代償行為も恋心もたぶん理性の証拠








ああ悟られてしまったのだと頭のてっぺんから血の気がすっと引く感覚、理性も失われやけっぱちになったような精神状態で、どうせ彼女の自分に対して抱く印象が最悪になってしまったならいっそ喰ってしまえと動物のような思考回路でその体をいささか乱暴にベッドへ押し付けたけれど、なまえの冷めきったような瞳が動揺に揺れ、濡れて濃くなったまつげの黒の端からひとつぼろりとこぼれた涙を見てしまったら、罪悪感がむくむくと頭をもたげてしまってやっぱりこの愛しい人へ荒っぽくかぶりつくだなんて出来そうもない。泣かせてしまったことにずきずき心が痛んで、押さえつけた腕からそっと自分の骨ばったてのひらを剥がしその涙をぬぐった。今度はなまえの肩は跳ねなかった。


「………すみません」


なまえを見降ろしたままぽつりと呟く。混乱したようにぽろぽろ泣きながらわたくしを見上げるなまえのその視線で、じくじく心が火傷したみたいに痛い。違う、違うのだ、あなたを力任せに征服しようなんて考えてない。どうぞ怖がらないで。なまえの鎖骨あたりに額を寄せて目を閉じた。ぎくんと彼女の体が固まったのを感じたけれど、そのままじっと動かずに、懺悔でもしてるみたいな恰好で、まぶたの裏の暗闇を見続けていた。浅い緊張したようななまえの呼吸を数えるつもりもなくただ耳にしていたら、遠慮がちに髪を撫でられる感触がする。最初は触れるか触れないか、次第に慰めるようなあたたかい手つきで。


「すみません」
「それは、何に対しての謝罪なんですか?」
「………あなたに、乱暴しようとしたことと、」


それから、と続けようとした先は言葉にならなかった。何を自分は謝ろうとしているのだろう。恋人でもない彼女に向かって、あなたの代わりに別の女を抱いてすみませんとでも?


「ええと………」
「わたしは別に、ノボリさんが女性を日替わり定食のごとく食い荒らしてても気にしないですよ」
「……すみません……」
「何謝ってるんですか、わたしには関係ないのに。へんなノボリさん」
「すみません」
「………」
「すみません……」
「ノボリさん、誰に謝ってるの?」


何にでなく誰にでなく、正しく懺悔でしかない。すみませんという言葉がこの場合に自分が発するべき単語の正解かはわからないけれど、とにかく後悔の念を表したかった。彼女をよこしまな目で見てしまっていたことに対しての後ろめたさかもしれないし、もしかしたら恋心へがちゃりと錠をかけたままこれを性欲に無理矢理変換して寂しさを紛らわしたいくつもの夜の、その自分自身に謝りたかっただけかもしれない。あるいは彼女の代わりとして乱雑にベッドへ押し付けた女性たちへの申し訳なさだろうか。まさか。ぎゅうと彼女のブラウスの端を握る手に力を込めたら、ぽんぽんと軽く頭を撫でられた。あやされている子供のような気分になった。今さらかっこつけたって仕方がない。どうせもう印象は最悪でこれ以上彼女に軽蔑されることなんて多分ないのだし、全部ぶちまけてしまえばいい。


「…あなたが欲しかったんです。そばに置いておきたかった。けどあなたへ自分の気持ちを伝えるのが怖くて、拒絶されたらと思うと恐ろしくて」


本物を手に入れられるわけがないと自分から線を引いて偽物で満足しようと目を逸らして、そのくせいつだってきらきらしたなまえに恋い焦がれていた。贋作では満足できるはずなどないとわかっていた。薄汚い自分が触ってはその輝きが濁ってしまうと傲慢もいいところな考えで、近づきたいのに距離を取ったのは自分の方だ。この人の前でだけは綺麗でありたいと願ったのに、押し込めた感情のせいで熱だけ溜まって他所で寂しさを紛らわせて勝手にひとりで苦しんで、そのせいで彼女に見せたくない汚れにどんどんまみれてしまっていって、ただの馬鹿とはこのことだ。夜ごと変わる相手とどんなに密着したって孤独感を覚えたのは、虚しかったのは、あなたの形をした人形を抱いていたようなものだからで、そんなの優しい体温なんか感じられるはずもなかったのだ。いま自分の髪を撫でてくれている手のような。


「ノボリさんはばかやろうだと思います」
「はい」
「最低のクズ野郎だとも思います」
「はい……」
「というのは嘘で」
「え?」
「ただの臆病者だと思いました」


何人ものおんなのこをいいようにできるくせに、わたしひとりなくしたら怖いんですか。少しだけ得意そうに笑う声が聞こえてきて、押しつけた額を離したら、目の前には声音と同じように得意気に、けどちょっぴり恥ずかしそうに笑うなまえの顔があった。


「なまえ、あの、あの………わたくし、あなたが好きなんです」
「それはどうもありがとうございます」
「よろしければわたくしの、その、恋人に」
「よろしいですよ」


口調をまねて澄ました顔でそう言って、ぱちりと目を閉じたなまえの額へ触れるだけのキスをひとつ落っことしたら「やっぱりノボリさんは臆病者です」とぶすくれられた。だってまだ怖くて触れられない。


「へへへー、何か変なの、ノボリさんがわたしを好きって変なの」
「何がですか」
「だってノボリさん、大人だから」
「……あなたもでしょう?」


まぁそうですけどね、でもノボリさんはアダルトな香りがするんですよね、だなんて人の心の傷をえぐるような事を言う。


「浮気したらちょっきんですからね」
「………しませんよ」
「どうでしょう、浮気って動物の本能的な行動らしいし」
「わたくしは人間ですから」


自分が触れてはなまえのきらきらした光がくすんでしまうなどどうして考えたのだろう。なまえの輝きを損ねさせることなんてこんな小さな自分ではそもそもできるはずがなかったのに。人間も動物の一種でしょうと生意気を言う彼女の目をじっとそこへ写り込む自分の姿も見えるくらい近づいて覗き込んで「動物とは違うから多くを追いかけ回すよりひとりをずっと愛したいです」なんて我ながら赤面するような言葉を吐いてなまえの唇へがぶりと噛みついた。あぁ確かに欲情するこの体は所詮動物で、しかしただ唯一のこの彼女が愛しくて愛しくて仕方なくて泣きそうになるくらいの幸福を感じているこの心は、恋の熱に浮かされたような思考は、これこそが所謂人間というものだと思うのだ。








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