「……ご指名、どうもありがとう」


インゴさんはフンと気だるく鼻を鳴らすと、ドアを大きく開けたままわたしが中へ入るのを待った。玄関先にはコンビニの袋が、若干結露を滲ませてぽいと置かれている。わたしが靴を揃えたのを確認して、彼はビニール袋を持ち上げるとぺたぺたリビングの方へ歩いて行ってしまった。「あぁ、お風呂、どうぞ」ワタクシはもう入ったので。そういつもなら続くところだったが、今日はそれがなかった。見れば分かる、だってインゴさんはまだワイシャツにスラックスで、いかにもお仕事帰りだ。


「わたし、インゴさんのあとで良いですよ?」
「良いですから、先に」
「……何で?」
「はいはい、先払いですよね」


ぽいっと折りたたんだ札束は、ただでさえイロが付いている普段の金額よりもさらに多かった。じとっと見つめるとプイと視線をそらし、わざとらしくレンタルショップの袋をごそごそしだした。何これ、ごめんなさいってことだろうか。気まずそうに目をそらしたりして、何に謝ってるんだろう。バトルサブウェイでブリッジしたのは別に、指名入れてくれなかったことに怒ったとかそんなんじゃなかったのに。でも断る理由もないから、有り難く頂いておく。




「……あれチップかと思ってたんだけど。追加料金だったんですか」
「まぁまぁまぁまぁ」


はいちょっと詰めて下さいまし、って言いながらインゴさんが浴槽に入り込んでくる。小さくはないけど複数人で入るような構造じゃないから、流石に湯船も狭っくるしい。最初は向かい合ってお互いに膝を抱えていたけれど、あまりに窮屈だったからインゴさんが立ちあがってわたしの後ろに回り込み、もう一度お湯へ浸かりなおした。おいブラブラさせてんじゃないですよ、せめて隠せよタオルとかで。どうやら私の胴を抱える体勢が、すっかり落ち着くようになったみたいだ。でもあのね、何かこう、当たってるんだよね。腰に。ふにゃふにゃした物が。


「お風呂でいちゃいちゃプレイですか?したいんですか?」
「いいえ、別に」
「は?じゃあ何で入ってきたの?」
「時間短縮の為です」


ワタクシ昼間から盛るほど見境なくありませんし、とか何とか、うら若き乙女を前にしてだいぶと失礼な事をほざきながらゴリゴリと後ろから額を頭に擦りつけてくる。いたいいたい。紳士ぶってんのかしら。だけど確かに、腰に当たる軟物質は硬度を持つ様子もない。


「……今日も映画?」
「映画ですねぇ、ええ」


ちゃぷ、インゴさんが遊ばせた手のひらで湯面が波立つ。ミルキーピンクの泡がぽこりと浮かんで、すぐにはじけた。ああつまり、ほんとにこの人わたしに興味ないんだ。それはお客さんとしちゃ好都合な事なのに、なんでむかむかするんだろう。理由は何となく分かるけど、はっきりした言葉にしたくなかった。


「……あは……。ねぇ、何でわざわざわたしを呼ぶんですか?指名料取られるでしょ?一緒に映画観るだけなら女の子は誰だっていいでしょうに」


あぁ、あれは。どうでも良い事だと言うように、インゴさんは口を開く。


「あなたが初めてだったからです。ホラーを見せて、怖がらなかった女性」


濡れてうなじにかかったわたしの髪をくるくる弄って遊んでいる。その言葉で、どうしてか気分が落ち込んだ。そうだ、知ってる。この人はうちのお店の常連さんなんだった。とっくに知ってたのに。今日だってお金を貰って、わたしはここに呼ばれたのだ。ていうかわたしの価値ってホラーに強い事だけなの?まじで?なんだそれは。


「なら、怖がりじゃない彼女作ったらいかがでしょう。ああ、わたしとしてはサービスなしでお金頂けるからこの状況も悪くは無いんですけど」
「身近な知り合いに……ホラーなんかで怖がってる姿など、見せられますか」
「…ダメですね」
「そうでしょう」


インゴさんが苦笑いしたのを空気で感じて、目は前をぼんやり眺め続けていた。


「デリヘルなら個人情報ばれないですもんね」
「まぁ、結局ばれてしまいましたけど」


うふふ、って笑った。そうそう、わたしデリ嬢なんだよねこれが。これも全部、お仕事。インゴさんとお話してるのも、お仕事だ。


「サブウェイボスさんだったんですね。怖いの苦手って可愛いですね。バトルの時はあんなにクールっぽいのに」
「……だ、だから嫌だったのですよ!」


ぎゅうぅ。いつもはパジャマの布地越しに感じるだけの腕がダイレクトに肌へ触れてて、何だかくすぐったい。体温高めのインゴさんにぴったりくっついているのは気持ちいい。でもちょっと遠い。いつもはインゴさんの心臓がバクバクしてるのに、今日はわたしの心臓の方がめちゃくちゃに暴れてる。ちょっと辛いな、苦しいなぁ。ああ、もしかして湯あたりしたのかもしれない。


「あのね、インゴさん、わたしこのお仕事やめようと思って」
「……どうしてですか?」
「は?」


訝しげに彼が顔を覗き込んでくるからちょっと絶句した。


「えっと……デリヘルやめるのに特別な理由が必要なの?」
「だって、別に待遇、悪くないでしょう。毎週ワタクシの所へ来て、映画を観て、眠って、帰るだけでしょう」
「それがやなんだってば、もう」


思ったより低い声が出て自分でも驚いた。インゴさんはピクッと身を震わせて、明らかに動揺する。よもやデリ嬢に拒否られるとは思っていなかったのかもしれない。


「あ、ううん。別に、いいんです。映画は嫌いじゃないし、でももうお仕事やめるから、それだけ」
「そうですか……」




その日のインゴさんセレクトはやけに主人公カップルのいちゃいちゃシーンが多くて、ソファに座ってるのがいたたまれなかった。その分ホラー展開も今までの数段えぐいものだったけど、なのに今日のインゴさんは心ここにあらずといった体でぼけっと画面を眺めている。





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