綺麗な話でもない





なんて日かしら、と呟いた彼女の横顔は別段普段と変わりなかったので、多分プログラムされただけの感嘆ない言葉だったのだと思う。僕は古臭い小説みたいな喋り方だねと少しだけ意地悪くしかし愛情はこめたつもりで返して、その後はどんな会話をしたのだか覚えていない。これは僕が彼女と交わした最後の言葉を必死で思い出そうとする中で、断片的に掘り起こした記憶だった。多分あの時にはもうなまえは、自身を壊してしまうという思いつきを持っていたんだと思う。






***






「じゃああなたはもちろん三原則が適用されているんでしょう?」


地面に手足のない上半身だけで転がった、綺麗な顔の女の子は随分と頭の回転の速い子だった。と言っても基にしているデータベースの種類上話題は偏ったもので、やれ××の××はイくのが早いだとか、概ね話題はセクシャルなテーマだったけれど。手足をどこへやったのかと聞いてみたら、バイヤーにもぎ取られてしまったのだと言う。質の良い手足は時たま義手や義足としてリサイクルの名目のもと売られて行くのだと、わたしはこの時はじめて知った。艶々として女の目にも色気を感じてしまいそうな唇をついとゆがめる彼女に、彼女はいったいどこのモデルなのかと内心眉をひそめる。ひょっとしたらオーダーメイドの一品物かもしれない、こんな高級そうな子をぽいと捨てたのは一体どこのお金持ちなのだろう。


「はい、出荷時にテストも受けてますよー」
「そうよね。ところで私思うのだけれど、あなたが人に恋されたら、その人の繁殖の機会を一時的ないし永遠に奪ってしまうとは思わない?」


長くてボリューミーなまつげをしばたたせ彼女はうっすら眉をひそめた。もし手足がきちんとついていたら、きっと唇に白い指先を添えて憂う仕草をしたに違いない。「……え?」特別美人にカスタムされているわけでもないわたしは人並みのまつげをしぱしぱさせながら彼女と同じように薄く眉をひそめた。


「あなたが自分のご主人とセックスしたらその人が本来他の女性を孕ませるはずだった精子が無駄になるでしょ。それって新しい個体の誕生の可能性を阻害してるし第一条に反することにはならないの?ヒトに危害を加えることにならないかしら」
「ええとわたしがー、つまり……わたしの持ち主の、」
「要するにあんたのせいであんたのご主人は生物としての危機に晒されてるって言ってんのよ。人間に危害を加えちゃいけないって言われてるくせによくやるわね」


つんと気の強そうな形の良い眉を片方上げて彼女は皮肉っぽく笑う。


「あ……いいえ、いいえ。ほら、そうです、命令には服従するんですから」
「それは一条より優先されないでしょ。何言ってるの」
「だって……だって、それなら、あなたは?」
「わたしはセクサロイドだもの!制限を受けないわ、そんなプログラムもない。道具だし」


セクサロイドだアンドロイドだ、そんな道理があるだろうかと思ったが、なるほど少なくともわたしの活動についてなら確かにあれは人類に危害を与える行動だったのかもしれなかった。はてわたしはいつだって自分の主人の為を思って行動していたつもりだったけれど、それは彼に害なす行動だったのだろうか。手足のない彼女は頭を振って、地面と擦れて毛先のぱさついた髪を顔から払っていた。もとは綺麗な長い髪だったのだろうに。あんたみたいなのが増えてくるとこっちも商売あがったりなのよ、迷惑だわだなんて娼婦みたいな事を言う。わたしたちに商売だなんて概念はないのに、流石はセクサロイドとでも言えばいいのだろうか、ウィットに富んだ子だと思った。回収されるまではここにいるわよ、また来なさいよ!そう屈託なく笑った彼女に曖昧に笑顔を返して、わたしはギアステーションへ向かってまた歩き出す。多分会うことはもうないだろう。






***






珍しく考え込みながら(思考がループに嵌ると危ないのでほどほどにしないといけなかった。わたしがジレンマに陥るとクダリさんはいつも泣きそうになりながら強制終了してくれる。要するに手動で電源をぶっち切り再起動させるのだが、彼はこの行為がものすごく嫌いらしい)ギアステーションのスタッフ用通路を歩いていると、いつも通りに笑った顔の主人と鉢合わせした。わざわざ出迎えに来てくれたとも思わないので、きっとこれからトレインに乗車するんだろう。


「なまえ!おかえり、ちゃんとお使いできた?」


わたしの手から白のアタッシュケースを手早く受け取りつつ彼はもはや定型文と化したような質問を投げかけてきた。子ども扱いするようなその言葉もわたしには心地良いものである。蓋をもどかしそうに開いて中のチップを認めると、彼はにんまりと悪い大人の代表みたいな顔で微笑んでそれを大事につまみあげた。


「なまえはいい子だね。今晩はこれ使ったげる」


ちゅっとカバー越しにそのチップへ唇を軽く当ててから、「じゃあこれ、僕のデスクの下に置いといてくれる?」「はぁい」と元通りにアタッシュケースへしまいこんでクダリさんはわたしにそれを寄こした。楽しみにしててね、ってきゅっと目を細めて軽いキスをくれて、大好きだと紡ぐ唇に、だからついさっきの自称セクサロイドの言葉を思い出してしまった。言いなりになるだけが良い従者ではないのだと、そういえばいつだったかに斜め読みした小説へ書いてあった気がする。彼女の言う通りだ。その通りだ。


「まったく、なんて日かしら」
「……?なぁにそれ、古臭い小説みたいな喋り方だね」


ページ213の7行目を反芻して呟いたらクダリさんは少しだけいじわるそうに、でもいつも通り愛しそうに微笑んで、あとでね、とコートを翻し行ってしまった。物理的には軽いケースを手に掲げて、執務室を目指す。与えられた命令だけこなしてしまったら、次の命令を渡される前にとっとと始末してしまわなくてはならない。




わたしに含まれる4つのパッチは、確かあまりよろしくないものだったはずだ。増設メモリ経由のプログラムでないから、違法データ改造がばれて主人が不利な立場に置かれてしまうようなものなら一緒に始末してしまわなくてはならない。ボディごと壊してしまえばいいのだろうか、自分の中身のことはいまいちよく把握していないが多分大丈夫だろう。少なくともボディがなくなるかわたしのデータが飛ぶかすればクダリさんは無駄に繁殖機会を失わなくてすむわけだし。






***






モーターが焼け切れるほどの最速で線路に降りると、ぽかんと驚きのまま固まっている子どもを抱きあげホームに押し上げた。人のそれほど多くないホームで転げ落ちるだなんてよっぽど注意力が散漫だったのだろうかと思ったが持ちあげた鞄がとても重たかったので多分あれのせいだ。


「なまえ!」


子どもの安全を確保してから、クダリさんがホームにしゃがみこんでこちらに手を伸ばす。だいぶん失速しているとはいえまだ人を殺すには十分すぎるスピードのトレインが近づくのを視界の端に収めた。足の下に敷かれているレールが、その重厚な振動を伝えてくる。子どもの無事に安心したような、わたしが手を伸ばすことをせかすような声音で彼はわたしの名前を呼ぶ。「なまえ、はやく!」ふと、いるかいないかも知らない神に感謝したくなった。そういえばわたしが自分を始末するには、なるたけヒトの迷惑にならないよう配慮しなければならないのだった。アンドロイドがヒトを助け不慮の事故で大破、なんの問題もない。


「なまえッ!?」


伸ばされた手を振り払い身を乗り出していた彼の肩を強く押して(事実トレインが接近していたので危なかったのだ、アンドロイドを助けるために主人が上半身を吹っ飛ばされて死んだなんて話になったらお笑い草にもならない)、クダリさんがホームに尻もちついたのを確認する。主人の安全を認識したら今度は原則の三に従い自身の安全をせよと警告が思考じゅうで鳴り響くがもう遅い。トレインに向いたら間近に迫った車体のガラス越しに、まっさおになってめいっぱいブレーキを切る運転手の顔が見てとれた。あーごめんなさい、あなたにだけは申し訳ないと思ってます。


端から順番にパーツがスクラップになるのをコンマ以下で認識しつつ、聴覚は壊れる寸前までクダリさんの悲鳴を拾い続けていた。






***






プツリと接続音が響いて、視覚情報のないスペースへ繋がった。「……なまえ?」控えめに囁くクダリさんの、少し緊張した声が聞こえる。わたしのデータをパソコンへ吸いだす、これも違法プログラムだと思う。まったく。思考をテキストに起こして返事をしたらぐすぐすと泣いたような音がした。


「絶対僕が元に戻してあげるからね」


願わくはいっそこのまま消去して欲しいのだが主人が望むならそうもいくまい。話し相手くらいにはなってあげられる。ボディがないから繁殖機会を奪うことにはならないだろうし。新しく職場にわたしの後任が来たこと、パッチデータや記録がないからわたしだとは思えないこと、それから後任を好きになれそうにないことまで、クダリさんは訥々と語ってくれた。わたしは彼をたしなめつつ、彼がそのアンドロイドを愛さない事に内心ほっとしていたのだった。




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アンドロイドプロローグ没話



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