ミッションインポッシブル
はあはあと抑えきれない呼吸音がくらい線路に響く。トンネルの壁に薄く反響して広がるその音にどきりとして思わず口を手のひらで覆った。体をもたれさせているコンクリート壁からぞわぞわと冷たさが背中に染みて、ぶるりと体を震わせた。耳を澄ませても未だノボリさんの靴音はしないようである。つとめて静かにため息をひとつついてから、ずるずるとその場へ座り込んだ。捕まったら、終わりだ。絶対に逃げ切ってやる。
とか思ってたら体が急に動かせないくらいぱきりと固まった。な、なんだこれは…!ぐぎぎと眼球だけ動かして周囲をさぐると、ぽわわとシャンデラの光が遠くに見えた。野郎、かげふみシャンデラですって…!
「マヌケですね、立ち止まらず逃げ続けていればいいものを」
「あいにくっ……私はあなたみたいに化け物体力じゃー、ないんで」
「そうですか。貧弱ですね」
「そりゃどうも」
「ところでわたくしが何を言いたいかもちろんあなたはおわかりでしょうけど」
「またまたあいにくですね、まったく分かんないです。お腹でも空きました?」
「ほうそれはあなたを食事的な意味で食べてもいいという意味ですかね」
「ふざけないで下さい私がノボリさんに食われるなんて重大な世界の損失でしょうが」
「何言ってんですかあなた……」
「ノボリさんの要求には応えてあげることは出来ないです、お引き取りください」
ぎりぎりと私のほっぺたに指を食い込ませるノボリさんの目をにらみ返しながら精いっぱい強がって言葉を返す。なんでいなんでい、ノボリさんなんてどうせ私の事をいじめたいだけでしょ。私とおんなじこと他の女の子がやっても怒んない癖に、何で私だけそんなに突っかかって来るのさ。ぐいと襟元をひっぱられたが、手加減はしているようで痛くなかった。ぎらぎら飢えたような目で私を睨みつけるノボリさん、その視線、怖いですよ。
「あー、ノボリさん、気付いてましたか。サブウェイに来る女のお客さんほとんどみーんな、ノボリさんの事が大好きで大好きで大好きであなたたちに会うためだけにバトルを勝ち抜いて、それでもめったに会えなくって、あなたたちがどれだけの人に恋い焦がれられているかわかりますか。わかってますか」
「こういう言い方では自惚れのようですが、存じておりますよ」
「じゃあわかってあげてくださいよ。好きな人の写真一枚ぽっち、定期入れに忍ばせておきたい気持ちくらい。私がその手助けしてあげることくらい、目をつぶっていてくれてもいいんじゃないですか」
「それとこれとは問題が別です!」
「きゃーちかーん!!さわんないで下さいセークーハーラー!!やめてー!!!」
「ええいうるさいです声が響くんですよ大人しくしなさい!どこに………あった!」
「ああッ!?それはだめぇぇぇぇぇ!」
「ふん、これは没収です」
「そっそんなご無体な…!」
「売るなと何度も言っているでしょう!」
「売ってないです!物々交換しただけです!ノボリさん知らないでしょうけどねぇ、ジムリーダーの生写真とかってね、みんなゲットしてもお金じゃ売ってくれないんですよ!だから仕方なく涙を飲んでノボリさんの写真と交換してるんじゃないですかー!」
「何言ってんですか気持ち悪い!人の写真勝手に流さないで下さいまし!まったくこの馬鹿!」
靴音をかつかつと鳴らしてノボリさんは歩いて行ってしまう。ふ、ふーんだ。別に、まだデータは残ってるからいいもんねー。胸ポケットに隠しておいたUSBをそっと指で撫でて存在の確認をする。これが取られていたら、危なかった。
「あ」
立ち上がろうと前傾姿勢になったとき、ぽろりとUSBが、あ、あぁあぁぁぁ!かつん。地面とぶつかる音がやたら大きく響いた。
「………それ何ですか」
「な、なんでしょう??」
「預からせて頂きます」
「嫌です!」
暗いトンネルを猛然と、脱兎の勢いで駈け出した。背後からは怒声。コンクリートを蹴る革靴の音!やばいやばい没収されちゃう、どうしようどうしようどこに行けば……!がっしり腕を掴まれて、USBの運命を悟った。ごめんね守ってあげられなくって。こわばる首を無理やりギギギ動かし振り返ったら、いっそ爽やかなくらい笑顔のノボリさんが立っていた。つられて私もひきつった笑顔を返す。ノボリさんのこめかみに青筋が浮いているだなんてそんなの、わたしは何も見なかった。好きな人の写真を取っておきたい気持ちくらい、わかっておくれよノボリさん。