少し飲み過ぎたのかもしれない。ぐらりぐらりと天井が揺れている。ソファに突っ伏したままうっかり寝こけてしまいそうになるがここ最近の雨のせいかどうも寒く、かといってテーブルの上に放ってあるエアコンのスイッチを入れることもあたたかい湯に浸かるべく風呂の用意をすることもわずらわしかった。面倒くさい。このまま寝てしまいたい。流石に仕事着に皺を付けてしまうのははばかられたのでずるりと腕を抜いて床に置いた。畳むのは…面倒くさい。帽子もソファの脇のローテーブルへ無造作に置く。あぁ眠い、眠い………なんだか空腹ですね。しかし今は既に深夜である。この時間から何か作るのも億劫であるし出前を頼むこともできない。構わない、寝てしまおう。どうせ明日は休日なのだし、シャワーは明日の朝にでも浴びて……………誰ですか、こんな時間に。びーびーとコートのポケットで振動しているライブキャスターを手探りで探しだし、画面を見ないまま通話ボタンを押した。


「……もしもし?」
『あ、ノボリさん?……すみません、もしかしてお休み中でしたか?』


どうせクダリだろうと思っていたら思わぬ不意打ちである。まさか彼女だとは思わなかったのでいかにも不機嫌そうな声を出してしまった。やってしまった。


「あ、いいえ…ちょっとその、あー…体調が優れなくて」
『え、そうなんですか。大丈夫ですか、ノボリさん。』
「大丈夫です。少し肌寒い程度ですので。あなた、何か御用件があったのでは?」
『そうですか……あの、さっきのお店にノボリさん、時計忘れて行ったでしょう?今からお届けに伺おうかと思ってたんですけど……』


ハッと左手首を指でなぞる。確かにいつもそこへ着けているはずの腕時計がない。


『でもノボリさん調子悪そうですしやめときますね!明日はおやすみですから、えっと明後日お渡しします。ていうかそもそも夜中に人の家にお邪魔するなんて文字通りお邪魔でしたねー!あっはー』
「……あなた酔ってますね…」
『え?なになに?何て言ったんですかノボリさぁん聞こえませんでしたすんません』
「何も。邪魔ではないですがあなたひとりでわたくしの家まで来るつもりですか?」
『んへ?ひとりー…はい、ひとりですよ?何でー……あ、もしかしてあれですか、ノボリさん私のこと食べちゃう気ですかきゃー』
「間違ってもそんなこと致しませんからご安心くださいまし。そうでなくて夜道を女性が一人で出歩くのはどうかと言っているのです」
『間違ってもってそれ結構酷いこといってませんか……!』
「わたくし同意なく事に及ぶようなことはいたしませんので」
『はー?んーとんーと、まぁいいです、とにかく今からそっち行っていいんですね?正直ノボリさんの時計ちょー高そうだから預かっとくの怖いんですよぉ』
「だから女性はひとりで出歩くなと言っているでしょう。あなた今自宅ですか?それならわたくしがそちらに、」



ピンポーン


………まさか。


「こんばんはっノボリさんぐーてんたーく?」
「今は夜ですよ……」



ドアを開けたら彼女が笑いながらヘラヘラと突っ立っていた。あぁ視界が回る。急に立ったせいだろうか。寒い。開けたドアから外の空気が入り込んでくるのだ。寒い。彼女はよく薄着で平気な顔をしているな。馬鹿なのかもしれない。寒い。視界が回る、まわって、


「これ!時計…ノボリさんんん!?だっ大丈夫ですか!」


思わずしゃがみ込んでしまう。あ、これ、どういうことでしょう。別に気分など悪く…ない、のに?


