「お風呂あがったよ!次どうぞ!」 「ああはい、ありがとうございます」 濡れた髪をタオルで拭きつつ彼女が部屋に戻ってきた。湯上りで上気した頬や首筋にぺたりと張りついているひとふさの髪の毛に目を奪われる。それが何だかとても気恥ずかしく、急いで目をそらし着替えをひっつかんで風呂場へ向かった。…心拍数があがっているのは、そう、きっと早歩きで階段を下りたからだろう。 自分とクダリ、それから彼女は生まれたときからの幼馴染である。家もお隣で生まれた病院も一緒。誕生日は彼女の方が一日遅いのだけれど、それでも数時間しか変わらなかったらしい。続けざまに三人も生まれたものだからその日その病院はてんてこまいだったと聞く。新生児が寝かされるベッドまでも三人並んでいたので、両親たちは何か運命的なものを感じたとか。 果たしてそれが本当に運命だったかはわからないけれど、自分たち三人はこうして17歳になった今もこうして離れずに仲良くしている。 「ふたりとも、今日ウチ来て!おとーさんとおかーさんが突然そうだジョウト行こうって出かけちゃたから今夜からいないんだよー!パジャマパーティーしよ うぜ!」と彼女に言われたのは昼休みのことだ。もう高校生とはいえ一人娘を置いて旅行とは流石彼女の両親といったところか。思い立ったが即行動という気質がよく似ている。以前彼女の母親に女の子をひとり残して出かけるのはどうなのかと言ったことがあったが、ニヤリと笑いながら「私たちがいないときはふたりがあの子を守ってくれるでしょう?」と返された。それ以来暗黙の了解だろうか、彼女の両親がこうして不在のときには自分とクダリが泊り込んで馬鹿騒ぎをするのが自然と決まったルールになった。 …のだが。 「今日はクダリがいないんですよね…」 誰に聞かせるわけでもなくひとりごちた。脱衣所の鏡に映る自分とそっくりな顔の片割れは本日から部活の遠征により不在である。「やだやだやだー!僕もお泊りしたいー!ノボリだけずるいー!!」とわめく口におにぎりをつっこんで家から送り出したのが今日の夕方。都合、今この家にいるのは彼女と自分のふたりだけだ。 彼女とはしゃいで馬鹿騒ぎするのはもっぱらクダリでしたし…。さて、いつも二人を止める側だった自分は今夜彼女と何を話したらいいだろう。 そんなことをぐるぐると考えながら服を脱ぎ、風呂場のドアを開けた。閉めた。…どうしよう、すっごくいい匂いがしました。 心を落ち着かせてから改めて扉を開き、今度こそ浴室に入る。肺と鼻腔、脳を甘く満たすのはさっき彼女の脇を通った時に香ったシャンプーの…これでは私が変態のようではありませんか!極力何も考えないようにしながら体と頭を洗ったあと、湯船に体を沈める。ほぅと息を吐いて乳白色に濁った湯面が静かに揺れているのをしばらくぼんやりと眺め…そう言えばこのお湯には彼女も浸かったんですよね…いやいやいや。 …これ以上ここにいるのは危険かも知れない。何がって自分が。 五分と浸かっていなかっただろうが、のぼせそうな気がして湯からあがった。脱衣所に出ると浴室よりは冷たい空気が自分を取り巻き火照った体に気持ちいい。手早く体を拭くと寝巻を着て二階へあがる。彼女の待つ部屋のドアを開くと、ベッドの横にもう一式布団がしかれていた。「お帰りー!ノボリそっちね!」彼女はもう既にベッドに入り枕を抱き込んでいる。「よし、じゃあ恋バナでもしようぜ」…修学旅行ですか。 髪をがしがし拭いて布団の上に座った。じき乾くだろうが濡れた髪で寝るというのは抵抗がある。仮にもひとの家ですからね。 「ノボリー、寝ないの?」 「髪が乾いてからにします」 「あ、そっか。ごめん今ドライヤー出すよ!」 