あなたとわたし








あすの10時に伺いますとデートのお誘いを留守録メッセージに吹き込んだ通り、ノボリさんのおうちのドアをきっかり10時にノックした。ノックしたあとに呼び鈴のあったことに気が付いたけれどもまぁ相手方にこちらの訪問が伝わればよいのであって、その手段はノックだろうがインターフォンだろうが構わないはずである。という思考に時間を浪費している間にがちゃんとドアが開き愛しのノボリさんのお顔がのぞいた。「こんにちはノボリさん!お迎えに来ました!」にこっと自分が出せる最上級のスマイル(多分)をご披露して彼の返事を待つ、と思ったら珍しい事にノボリさんもにっこりとまるで彼の弟さんのような笑顔を見せて「ようこそなまえ」あれ?わたし、ノボリさんに名乗ったんだったっけ?


「狭いところですが、どうぞ」
「ノボリさん?あの、あの、わたしデートのお誘いに来たんです」
「えぇ、しかし少しくらい休んでいかれても構わないでしょう」
「えっあ、の、ノボリさんのおうちにお邪魔できるなんて幸せです!」
「はい、どうぞ」


一瞬もしかしたら彼は私を招き入れたあとに警察に通報してしまうのだろうかと脳裏をかすめたが、どうやら杞憂のようである。迷惑かけただろうという自覚はあったのだ。だって毎日電話してしまっていたし実はこっそり数枚写真も隠し撮りしてしまったし。ここの住所だって駅から帰るノボリさんの跡をつけて探し出したのだ。立派な、す、ストーカーです…よね。しかしこんなストーカーにもノボリさんは警戒の色なく、灯りのともっていない暗い玄関から廊下を、私の手を引きながら奥へ進んでいった。カチャ、と小さな音を響かせ擦りガラスの数枚嵌った木製のドアが開くとリビングに繋がっている。


「え……あ、わたしの家のと、同じソファだ!」
「おや、そうですか」
「あ、このゴミ箱もわたしのと一緒です!」
「おやおや」
「ん……わぁ、カーテンも一緒!もしかしてわたしたち運命ですかね?」


ノボリさんのリビングに置かれている家具たちは偶然にも、わたしの愛用しているものとまったく同じものだった。こんな偶然ってあるのね!大好きな人とおんなじ物を今まで使っていたかと思うと、なんだか少しどぎまぎしてしまう。偶然にも、家具の配置もわたしの家とよく似ている。あ。でもやっぱりノボリさんは働く男の人らしく、わたしの持っていない立派なコンピュータと周辺機材をそろえていた。頭よさそう。


「なまえは紅茶でしたね」
「そんな、お茶まで…何か手伝います!」
「いえいえ、楽になさっていて下さい、どうぞ自分の家のように」


手で示されるままにソファに腰をおろして、ただよってくるいい香りを吸い込んだ。しばらくするとノボリさんが綺麗な可愛らしいティーカップを二つお盆にのせて戻ってくる。あ、あれはわたしが前から欲しかったブランド物のティーセット…!高いから手が出なかった代物なのに、流石ノボリさんはお金持ちだなぁ。ていうか意外とノボリさんって少女趣味というか、かわいいものが好きなんだなぁ。「どうぞ」琥珀色に揺れる水面からふわふわと湯気が立ち昇る。おいしそう。私の隣に腰を下ろしたノボリさんにいただきますと挨拶をして口へカップを運んだ。わたしは紅茶に砂糖を入れて飲むのが好きなのだけれど人のお宅でおさとうの要求はできないよねと思っていたのだけれど、口に広がったそれはちょうどいい甘さに作られていた。ノボリさんも甘党だったのだろうか。


「美味しいです!」
「それはよかった」
「…あの、ノボリさん、毎日電話してごめんなさい」
「え?」
「き、気持ち悪かったでしょう?」
「いいえ?」
「え…ノボリさんって意外とその、肝が据わってるんですね…」
「気持ち悪いと思うどころかむしろ毎日のコールを心待ちにしておりました」
「え?それって…どういう」
「なまえは意外と奥手なのですね?電話口ではあんなに熱烈に愛をくださっていたのに」
「え、あ、電話では顔が見えないし、その、ノボリさんかっこいいし、緊張しちゃって」
「ふふ、可愛らしいですね」


さらりと投下された爆弾発言に、ドキドキするより前に少々ギョッとしてしまった。か、かわいい?このひとストーカーに向かってかわいいって言ったの?ちらりとノボリさんの顔をうかがってみたら、からかう様子もなく口の端で優しそうに笑っていた。「どうしました?」「い、いいえ」ぱっと視線を湯気のほとんどおさまったカップに戻す。どうしよう緊張して味がよく分からなくなってきた。