「ノボリさん?ノボリさん!ちょっ……っしょ、ううっ重……よいしょー!お邪魔します!そんなに体調悪いのになんで飲み会出たんですか!」
「ちが……別になんともな、いのです、が、」


ただ寒かっただけなのだ。風邪もひいてないし熱もないし、目眩が少しする程度で、あ、視界が暗くなってきた。


「ノボリさんー!?死んじゃだめです!……っよいしょ、はい毛布かけて、熱……あれ、無い?じゃあ何だろう、食中毒!?ノボリさん気持ち悪いですか!?吐く!?」
「だいじょ……ですって」
「覇気ない!どうしようノボリさん死んじゃう!やだやだせめて私のいないときに死んで下さい!」
「は……それも酷い話ですが」
「どこが悪いんですか?私どうしたらいいですか?何したらいいですか?どうしよう!」


大丈夫だと言っているのにばたばたと焦っている彼女を見るのはなかなか面白いものである。


「さむいんです」
「え、まだ寒いですか!?どっどこに、予備のおふとんとか、あっクダリさんに電話すれば」
「いいです」
「よくないです!だって、死なないにしてもノボリさん寝込んじゃったら私困るんです!」


業務に差し支えが出るのだという意味だったのだろうが嬉しかったことに変わりない。冷えた指先をベッドサイドに座りこんでいる彼女の頬に伸ばして撫でる。そのまま腕をスライドさせて背中に手のひらを回しぐいと軽く抱き寄せた。耳元に唇を寄せる。



「寒いんです。目が回ってしまいそうです。寂しいです。お腹が空きました。……あなたを食べても構いませんか」


ふ、と吐息を吹き込んで自分にできる最大限の甘さを込めた低音をはきだした。正直ムードもクソもない状況だが酔いのせいにしてあやまちくらいおかしてしまいたいのだ。男の家にひとりで来たのです。しかも、夜中に。覚悟くらいしてあるでしょう?わずかに赤みのさしている彼女の目尻に唇を落とそうと、ゆっくり指で輪郭をたどりながら彼女の顎を掬いあげる。普段なら出来ないようなこんな行動に出られてしまうのはやはりアルコールのせいか。ぽかんとした表情でわたくしを見つめていた彼女が、はっと合点のいったような顔をした。唇と合わせようとした刹那。


「それ完全に低血糖じゃないですか!ノボリさんのバカ!ごはん食べずにお酒ばっかり飲んでるからですよ!」


……どこから出したやら甘い匂いのする飴を口に突っ込まれた。空気を読めと言いたい。馬鹿はお前です。


「もう、びっくりしたな!ノボリさんって意外と抜けてるんですね。低血糖わかんないとかー、砂糖かっくらっとけって話ですよ。まだ飴ありますけど食べます?」


返事を待たずに再度押し込まれたふたつめの飴玉を無言で転がす。……なるほど、低血糖。


「糖分摂ってあったかくしてれば治ります、多分。そのカッコじゃ寝苦しいと思いますけどー…まぁ、我慢して下さいな。……えっと、じゃあ私帰りますね。大丈夫そうだし。おやすみなさ」


立ち上がろうとした彼女の腕をつかんで引きとめた。

「………女性が夜ひとり歩きしてはいけないと言ったでしょうが」
「え、でも来る時もひとりでしたし平気ですよ。ノボリさんは心配性ですね」
「仕方ないので今日だけ泊めて差し上げますよ」
「何が仕方ないのか全くわかんないんですけど」
「はい、いらっしゃい」
「ノボリさん酔ってるんですね?酔ってるんですね?」


毛布の端を人ひとり入れるくらいに持ち上げてぽんぽんとシーツをたたく。雑魚寝なんて慣れてますけどねー、ぶつぶつ呟きながら彼女が滑りこんできた。あたたかい。


「明日のノボリさんを未来予知したげましょーか、きっと朝私がいるのにびっくりして硬直します。そのあと私のこと尋問する。何でここにいるんですかって言いますよきっと」
「わたくし記憶を飛ばす程酔っておりませんが」
「酔っ払いはみんなそう言います。……んー、やっぱこの服じゃちょっと寝ぐるしい……楽なカッコしてるつもりだったのに」
「何かお貸ししましょうか」
「いやいいです。泊まりはセーフだけど服借りるのは私の中でのボーダーラインを越えるので」
「なんですかソレ…」


ぬくぬくと暖まった布団と隣にある体温に安心して、瞼がどんどん重くなってきた。


「あったかいですねー。おやすみなさい、ノボリさん」


口の中に残るイチゴ風味の甘さに心が落ち着く。彼女がよくイチゴのような甘い香りを纏っているのはひょっとしてこれの為か。眠さで重たい体をずりりと動かして、彼女の髪に指先を触れる。寒かったのも目が回ったのも空腹だったのも低血糖のせいだったにしろ、寂しかったのは本当なので。





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