他人との最高級ロマンス<あなたとの身の丈ロマンス






『すいません寝てました』


謝罪と弁解をなるたけ簡潔につめた、その簡素な文面を見て呆れのため息をついた。ライブキャスターを閉じる。いいよ別に。こっちはどうせノボリくんが時間通り来るなんて思ってないから。今だってわたしは待ち合わせの場所がギリギリ見えるくらいのこじゃれたカフェでお茶してたし、待たされることになるだろうと覚悟してたから暇つぶしに文庫本の用意もぬかりない。さて今ごろあたふたとヒゲでも剃ってるであろうノボリくんをどうしてやろうかなぁと思いながら、カップに三分の一くらいのこってたコーヒーをぐっと飲み干す。いくぶんぬるくなっているがもちろんまずくなどなっていない。ここのコーヒーは好きだ。常連なのだ、わたしは。なんたってノボリくんとデートの約束をするたびに、遅刻してくる彼を待つべくここで同じコーヒーを頼み続けているのだもの、常連にもなる。
いいよもう、わたしがノボリくんの家行く。そんな感じの文面を作って送信した後、伝票を持って立ちあがった。リーズナブルな料金でおまけに5杯までおかわりができるところも、ここのカフェを気に入っている理由の一つである。



「大変申し訳ございませんでした」


がちゃっとノボリくんちの玄関ドアを開けたら、彼が床に手のひらついて出迎えてくれた。土下座スタイルである。わたしのメールを受け取ってからずっとそこにいたのだろうか、このやり取りもいい加減定型化しつつある。しかし今日のノボリくんは上半身裸で、そのうえ顔にシェービングクリームが所々くっついたままだった。


「別にいいよ、もう今更慣れた」
「慣れさせてしまったのですか…!」
「だってノボリくんいっつも遅れてくるんだもん。昨日も遅かったの?」
「昨日と言いますか、帰宅したのは8時くらいです」
「朝の?」
「朝の」


道理でふらふらしてるし目の下の隈がくっきりしているはずだ。そんな時間に帰って来たのであっては、約束の時間を20分オーバーしてしまうくらい眠っていたとしてもまったく足りていないだろう。別にわたしはデートなんて今日じゃなくても良かったんだけど。ふらつく危なっかしいノボリくんをはらはら見守りながら、一緒にリビングまで移動する。ソファにぼふっと座り込んだノボリくんは、うん、なんていうか、やつれている。


「ノボリくんごはん食べたの?」
「………は、…………え?はい?」
「ごはん食べたのって聞いたの。いまちょっと寝てたでしょ」
「寝てました…」
「食べてないなら何か作ろうか。凝ったものは作れないけど…その間ノボリくん寝てるといいよ」
「なまえがせっかく来ているのに眠るなど…」
「いつものことじゃない。寝てなよ、ノボリくん酷い顔してるよ」
「でも」
「そんな疲れた顔の人といちゃいちゃしたくないです」
「わかり、ました」


ふらーってノボリくんはベッドのある部屋に戻ってった。途中でドアの縁に一度頭をぶつけていた。結構すごい音がしたけど無反応だったので、当たり所がよかったかもう半分眠っていたかのどっちかだろう。わたしは彼のごはん(朝ごはんになるか昼ごはんになるかはたまた夕ご飯になるかはノボリくんの睡眠時間による)を用意するべくキッチンに移動する。何を作ろうか。
冷蔵庫を開けた。卵1パックと牛乳、マーガリン、ブルーベリーのジャムびん、お豆腐のパック、チーズ、とりにく、ウインナーの袋、何が入っているか見えないタッパーが2つ3つ。そして残りの空間はビールが占めていた。……おかしいなぁ、この間きたときはもう少し人間らしいものがつまっていたはずだぞここには。ひやひやした空気が垂れてくるのが寒かったのでばくんと閉じて、野菜室を開けた。ふむ、こっちはまだ充実している。一人暮らしでおまけに外食も多い彼が野菜室をきちんと野菜で満たしているというのはなんだか変な感じである。だってノボリくんは2、3日帰らないとかもざらなのだ。その間に買った事を忘れられた野菜が傷んでしまう可能性を考えないのだろうか。それとももしかしたら、不健康な生活をしているという自覚はあって、せめてビタミンくらい摂取しようということなのだろうか。良い心がけである。ひとまず冷蔵庫の物色はこれでおしまい。


