「昨日はどうもありがとうございました、おかげさまでよく眠れました」


と、すがすがしい頬笑みでインゴさんは玄関ドアをくぐるわたしを見送った。時刻は10時を少し過ぎたくらい。つやつやしてやけに血色がいい彼は、わたしとは正反対の顔色である。つまりわたしは疲れ切っている。不健全な意味じゃないけど。ひょっとしてベッドに入ってからセックスに持ち込まれるのかもしれないと多少はビクつきつつ彼に招かれるままシーツの上に転がったのが昨夜の話だったが、やっぱりというか結局というか、彼、インゴさんに抱き枕扱いされたまま一夜を明かした。子供にしがみつかれてベッドに寝っ転がっているテディベアって多分、あんな気持ちなんだろうと思う。ぎゅうぎゅうに締めあげられたまま寝返りも満足に打てなかったので体の節々が痛い。ダルい。


「迎えに来たわよぉ」


大丈夫だった?やだぁあんた凄いしかめっ面よ、そんなにイヤなお客さんだったの?むきむきの両腕で女の子みたいに自分自身を抱きしめつつ、オネェさんは心配そうにわたしを覗き込む。フラットのエントランス前の道に横付けした赤のコンパクトカーは、マッチョなオネェさんには少しだけミスマッチで面白い。ちょっとクマ出来てるわね、いいわよオウチまで送ったげるし車の中で休んでなさいよ、ってぐいぐい背中を押してくるから、逆うことなくだるい体を後部座席のシートに倒れこませた。


「……あ、そだ……これ、はい。お金、あのお客さんの」
「あぁ、はいはい」


もそもそ鞄から取り出したお金を差し出すと、オネェさんは丁寧な手つきでそれを受け取る。あら、結構弾んでくれたじゃない。お店の分引いた残りは貰っちゃいなさいよ。オネェさんはイタズラぽく言ってくれたけど既にわたしは手渡した分とは別にチップとして万札を数枚バッグの内ポケットにねじ込んでいる。ただ、それをわざわざ言うのも面倒だったのでむきむきの腕がハイこれと差し出した余剰分のお札をありがたく受け取った。フロントガラス越しに見る空が明るい。今日は天気がいい。


「……どうだったって、聞かないの?」
「アタシからは聞かないわよ、聞いて欲しいなら聞いたげるけど。どうだったの」
「うーん、金払いがよかった」


あと趣味が悪かった、でも顔はなかなか良かった。プレイは楽勝。そう気だるく呟いたら、オネェさんはそりゃ初耳だわって笑った。いつもは帰りの車の中で酷い言われようらしい。


「プレイ楽勝なのに趣味悪かったんだ」
「悪かった、窒息死するかと思った」
「……えぇ?ヤダそれ危ないじゃない、お店に報告しとくわ」
「あ、ううん、そういうんじゃないから大丈夫」


そういうんじゃないってどういう事よ、やぁねお金に釣られて暴力容認しちゃダメなんだからね、とかぶつぶつ呟くオネェさんの声と、動き出した車の低いエンジン音をぼうっと聞きながら目をつむった。あぁダルい、帰ったらもう今日は寝よう。


「まぁ、アンタがあのお客さんに当たることは多分もうないわよ……毎回違うコ頼んでるから、あの人」


へぇそうか、毎回違う子呼んでるのか。うとうとしながら頭の片隅で反芻する。
じゃあオネェさんの言う通り、もうきっとあの人のとこ行くことはないんだろうなぁ。ちょっと残念だ、こんな楽な客は多分めったにいないってのに。


「……アラ寝るのね、おやすみ」


別段あのお客さんに執着があるわけでもないので、その思考はすぐ睡魔に駆逐された。
きっとあと2秒くらいで彼の名前だって忘れちゃうに違いない。何だっけあの人の名前は。インコさん?ほら、彼の事なんてもう忘れた。



ただ誰かと一緒に映画なんか観たのは久しぶりだったから(趣味は悪かったけど)少しだけ楽しかったし、これは多分忘れない。





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