本日も最終電車を送り、業務終了となりました。


ステーション内に客が残っていないことを確認し休憩室に戻る。がちゃりと冷たいノブをひねると、暖かい空気に混じって甘い香りがふわっと漂ってきた。はて自分たち以外にまだ残っている駅員がいただろうかとクダリと顔を見合わせる。空調の効いた室内に歩を進めると、部屋の奥からぱたぱたと軽い足音をさせて彼女が姿をあらわせた。


「ノボリさん、クダリさん、お疲れ様でした!」
「あなたでしたか」
「君も、お疲れ様!」


てっきりもう帰宅したと思っていたが、どうやらそうではなかったらしい。彼女は今日早く上がれるはずだったと記憶しているが、何故ここにいるのだろう。疑問は浮かんだけれども、ちょっとソファに座っててくださいね、まだ帰っちゃダメですよ!そう言い残し給湯室に再びぱたぱたとかけていく後ろ姿に、質問は投げなかった。


「何だろー?あの子、何でまだいるの?ノボリ知ってる?」
「さあ、存じません」


なんて、実は室内に漂う甘い匂いに、おおかたの見当はついているのだ。

「おまちどうさまです!バレンタインだったので、ホットチョコレート作ってみました!」


こんなものですいません、はにかみながら差し出されたマグカップを受け取ると、ふわんと一層濃い甘い香り。湯気が立ち上るチョコレートに溶けかけのマシュマロが浮かんでいる。両手で包むように持つと、じわじわと手袋ごしに熱がてのひらへ伝わった。


「わー!僕ココアは飲むけどホットチョコレートって初めて。いただきます!」
「ありがとうございます。いただきます」


向かいのソファに浅く座ってこちらをにこにこしながら眺めている彼女を湯気越しにちらっと見て、マグカップに口をつけた。濃厚なチョコレートが舌の上を滑り喉を落ちていく。ごくりと嚥下すると、胃のあたりにあたたかさが広がった。


「とても、おいしいです」
「おいしいよ!どうもありがとう!」


そうですか、よかった!日ごろのお礼ですと嬉しそうに微笑んだ彼女に、嬉しい感情と切ない感情がないまぜになって湧き上がった。所詮わたくしは、彼女にとってただの上司の1人としかみられていないのだろう。それでもこうして一緒に時間を過ごせるだけで満足だ。しかし、できることなら彼女にも自分と同じような感情を抱いてもらいたいと思う。そう考えるのは我儘だろうか?

「ごめんなさい、もう少しゆっくりしたいんですけど…雪が降りそうなのでお先に失礼しますね!」
「うん、わかった!気をつけて帰ってね!」
「何ならお送りしましょうか?これのお礼に、」
「いいえ、ご迷惑になりますから!では失礼します!」


コートを羽織るとあわただしく彼女は走って出ていってしまった。わたくしは迷惑だなんて思っていないのに!むしろ彼女の家に着くまでの時間を共有できたら嬉しいと思っての下心ある提案だったのだが。まだあたたかさの残るカップに視線を落として、チョコレートの表面にゆがんで映る自分の顔を見つめてみた。…面白くもなんともない。残りを一気に流し込むと給湯室へカップを持っていき洗って片づけた。冬の水は冷たくて、せっかく温まった指がすっかり冷えてしまった。未だちびちびと甘い液体をすするクダリを尻目に、早々と帰り支度を始める。サブウェイマスターの証たるコートを脱ぎ、かわりに事務椅子にかけっぱなしにしていた黒いコートを取って袖を通す。ずっとここにあったからだろう、うっすらチョコレートの甘い香りがした。「クダリ、そろそろ帰りますよ」はやく飲んでしまいなさいまし。そう言いながらポケットに手を突っ込んだ。ら、こつんと指先に何かが触れる。不審に思い引っ張り出してみると、可愛らしい小さな箱が出てきた。何でしょうこれは。自分が入れた覚えのないそれをひっくり返してみて、そしたら思わず息がとまった。

「ノボリ?どうかした?」


いいえ、何でもありません。早口で言うと急いでそれを元通りポケットに突っ込む。普段の仏頂面を保つのがこんなに難しいだなんて初めての経験だ。胸の奥があったかくてくすぐったくて、体の頭のてっぺんからつま先まで幸福感で満たされる。ポケットの中のそれに触れている指が、そこから温まっていく気がした。


あぁ、今から来月が待ち遠しい。そうだ、その前に明日彼女と会ったら、力いっぱい抱きしめて、わたくしもあなたが好きですと伝えなければ。







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