がばっと起き上がって部屋の隅からドライヤーを引きずりだした彼女は「さぁ後ろをお向き!」と高らかに言う。 「は、いや、いいです。自分でできます」 「いいじゃんやらしてよー。ノボリの髪乾かしたーい」 そう言う間に彼女はスイッチをいれ熱風こちらにを向けてきた。仕方なく後ろを向くと嬉しそうに髪を混ぜられる。時々首や耳を掠める彼女の指にいちいち心臓が跳ねた。 「…はい、終わりでーす!あれ、熱かった?」 「大丈夫です…」 若干赤くなっているであろう頬を隠すように枕に顔をうずめる。自分の家とは違う洗剤の香りがした。もそもそと掛け布団を被ると「じゃあ恋バナ!恋バナ!!」と言いながら電気を消して彼女もベッドへ潜った。 「先生来たら寝たフリしようぜ」 「修学旅行じゃないんですから…」 「修学旅行ごっこだもん!ねぇねぇ、男子は寝るとき電気消して恋バナとかしたりしないの?」 「しないこともありませんが」 そういう話はどうも苦手だったから自分やクダリは積極的に参加しなかった。とは言ってもやはり多少の興味はあるもので、だれそれがだれそれを好きだとかいう友人たちの告白を寝たフリしながら聞いていた。次々と吐かれる思い人の名前の中に彼女のものが無いことを確認し心から安堵したものである。 「男子も恋バナするの!?」 「何ですか、自分で聞いた癖に」 「いやちょっと意外で…。ね、ノボリは誰が好きかって言ったの?」 「言いませんよ」 「あ、それって言わないだけで好きな人いるってこと!?誰!?」 「…いません」 「怪しい!ノボリ、教えてよ!ていうか私ノボリの初恋の人の話とかも聞いたことなくない?この際だから全部言っちゃえ!ほらほらー、誰が好きなの?初恋はいつ?同じクラスの人?私も知ってる人?ねー」 「寝ます」 えー!何で教えてくんないのー!?と小声で叫ぶ彼女はとても器用だと思う。ぴーぴー言う声にごろりと背を向けて目を瞑った。…正直さっきの会話が頭から離れず眠れそうにない。…なんですか知ってる人って、そりゃあなたも知ってるに決まってるでしょう。何てったってご本人ですから。初恋もあなたなら今恋もあなたです!………しかしこれ幼馴染とはいえ仮にも年頃の男女がひとつ屋根の下で眠るってどうなんでしょう。彼女には本当に危機感がないな。いやわたくしが相手の同意も得ず襲ってしまうなんてそんなことはあるはず無いんですけれど。だけどそれにしたって無防備すぎる。自分に好意を持っている男とふたりっきりだ なんて、それは据え膳も同然だっていうのに…! 「…ノボリー」 小さなかすれた声で彼女がわたくしの名を呼ぶ。暗い部屋にじわりと溶け込むその声に体温が上がった。 「寝ちゃった?」 返事はしない。物音ひとつでも立てたら我慢できなくなりそうで怖い。 ごそりと彼女が布団の中で動いた音が聞こえたと思ったら、感じたのはわたくしの髪の毛にそっと触れる彼女のやわらかな指先の感触。 「…ノボリの好きな人は誰なのかなあ」 ゆっくりと撫でられるのがたまらなくもどかしい。 あぁ心臓が口から出そうだ。胸が痛い。どくどくと自分の血液の流れる音が聞こえる。彼女のことばの続きに、全ての感覚が集中する。 「ばーか。…私以外の人を好きとか言ったら絶交してやる」 あ、もう限界。 布団を跳ねのけ上体を起こすと、ベッドから身を乗り出していた彼女の体を思いっきり抱き寄せる。己の心臓が今にも爆発しそうなほど激しく拍動しているのがわかる。「え!?ノボリ、何で起きてっ、あの、」慌てふためきわたくしの両の腕の中でじたばたと暴れる彼女の耳元に唇を寄せて出来る限り低い声で囁いてやった。 「あなた以外を好きになったことなどございません。これが初恋ですので」 ――― はくとさんよりお題:『お泊まりで緊張』 ← |