とことこ、こんこん、ただいま






ナマエのてのひらが胴体から離されて、僕は冷たい板の間にころりと寝かされた。耳に入ってくるのは大好きなナマエの声と、それから知らないおじいさんの声。遠ざかるふたり分のキシキシした足音が向こうにいっちゃうのが分かった。待って待って、ナマエってば僕のこと忘れてる!ぎしっと鳴いた肩を頑張って動かして床に手をつくと、ナマエの声がする方に向かってコトコト、走り出す。うちと違う、知らない広くて長い廊下は僕の靴音が反響して怖い。ひとりはいやだよ。廊下の交差するところでかたっと止まって、きょろきょろ見まわす。あっちもこっちも障子の戸が閉まってて、どこにナマエがいるのかわからない。手当たり次第に開いてみようか、そんな事を思っていると、ナマエのすすり泣くような声が聞こえた。ちょっと遠くの方、ナマエ泣いてる?かわいそう、ナマエ泣いちゃやだ、ナマエ泣かすの許さない。だめだめ、ナマエは笑ってるのが可愛いんだから。ナマエの声が聞こえた方に一直線でことこと走る。ナマエのぐすぐす言う声がちょっとずつ大きく聞こえる。ナマエ、おじいさんにいじめられたの?かわいそう、僕がぎゅってしてあげる、だから泣かないで。障子戸のすぐ向こうにナマエの声がした。ナマエいた!おじいさんに怒られてるんだったら僕もちょっと怖いから、そーっと障子をうすく開けて中を覗き込んだ。畳の上にざぶとんしいて、おじいさんとナマエが正座してる。ナマエ泣いてる。でも、おじいさんにいじめられてるんじゃないみたい。なんだ、よかった。ナマエの震える肩をぽんぽん叩いて、おじいさんはナマエを慰めてるみたいだった。なんだろう、どうしてナマエ泣いてるのかな…。この場に出ていくのはなんとなくダメな気がして、僕は障子の隙間から覗き込んだまま、じっとしていた。しばらくして落ち着いたのか、ナマエは畳に指先をつくとぺこりとお辞儀をして立ち上がる。ふらっとよろけたのをおじいさんに支えてもらって、「あはは、脚、痺れちゃって…」って笑ってた。もううちに帰るのかな、帰るんだよね。ナマエはきっと靴をはくのに時間かかる(今日は寒いからって膝までの編上げブーツはいてた。お寺行くっていうのに)から、僕は先に車で待っていることにした。…んだけど、当たり前にキーはナマエが持ってるから僕じゃ開けられなくって、しかたないのでマフラーにしがみついて待ってることにした。前にも先にナマエの車で待っていたことがあったんだけど、その時は僕ボンネットに乗っかってて、そしたらナマエ僕をつまみ上げて神社のおじさんに渡しちゃったんだ。もう、僕猫じゃないのに!とまぁそんな経験もあって今僕はナマエの車のマフラーのとこにしがみついてるんだけど、ナマエさぁ車、もうすこし掃除した方がいいよ…。手がまっくろになっちゃった。あぅぅ、恥ずかしいな。あとで洗わなくっちゃいけない。1時間程度のドライブのあと、うちについた。車庫に入れられる前に急いで車から降りて、物陰に隠れる。だってこのへんいっぱい猫がいるんだもん、猫はにゃあにゃあ鳴くし噛むから僕、怖い。マンションの玄関の方へ歩いてくナマエのあとについてこうとして、そういえば自分の手がまっ黒だったことを思い出す。家に着いてから洗えばいいと思ってたけど、これは外で洗った方がいいかもしれない。ナマエにドアノブとか廊下の拭き掃除をさせるわけにはいかないよ、僕のせいで。近くに人の少ない公園があったから、そこの水道であらおうかな。コトコト走った。幸い、猫も車も遭遇しなかった。僕ってついてる!公園の蛇口はかたくってなかなか水が出ない。水飲み台に乗っかってうんうん唸りながらコックをひねって、ばしゃばしゃ手を洗った。……だめだ、水だけじゃ綺麗に落ちないよ。仕方ないからやっぱり家に帰ってからせっけんで洗おう。黒い手でノブをひねったりするのは抵抗があるけど……。ふと下を見たらからすが僕の出した水で嬉しそうに水浴びをしていた。あ、そうだ。ナマエはいつも寝るときベランダの窓を網戸にしておくんだ。どろぼうとか危ないから、僕はそれすっごく心配だったんだけど、今日は都合がいい。


