひそめると近藤の胸倉をつかみ、テーブルにやってきた土方の足元に投げた。

「…今日も手荒いな」

土方の低い声に、心臓が思いきり跳ねた。
しかしそれを悟られまいと冷たく言い放つ。

「…早く連れて帰って下さいな」
「あァ」
「それから、今日は送って頂かなくて結構です」
「あ?」
「今日は店の娘たちと一緒に帰る約束をしたので。ですから、どうぞお気になさらず。では、失礼しますね」
「おい、」

土方の返答は待たずに妙は店の奥に引っ込んだ。
もう限界だった。
姿を見るだけで、声を聞くだけで、涙が溢れてしまいそうになる。
一緒に帰るなんて冗談じゃない。

オーナーに挨拶をして、手早く帰る支度を済ませる。
店の娘と帰ると嘘をついた手前、誰かいないかと声をかけてみたが今日に限って誰も捕まらない。
時計を見やると、先ほどから二刻はたっている。もう行っただろうかと思案して、裏口へと歩を進めた。

裏口のドアを開けて、裏の通りへ出る。
店の壁にもたれるようにして立っていたのは、紫煙をくゆらせる隊服姿の男。

「どう、して…」
「それはこっちのセリフだ」

煙草の火をもみ消して土方は苛ついたようにそう告げる。
妙の細い手首を捕まえて、引き寄せた。

「何で嘘なんかついた」
「っ、嘘なんかじゃ…っ」

間近で無理やり目を合わせられ、妙は慌てて顔をそらした。

私のことなんて見ていないくせに、と妙の心が叫ぶ。
抵抗するが、いくら妙でも男の力には敵うはずもなく捕えられてしまう。
悔しさと恥ずかしさで顔が熱くなるのがわかった。

「やめてっ!離して下さいっ!」
「…妙?おい、どうしたんだ」
「離してっ」

戸惑ったような土方の声に妙は苛立つ。
鼻の奥がツンとして、涙がこぼれそうになった時、後ろから誰かに引っ張られた。

「…っ」

驚いて振り返ると、そこにいたのは銀髪の男。
ぐいと腕を引かれ、温かな男の腕の中におさまる。
ふわりと感じた甘い香りと体温にどうしようもなく安心した。

「銀さ、ん?」
「何?」

優しい銀時の声。
どうしてこの人はいつも、と妙は銀時の着流しをぎゅっと握る。
震える声で銀時を呼ぶと、銀時は優しく妙の頭を撫でた。
妙を自分の方へ向くように抱きしめ直してじっと土方を睨みつける。

「…何の用だ」

「多串くんこそお妙に何の用なわけ?」
「…お前には関係ない」

いつも通りの口調ではあるが、銀時の目はきつい光を宿していた。
土方は小さく舌打ちをしてその瞳をにらみ返す。

「ふーん。まァ、深くは聞かねーけど。お妙は俺が連れて帰るから」
「んだとテメェ」
「銀さんっ」

いつもより数段低い声を出した土方を妙が遮った。
銀時の腕の中をするりと抜け出て、にこりと笑う。

「お待たせしてごめんなさい。迎えに来て欲しいって頼んだのは私だったのに。さあ、早く帰りましょう?」

妙の言葉に銀時は一瞬瞠目したが、すぐにいつも通りのしまりのない顔に戻って銀髪を掻いた。

「っとに、なかなか来ないと思ったらよー。じゃあそういうわけだから多串くん、大人しく帰ってくれる?」
「……」

黙り込んだ土方に銀時はひらひらと手を振る。
妙は背を向けたまま、ぎゅっと目をつぶった。

「妙」
「すみませんでした、土方さん。もう失礼しますね」
「…妙」

ゆっくりと紡がれる自分の名前に、妙は嫌々をするように首を振る。
そんな声で呼ばれたら、振り返りたくなってしまう。
なんてずるい人、と妙は小さく呟く。

「銀さん、私先に行きかけてますから」
「ん」

前を向いたまま、妙はそう言った。
銀時は短く返事をする。

妙は走り出したい衝動を抑え、ゆっくりと歩き出した。

危なかった、と妙はため息をもらす。
銀時が話を合わせてくれて助かった。

彼の手の優しさと温かさに泣いてしまいそうだった。
どうして今日はこうも弱気になってしまうんだろう。

近藤の話を聞いて、ほっとしたような、空しくなったような複雑な気持ちだった。
ミツバが故人だったなんて、思いもしなかった。
綺麗で優しい人だったという。
ミツバを語る近藤の瞳は少し悲しげで、でもとても優しかった。
誰もがミツバを慕い、愛したのだろう。
そんな綺麗な人を自分の醜い嫉妬心で汚してしまったような気がした。
恥ずかしくて情けなくて、気が狂いそうだ。

妙はもう一度、ミツバに心の中で謝った。

土方の中にはミツバがいて、もうそれは拭いようのない事実なのだ。

想い合っていたのに、何も告げずにいたというふたり。
それはふたりの絆の強さと愛情の大きさを表しているようで。

何をどう考えても、自分に勝ち目などありはしなかった。
同じ土俵にも立てはしないのだ。
ミツバと自分なんて、そもそもおこがましいにも程がある。

「馬鹿みたいじゃなくて、ただの馬鹿だわ…」

我慢して我慢してなんとかこらえきった涙が、つうと妙の頬を伝う。
その涙を拭うこともせず、妙は切なげに笑った。

***

銀時は妙が少し遠くまで行ったのを確認すると、土方に向き直った。

「おい」
「…何だ」
「何してんだ、お前」
「……」
「とぼけてんじゃねェぞ。お妙にあんな顔させて、何してんだよ」

銀時の怒気をはらんだ声にも土方は答えない。
苛ついたような舌打ちが響き、銀時の口から大きなため息がもれた。

「お前さァ、ほんとに何してんの?今さっき、お前の目の前にいたのは誰だよ?」
「……」
「アイツはアイツだ。それがわからねェなら、お前にアイツの隣に立つような資格はねェよ」

よく考えろ、と低い声で言い捨てて、銀時は妙の後を追う。

遠ざかる足音を聞きながら土方は新しい煙草に火をつけて、銀時たちとは逆方向の道へ足を向けた。

「…妙」

ぽつりと呟かれた名前には、苦しいほどの愛情と後悔が含まれていた。
眉間に皺をよせ、痛みに耐えるように顔をしかめる。

すまない、と掠れた声は誰にも拾われることなく消えていった。



堰を切った想いを止めることなど
(走る、走る。行き先も分からずに)



title:灰の嘆き



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