「なまえ、あなたに見せたいものがあるのですよ」
「?なんですか?」
「こちらへ」


かたりとカップを優しく取り上げられ、それはローテーブルに移動した。再びノボリさんに手を引かれるまま暗い廊下を通り、ひとつのドアの前に案内される。


「開けてみて下さい」
「わたしがですか?」
「もちろん」
「え、えっと……失礼します」


キッと小さく蝶番のなる音がしてドアが開いた。背中をそっと押されて暗い部屋の中に脚を踏み出す。「ノボリさん、電気どこですか?」ばたんと少し乱暴に扉が閉められた音のあと、ぱちんと蛍光灯がつく。


「………え……」


そこには私の寝室があった。いや私の寝室がこんなところにあるはずがないのだけれども、そこに置かれている家具や小物、衣類に至るまで、完璧にわたしの部屋が再現されている。一瞬自分の家に帰ってきてしまったかと勘違いするほどだった。生活感のなさだけが、わたしの部屋とこの場所をはっきりと分け隔てている。


「あ……ここは…わ、たしの部屋とそっくりです…けど」
「ええ」
「あ、もしかして私、が、無意識にノボリさんのベッドルームと同じインテリアにしてた、とかー…あはは…運命的ですね…」
「わたくしがあなたの寝室と同じものをここに作ったのです」
「は…?ノボリさん、だってわたしのこと知らなかったはずじゃ」


はっとした。そう言えば彼は出会いがしらにわたしの名前を呼んだのだ。てっきり自分で気付かないうちに名乗っていたかと思ったが、そう、わたしは彼にまだ一度も名を述べていない。


「壁紙から照明器具、カーテン、本棚、寝具や家具にいたるまですべてなまえの使っていたものと全く同じに、完璧にそろっているはずです」
「な、なんで」
「さてしかしこの部屋にはもう一つだけ足りないものがございます。いったいそれが何かお分かりになりますか?」
「え?なに、も」
「なまえです。この部屋にはたった一つなまえだけ足りない」


ずいと背をかがめて顔を近づけてきたノボリさんから逃れようとあとずさったら膝裏にベッドのふちがあたって、ひざかっくんの要領でころりと布団の上に上半身を投げ出してしまった。覆いかぶさるようにわたしの顔の両脇に手をついて、ノボリさんは話し続ける。


「さてなまえ、わたくしあなたをこの部屋にお呼びしたいのですが」
「もうわたし、ここ、にっ、い、いるじゃないですか」
「そういう意味ではございません」
「あ、はは、お、お泊まり会なら一旦いえに戻って着替え、取って来なきゃ」
「心配いりませんよなまえ、あなたが使っていたものと同じものをそこへ既に用意してあります」
「や、っだ!」
「………」


むっと眉をしかめてノボリさんはわたしの上からどいてくれた。ばっと身を起してばくばく嫌な速さで働く心臓を押さえつける。なんだこれ、ノボリさんちょっとおかしい。


「……では、これを」


はっと身を引こうとした途端がっちりと腕を掴まれる。じゃりっと重たい金属の音がして、冷たいわっかが手首に触れた。「便利な世の中ですね、こんなものも通販で買えてしまうのですから。どうです、痛くはありませんか?」愛しむようにつつと撫でられてぞわっと総毛だった。どうしようどうしようノボリさんってこんな人だったのか!


「い、いえに帰りたいのですけど」
「許可しかねます」
「これ取って下さい」
「いけません」
「い、いやだ!」


クスッと、こんな状況でなければ見とれてしまうような笑顔でノボリさんはわたしを慈しむ。「だめです」


帰して!半ば涙の混じった声で叫ぶ私にノボリさんはそっと口を寄せて囁いた。何を言っているのですか、ここに来たのはあなた自身でしょう?わたくしの家を勝手につきとめたり毎晩毎晩電話をかけて来たり写真を撮ったり、わたくしただあなたのストーカー被害にあっていた、善良な一般市民でございます。この鎖は、わたくしの自宅に押し掛けてきたあなたを拘束すべく使用しただけ、いわば正当防衛です。ええ、誰がどう見たってあなたが悪い。
くすくす笑いながらわたしの耳に声を吹き込み、時折ちゅうと首に吸い付くノボリさんの唇から逃れようと体をひねったら、ベッドサイドに置かれた私のと同じチェストの上に乗っている写真立てが見えた。そうだ、そういえばこれはわたしの部屋とは唯一異なるものだ。綺麗な木枠の、金属の、ガラス製の、色紙の、そのフォトフレームの中、板ガラスにはめこまれたおびただしい数の写真の被写体はすべてわたしだった。ノボリさんはくすくすと笑ってわたしの目を覗き込む。「愛していますよ、あなたもそうだと言ってくれたでしょう?」








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