翌日、たったひとつだけ左耳にピアス
苦い煙をくゆらせながら、けぶる空気に耳元の金色した小さな光を揺らすインゴさんがなんだかすごくかっこよかったので真似したくてピアッサーを買った。白いコの字型のボディと、コンパスから抜き取ったようなぶっといぎらぎらする針。あまりにも凶悪な光を放っている。むりだこれ、自分じゃ絶対できない。
「……ということなんですよ!穴あけてくれませんか?」
「嫌です」
思った以上にばっさり切り捨てられた。喫煙室の狭くるしいスペースは、ふたりで並ぶには少々きつい。多分インゴさんが悪い、そんなに縦に長いから圧迫感あるんだきっと。
「な、なんでですか?インゴさんなんて口も舌も軟骨もおへそも乳首もピアスつけてるのに、手馴れてるのに、いっこわたしにプチッて開けるくらいいいじゃないですかー!」
「ピアスの場所、後半はあなたの妄想ですよね。ワタクシ見せたことありませんよね」
「なんで駄目なんですか、人の肉を突き刺すのに抵抗が?」
「おぞましい言い方しないでくださいまし」
インゴさんがスゥゥと息を吸い込んだのに合わせて、煙草の先端がルビーの色に輝く。言葉を煙に紛れ込ませるように、深いため息混じりで彼は呟いた。
「……はー……、他人に穴を開けるのは……医療行為ですから。ワタクシではできませんよ」
「えっ」
「お医者様ではありませんので」
「えっ」
「何か」
「インゴさんは法律?ワッツ?イッツデリシャス?みたいな人だと思ってたので、今とても驚いてるところです!」
「あなたって頭悪いですよね」
そんなに開けたいですか、ピアスホールなんか。呆れたように横目でこちらを見ている。「インゴさんのそれがかっこよかったので、いいなーって思って」「Hum……?」どうでもいいみたいな顔で片眉を上げた。長身をかがめて手を持ち上げると、無遠慮に耳たぶをつままれる。
「痛いですよ、ピアスホール開けるの」
「い、一回くらいなら我慢できますもん。それに失敗したくないからインゴさんに頼んでるんじゃないですかぁ……」
ふぅん。煙草を咥えたまま、インゴさんは耳たぶに添えているのと別の方の手を差し出す。「貸しなさい」「え、ここで?」未だわたしが握っていたままの白いピアッサーが、彼の長細い指でつまみあげられた。
「開けてくれるんですか?」
「軟骨用ですか……チャレンジャーですね」
「どうせ痛いなら同じかと思って!」
「まぁいいですけど」
ぽいとわたしの手のひらにそれを返すと、わたしの手ごとインゴさんの手のひらが白いチープなピアッサーを掴む。
「……えっ待ってください!やだー!やりたくない!怖い!インゴさんお任せでやってくださいよぅ!」
「まぁまぁまぁまぁ」
「絶対痛い!絶対痛い!」
「目を瞑っていても構いませんよ、どうぞ」
ぐいっと腕ごと引っぱられて、ピアッサーを掴むわたしの親指にインゴさんの指がかかる。怖い怖い怖い怖い!インゴさんのばか!目をぎゅうと瞑る。
かしゅっ!指先に伝わる小さな衝撃。耳元じゃない、全然違う場所で針の飛び出た音がした。
「……あれ?」
「……どうですか、人の肉を突き刺す感覚は」
「あれぇぇぇ!?なんでインゴさんに穴!ピアスホール作りたかったのはわたし!イッツミー!!」
「たかがひとつのホールで騒ぐ奴には無理です」
彼の左耳に今しがた開いたばかりの新しい穴に、ぶっすりと銀の針が貫通している。針の頭に被さっていた透明のカプセルを外しながら、インゴさんはニヤッと笑った。
「この穴はワタクシがいただいておいてやります」
「ヒィィー!インゴさんのばか!わたしすっごい覚悟決めてきたのに!」
「その心意気は別のところで使いましょう。わざわざ傷をつける必要はないですよ」
まだ穴のひとつもない、わたしの耳たぶを軽くひっぱってインゴさんは呟く。
「……いつかワタクシが傷物にしてやりますから、その時まで大事になさいまし」
気付けばずいぶん灰が長くなっていた煙草を、インゴさんは灰皿にねじこんで喫煙室を出ていく。部屋いっぱいに充満しているのは彼のお気に入りの銘柄、甘めのメンソールの香り。呆然とするわたしの手のひらには、いつのまにやらピアッサーの代わりに可愛らしいチョコレートの包みが押し込まれていた。