そこ遠慮するとこじゃないよね






「あ、なまえさん今日飲みに行、」
「すいませんお先失礼しますお疲れさまでした!」
「……けないみたいだね、お疲れ」


帰宅ラッシュで込み合う電車を眉をすがめてやり過ごし、かつかつヒールの音をいつもよりも幾分速いペースで響かせてわたしは帰路を急いでいた。今朝は急いでいたせいで可能性をすっかり失念していたけれど、昨日わたしが拾ったあの不審者はもしかしたら泥棒さんかもしれないのである。帰宅して通帳やら家財やらが無くなってたら泣く。ふくらはぎが痛くなる程のスピードで脚を動かしマンションが見えるところまで来たところで、だからわたしの部屋の電気がついていなかったことにひやりとしたのだ。うそ、あの野郎居やがらない、だと……。行くところがないので置いて下さいましだのトリップしてしまったのですだの言っておいて、いやそんなの最初っから信じちゃいないけどさ!怒りと若干の失望を抱えながらエレベータを待つのも面倒だったので、階段を早足で駆け上がった。通帳引き出しになんて入れとくんじゃなかった!ていうかあの人にわたし合鍵なんか渡してないし、開けっ放しであれが出ていったなら空き巣の二次災害、とかあるんじゃ。ぜぇはぁと上がった息のままがちゃんとドアハンドルを回す。やっぱり、開いてる。呼吸を整えてから、自分の家だってのに足音を忍ばせて中に滑り込んだ。だって、もし本当に空き巣とか居たりしたら、そして空き巣と鉢合わせしたりしたら、怖いもん。まっくらな室内を、足音を忍ばせて進んだ。隣の家から漂ってきた香りだろうか、肉じゃがみたいな匂いがふわんとした。この状況には、いかにも不釣り合いである。ゆっくりと真っ暗な台所をのぞく。静かな室内に冷蔵庫の低い静かな駆動音が響いているだけだった。誰もいない。


「おかえりなさいまし」
「ぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!」




背後からかけられた声に腰を抜かすほど驚いて、思わず絶叫してしまった。




「申し訳ございません…!」
「なんで!電気つけてないの!!」
「わたくしが電気を使用することでなまえさまのお財布に負担がかかってはいけないと思いまして…」
「いらん心配ですよ!電気つけろ!」
「あぁっ!眩しいです!」
「も、もーっ、もーっ!馬鹿ですかあなたは!」
「ぁ、そ、ですね、わたくしは、馬鹿でございますね、はぁ…っ」
「おい何で頬染めてる」


ぱちん!キレ気味に蛍光灯のスイッチを入れて灯りをともすと、彼は台所の床へ正座したまま眩しそうに目をすがめた。どうやらわたしに遠慮して電気も点けず一日過ごしていたようだが、その気の使い方はおかしい。「あ、その、またキッチン勝手に使わせて頂きました。夕食も、出来ておりますので」彼は立ちあがってコンロにかけてあった鍋のうち、ひとつの蓋をかぽっと取ってみせる。「…肉じゃが」「味は保証しかねますが…」どうやらあの美味しそうな匂いはうちのキッチンからだったみたいですよ。


「……あなたが料理上手だってことは、知ってます」
「ありがとうございます」
「…スーツ着替えてきます」
「はい」


ニコッ、優しく微笑んだ彼になんだか毒気を抜かれてしまった。他人の家で電気をつけるのすら遠慮しちゃうようなこんな人が泥棒だなんて、あるわけないか。わたしのお茶碗と客用のお茶碗、味噌汁椀、ふたり分の食器をかちゃかちゃと用意していく彼を音と気配で感じながらラフな部屋着に着替えて、また台所の方へ戻った。「何運んだらいいですか?」「あ、ではおひたしと箸を並べて下さいまし」「はいはーい」ううむ、そういえばあれか、この人の食器も揃えなきゃいけないなぁ。しかしこの人にそれ提案したら客用の食器のままでいいですって遠慮されそうだし、こっそり買ってこようか。ぐぅと背後からお腹のなるお音がしたのでお箸を並べてから振り向いたら、耳まで赤くなった彼が気まずそうに照れ笑いしてお腹を押さえていた。あれ、ちょっと可愛い。こちらもつられて笑顔をこぼしかけてふと、嫌な予感がした。「ねぇ、あなた今から食べるご飯で今日何食目?」「………………………」まさかこの人お昼食べてないの!?「……と、ところでなまえさま、ええと、あとでトイレお借りしてもよろしいですか?」ねぇなんでそれわざわざ聞くの、まさかトイレまで遠慮して我慢してたなんて言わないでよね思考が不憫すぎて泣いちゃうよ!




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