「ねぇ!あのね」
「かぁー」
「僕おねがいがあるんだけど」
「かぁ」
「僕をね、僕の家まで運んでくれない?ベランダにぽいって投げてくれればいいんだ」
「かぁー」
「っぷ、うわ!」


からすは濡れた羽をぶるぶる震わせて水気を飛ばすと、僕の腰掛けてる水飲み台にひょいと自分も乗った。大きなくちばしをフリフリして、僕が運べる大きさかどうか測ってるみたいだ。


「だ、だめ…?」
「かぁ」


ぱくん!胴をその大きなくちばしに挟まれたと思ったら、ばさばさ!ってからすは翼をはためかせた。がくがく揺れる視界で、眼下の水道はみるみる小さくなっていく。


「ぅぅぁ、あ、あっち、あっちあっち、ぐぇっ痛い痛い」


指差してナマエの家を示すと、からすは了解の意のつもりなのか、軽くくちばしに力をこめて方向転換した。ちょっと痛かった。僕の足では10分以上かかるだろうナマエのベランダがみるみる近づいてくる。すごい!


「えっと、どこかな……あ、そこ、そこのベランダだよ、ありがとう!」


放り投げてもいいよって言ったのに、からすはとても静かに僕をてすりへ下ろしてくれた。「どうもありがとう」なで、って目の周りを軽く掻いてやったら、からすは口パクでかぁと鳴いて、また暗い空に飛んでった。見送って、僕も静かにベランダへ滑り降りた。もう遅い時間だし、きっとナマエは寝てるだろうし、起こしちゃいけないと思ったから。そろりと網戸を開いて、ワンルームのナマエの部屋へ滑り込む。ナマエは壁に顔を向けて、眠っているみたいだった。起こしてしまわなかったことにホッとして、僕はまず手を洗うべくユニットのバスルームへ向かった。ナマエを起こさないように静かに、静かにしなくちゃ。ナマエ最近なんだかつかれてるみたいだもの、ゆっくり眠って欲しい。ハンドソープで全身しっかり洗って、ふかふかでいい匂いのするタオルで拭いて、細く細く静かにドライヤーでかわかしてから、僕もナマエのベッドへ潜りこんで目を体を休めた。ナマエからはシャンプーの良い香りがして、それは僕と違う匂いで、ちょっとだけ寂しくなった。僕もシャンプーで洗って欲しいなぁ。ナマエの香りに包まれたふわふわした夢の中で、僕はむかしむかしの夢を見ていた。ナマエがにこにこと笑って、僕におはなの冠を作ってくれて、クダリがナマエのだんなさん役ね!ってはっぱのおちゃわんを並べてくれて、だっこしてくれてふたりでお風呂に入って、ずっと一緒だよって寝る前におふとんをかけてくれた。そんな夢だった。








目が覚めると背中に何か堅い感触があった。とろとろした睡魔は一瞬で吹き飛び、代わりに背筋をつめたいものが走る。掛け布団を跳ねのけて振りかえると、昨日お寺へ置いてきたはずの古びた人形がいつも通りの笑顔でこちらを見つめていた。


「な………なんで……!」


ぞっとして思わずベッドからはたき落とすと、人形はがしゃりと関節をきしませて床に転がった。光のいたずらか、その表情が少しだけ寂しそうにゆがんだ気がした。




×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -