「海だ――――っ!」


ただいま海に来ています!




「いやっほういっちばーん!えーい!…ぎゃああ冷たい!」


夏場は海水浴客でごったがえすここも、流石に冬となれば人気が無くなる。あたりを見回しても、目に入るのはせいぜい犬の散歩をしているおじさんとか、ジャージ姿で走っているおにいさんとかだけだ。隣を歩いていたNの制止を振り切って砂浜に走り入ると、学校指定のローファーと紺色のハイソックスを脱ぎコートとブレザーと鞄を砂に打ち捨てぱしゃんと波打ち際へ足を突っ込んだ。そして早速後悔する。つ、冷たい!


「キミみたいな人はあれだよね、馬鹿っていうんだよね」


さくさくと砂を踏んで彼は私の放り投げたコートのところまで行くと、それを拾い上げぱしりと手で払った。ぱらぱらと細かい粒子が布地から落っこちる。馬鹿って、ひどい!ちょっと冬の海を感じたかっただけなのに!彼は黒のダッフルコートを着込み口元まで白いマフラーで覆っている。その姿は全身で『今は冬です』と主張しているかのようだ。私?私はいまだに海にふくらはぎまで突っ込んで立ってますよ!


「え、何がバカなの?全然寒くないんですけどー。Nちょううける」
「さっき冷たいって絶叫してただろう!」
「あれはほら、歓喜の叫びってやつだよ!」


うそです。すっごい寒いです。出来れば今すぐ浜にあがりたい。冬の海は遊ぶのには適さない!じんじんと冷たさで足が痺れる。


「へぇ、そうかい?ボクにはキミが凄くやせ我慢しているように見える」
「いや、入っちゃえばよよよ余裕だよ!おいでおいで」


自分で言っといて何だけども…ンなわけあるかぁぁぁぁ!寒い!冷たい!でもここまで来たからにはNにも同じ地獄を味わわせたい!精一杯にっこりと笑ってNに手を差し伸べた。が、すげなくその手を払われる。


「ボクはこの寒い中海中に突っ込む趣味は無いんだ」


ぶっちーん。ほうほうほう、この坊っちゃんは友人に付き合って遊ぶことすらも拒否するというのだな。よろしい、ならば戦争だ。私のコートをその腕に抱えた まま波に触れないぎりぎりの砂の上に突っ立っている彼に向かって、足元に渦を巻く水を少しだけ掬いあげ小さな水球をとばしてやった。ぴしゃりと海水が彼の 頬にかかる。

「うわっ!…ちょっと、何するんだい!」
「あっはは!ちょっとだけだもーん、そんなに濡れてないじゃん!」


やりかえせるもんならやり返してみな!とばかりに2、3歩更に海を進む。どうだ、ここなら海に入らない限り仕返しできまい。じとっとこちらを睨むNへにやにやと笑いを送っていると、突然彼はバサリとコートを脱いだ。


「お、来るの?来るの?」


眺めている間に彼はマフラーも外し、ブレザーを脱ぎ、クリーム色のセーターを頭からすっぽぬき、ネクタイを外し、ズボンのすそを折って上げ、ローファーと靴下を脱ぎ……やばい、これは本気だ!


あわててばしゃばしゃと水をまき散らしつつ逃げたが時すでに遅く、すっかり準備の出来たらしいNが同じように水を散らし追いかけてくる。必死で走ったのに リーチの差とは虚しいもので、すぐに腕を捕まえられて背中に体温を感じたかと思ったらそのまま二人して波に転げ入っ、た!


「……っぶは!げほ!Nー!ばかちん、全身入っちゃったじゃん!」
「あはは!」


ずぶぬれの体が恨めしく、もはややけになってNに海水を両手でざっぱざっぱかけた。Nも片腕で顔をガードしつつこちらにぱしゃぱしゃ水をなげつけてくる。彼にしては珍しい全力の笑顔で。


「ぶっ!ぺっぺ、しょっぱいよNやめてー!」
「っぷ、やめない!」
「うわー!目に入った!目がァァ!目がァァァァァ!お返しだー!うら!」
「っは、キミが先にやっんじゃない、か!っげほ、鼻に入った!」


もうお互いべしゃべしゃで、大笑いしつつ水を掬っては投げ掬っては投げする。


「あははははN髪の毛ぺたんこ!」
「あは、キミのセーターだってひどいよ!」
「なんだってー!ていうかNだってワイシャツびったびただよ!」
「キミなんて服がぺったり体に張り付いて、」


そこまで言うと唐突に言葉をぶち切ってNは私に覆いかぶさるように抱きついてきた。冷たい濡れたワイシャツの下から彼の体温がじんわり伝わってくる。


「え、N?どうしたの?」
「えっと…その、何でもない」


背中にまわされた腕にぎゅうと力がこめられる。彼と触れている部分だけがとてもあたたかい。そういえば今は冬なのだ。はしゃいでいた時はどこかに吹っ飛んでいた寒さが急に戻ってきて、ぶるりと身が震える。


「もう帰ろっか」


抱きつかれているせいで顔の見えないNに向かって言葉を投げかけると、ゆっくりと身を離される。今までぴたりとくっついていたところに冷たい空気が入ってきて、何だか一層寒い。


「…そうしようか」


彼の目が柔和に細められた。頬がわずかに赤い。私の手をとって砂浜へ歩きだすNが寂しく見えた気がして、思わずその背中に抱きついた。


「!…何だい」
「寒いからこのままおんぶしてって!」


ぴくりと一度身じろぎしてから屈んだ彼の背に、体重を預ける。体を密着させるとお互いの体温でそこだけぬくまった。


「あー…。あのね、そんなにくっつかれるとその…歩きづらい」
「やだ。寒い。てか背中にくっついたって歩きやすさはかわんないでしょ」


えー、とかんー、とか唸っているNの肩をぱしぱし叩いて砂浜まで急がせた。波の来ないところまでいってやっとその背中から滑り降りる。


「Nー?」


いまだうつむいたままの彼の名前を呼んで顔を覗き込むとその顔はほんのり朱色に染まっていた。


「あのねキミ、知らないようだから教えてあげるけど、ボクも男なんだからね!」


ぐいっと腕をひかれて、ただでさえ足場の悪い砂の上だったもんだから簡単にバランスを崩しNの胸に飛び込んでしまった。そのまま頬に手を添えられ上を向かされると、唇についばむようなバードキス。ちょうど彼の心臓の上に置いた手に、どくどくと鼓動が伝わってきた。


「……しょっぱ」
「キミはムードがないね…」


あきれたように笑うNに、こっちも今さら心臓がどくんどくんと動き出す。すっかり寒さなんて忘れている。顔も体も熱い。


「冬場の海に入っちゃうようなカップルに、ムードなんて期待する方がバカでしょ?」


彼は目を一度見開くと、すぐにへにゃっと私の大好きな優しい笑顔を作って「そうだね」と言う。
明日風邪は確実だろうけどもう少しこのままでいたいな、なんて、柄にもなく思った。






―――


はくとさんよりお題:『水の掛け合い』










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