その人を見るのはだいたい一週間に2回くらいの頻度だった。女性専用車両からは一番遠い1両目の、3つ目のドアに半身をもたれかからせて本を読んでいる。わたしが乗ることに決めている電車はラッシュを少し過ぎた9時前くらいのものだったから、そこそこ空いている車両で背の高い彼はこれまたそこそこ目立っていた。今日も彼がまつげを伏せ気味にして読んでいるのは、薄茶色のペーパーブックカバーがかけられている文庫本。なんていうタイトルなんだろう、あの人が本をむき出しで持っているのを見たことがないのでわからなかった。小口のところの日焼け具合から考えて、定期的に読むものが変わっているのは間違いないけれど。ある日は古本屋で買ってきたような茶色く日焼けしきったやつをぺらぺら捲っているし、ある日はさっき買ってきたばかりのような真っ白いページを眺めている。そしてどうやら今日のお供は後者だ。今まで見てきた中でいっとう真新しく見える。


ごとん、ごとごと。ごととん。


列車が停止したところで、ふとその人は伏せていた視線を持ち上げた。彼がもたれかかっていた方と反対側のドア(つまりわたしが座っている席の真横のドア)がぷしゅうと空気の音を漏れさせながら緩慢に開く。アナウンスで流れる駅名は、いつも彼が下りる終点のギアステーションよりまだ2つ手前だ(別にチェックしてるとかそういうわけじゃなくて!単に降りる場所が同じだったから覚えただけ!)。駅名を確かめると、彼は納得したようにまた目を伏せてページを、


ぱちっ。


(げ、目、合っちゃった)


知らない人と見つめあうだなんて気まずいったらない。そそくさと、変じゃない程度の素早さで顔を逸らした。手元で若干くしゃくしゃになってしまっている単語帳に目を逃がす。彼がまだこちらを見ている気配がするような、しないような。感じる視線につむじがむずむずするような気がした。


「……ねぇ、きみ。あのさ」
「ひぃ」


いつの間にか目の前に来ていたらしいその人に声をかけられる、びっくりして声がちょっとひっくり返った恥ずかしい。車内の視線の半分くらいがこちらに向く。恥ずかしい恥ずかしい。そして目の前の人はなんだってわたしに声をかけたんだ怖い。こっち見てんじゃねーよチッとか言われたら多分わたしはびびって泣く。


「あ……ごめん、脅かすつもりじゃなかったんだけど」
「なな、なんでしょう、か?」
「いや、あの、さっきから僕の方見てたみたいだったから、気になるのかなって、」
「(見てたことばれてるー!恥ずかしいうっかり死にたい!)」
「それで、よかったらこの本、読むかなって思って……」
「……えっ?」
「あっいや、僕この本間違えて2冊目、買っちゃって、家にもう一冊あるし、いらないから」
「え、あの」
「よかったら……もらってください」
「あぅ、ありがとう、ございます?」
「じゃあね!お勉強がんばって!」


慌ただしくぎゅっとわたしの手へ文庫本を押し付けて、タイミングよく止まった電車からその人はばたばたと下車していった。いつも降りていく駅の、まだ一つ手前だ。


「へ、え、ええー?」


こちらをガン見していた、向こうの方に座っているはでめな格好したお姉さんがサッとCギアを取り出した。と、思ったら何かを猛烈に打ち込みはじめた。ちょっとちょっとどこぞに晒してるんじゃないだろうなやめて本当やめて。ばくばくとまだわたしの心臓は変な動きをしている。


「………あれ?」


残された本の隙間から、何か白い紙が覗いているのが見えた。ぱらりとページを開いて捲ったそこには、11桁の数字の羅列。う、わ。なんだこれなんだこれ。ちょっと耳が熱い。ほっぺたも。


「お嬢ちゃん、終点やでー?」


ふと気付くととっくに車内には誰もいなかった。時計を見ると9時のちょうど5分前である。やばい、遅刻する!












「へぇー。そっ、んな、ことが……あったの……」

「あったんですよー。結局その番号には電話もかけられなかったし、その人も電車変えちゃったのかそれっきり会えてないんですけどね!まぁちょっぴり甘酸っぱい青春の一ページ、みたいなー?」

「……その人も相当勇気振り絞って君にそれ渡したんだと思うよ?」

「えーだって栞代わりに間違って挟み込んじゃったメモ用紙、とかだったら気まずいじゃないですかー。その場合わたしイタ電かけた人みたいになっちゃう!」

「いや……大丈夫だから……」

「それにからかわれたんだったらアホ丸出しだし?電話かけてみて『はいこちらアララギポケモン研究所です』とか言われたら立ち直れない気がしますし」

「そんなことしないよ……」

「もう電話番号変わっちゃってますかね?今電話したらどうなるかなー」

「……さぁね、意外な人が出たりしてね」

「うーん、やっぱやめよう。素敵な思い出のままにしておきましょう」

「素敵な思い出ではあるんだ?」

「そりゃあちょっとときめいちゃうでしょ!まあ顔も覚えてないんですけど!」

「あっそ、なぁんだ」

「あの人スクール生だったのかなー、ヒウン大とか?それとも社会人だったんですかねぇ」

「社会人だよ」

「そうですかねー」

「うん、たぶんね」





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