「続いては戸棚の探索です」


ひとりごちてがたがたと微妙にひっかかる戸をひっぱり開けた。ふむ、流石不健康代表ノボリくん。流しの三角コーナーに割り箸が突き刺さっていたことから多少の予想はついていたけれど、カップラーメンの量がはんぱない。これだけで一カ月は生きていけそうだ。がさごそカップめんの山を切り分けつつ、わたしは奥を漁った。以前ノボリくんの食生活を危ぶみ買ってきたレンチンのおこわとかが手つかずで出てきた。ノボリくんめ、人の好意を無にしおって。しかし気にせずがさごそやる。ノボリくんはたしかここにカレーとかのルーをしまってたはずだ。角ばった箱が指に触れたので引っ張り出すと、シチューの箱だった。カレーないのかな。ないみたい。仕方ないのでシチューを作ることにする。材料を入れてぐつぐつすればいいだけ、簡単だ。ことこという鍋は弱火のままほうっておいて、次はノボリくんがとっちらかしたお部屋を片付けてやろう。以前はノボリくんも掃除はいいです!ってつっぱねていたが、エロ本をわたしが見つけ出してしまってからはとやかく言わなくなった。それでもノボリくんは、彼女に掃除させるっていうのがイヤらしい。掃除の為だけに付き合ってるのかってわたしに思われてる気がするそうだ。そんなこと思ってないのにね。脱ぎ散らかされた洋服を集めて、乾燥もできるドラム式の洗濯機にまとめてぶっこんでお洗濯はおわり。ノボリくんが楽する為だとか言って結局彼に使われないまま放置されてるフロア用ワイパーを隅から隅まで滑らせてお掃除も完了。ノボリくんの家がとっちらかって見えるのは90パーセントが散らかされた洋服のせいなので、それを片づけてしまえば非常に簡素なお部屋になる。キッチンに戻ったらいい具合にシチューは煮込めていたけれど、ノボリ君はまだ起きてこない。起こそうかな、どうしようかな。


「ノボリくーん……」


かちゃ、って小さな音と一緒にノボリくんが眠っている部屋へ入りこんだ。窓には分厚い遮光カーテンが引かれているので、昼間だけど中はとても暗い。ベッドに近寄ったら規則正しくて深い寝息が聞こえる。疲れてるんだなぁ、ノボリくん。そんなに疲れてるならわたしとのデートなんか、約束しなきゃいいのに。ぴくりともしないで眠り続けるノボリくんがかわいそうになって、毛布がまくれて剥きだしになっている素肌の肩を撫でてみた。すべすべでさらさらしている。ぴくっとノボリくんは身じろぎした。起きる気配はない。


わたしはいったん洗面所へ行くと、置きっぱなしにしてあるメイク落としシートを一枚引っこぬいて、デートの為に丹念に施した化粧を落としにかかった。化粧水も乳液もノボリくんちにわたしのは常備してある。すっぴんになってから、同じくノボリくんちにおきっぱなしのパジャマをタンスから出して着替えて、キッチンにもどってコンロにかけっぱなしのお鍋の火を消して、ベッドに転がりっぱなしのノボリくんの横へ滑り込んだ。意識がないノボリくんも、この時だけは条件反射みたいに抱き寄せてくれるから好きだ。今日は特別に上半身裸というオプション付きなので、ノボリくんのさらさら素肌を堪能し放題である。いい匂いがする。


ノボリくんさぁ、疲れてるんだったら無理してわたしと会ってくれなくてもいいんだよ。数週間会えないくらいで喚き散らすような聞き分けのない女じゃないつもりだよ。律義なんだか何なんだか。疲れてるならお家デートでも一緒にお昼寝でも、何だってかまわないんだけどなぁわたしは。頬をすりよせるノボリくんの、剃り残したヒゲがざりっとおでこに当たって、少し痛いようなくすぐったいような。ねぇねぇノボリくん、いっそわたしと結婚しちゃえばいいと思うよ。ノボリくんの職業柄放置プレイにも、睡眠による放置プレイにも、耐えられる女って多分わたしくらいだよ。ノボリくんの不健康な食生活に気を使ってあげられるのも、お掃除お洗濯をあなたのためだからしてあげたいっておもっちゃうのも、多分わたしくらいだよ。わたしと結婚したらいいのになぁ、ノボリくん。そしたら会う時間ももっと増えるのになぁ。でもノボリくんはだめな男のひとなので、たぶんわたしと結婚すればすべてハッピーにいくなんてそんな簡単なことに辿りつくにもまだまだ時間がかかるんだと思いますよ。


わたしが夕方くらいに目を覚ましたら多分ノボリくんはいつもみたいにゆるく笑ってにこにこしたままわたしを抱えて寝転がってるんだろうなぁと思っていましたが、今日はオプションでわたしの左の薬指にきれいな指輪がはまっていました。「なまえ、」ってわたしの名前を呼ぶノボリくんはいつも通り最高にかっこよかったですが、シチュエーションが上半身裸の男とすっぴんの女という非常に締まらないものだったので、わたしは微妙な気持ちになりました。これが夜景の見える素敵なレストランだとかそういうメルヘンに溢れた場所だったらとってもロマンチックだったのに、どうして分厚い遮光カーテンで夕焼けの一筋しか入ってきていないベッドルームなんだろうね。わたし知ってるんだよノボリくん、このベッドの下にエロ本隠してあるの。そんなところでこういうもの渡しますか、普通。どうしてこうノボリくんはだめなんでしょうね。でもこんなどうしようもないノボリくんに付き合ったげられるのは多分わたしくらいのものなのでよしとすることにしました。なんてったってこんなだめだめなプロポーズをされたっていうのに、わたしの涙腺は緩みっぱなしで涙が止まらなかったんです。






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