しるし


 6月半ばのまだ少し肌寒い雨の日。新生活や五月病に起因する春の繁忙期が落ち着いた頃。夏油傑は教室で暇を持て余していた。任務に行かされることもない静かな放課後はやや退屈ではある。しかしこの雨の中、外出するのは少し億劫だなと思いながら雨が打ち付ける窓の外をただ1人、何んとなしに眺めていた。

「夏油先輩」

 声のした方に顔を向けると教室のドアから後輩のなまえがヒラヒラと手を振っていた。1学年上の教室に臆することなくズンズンと侵入してきて「今日は雨ですね。」と私の隣の席に腰を下ろした。

「雨だねぇ……。」
「退屈だって顔に書いてありますよ」
「平和なのはいい事だよ?君こそ、今日は任務ないの?1年は忙しいでしょ」
「ペーペー呪術師なんでできることも限られてるんですよ。先輩こそ、特級呪術師がこんなとこで油売ってていいんですか?」
「特級案件がそんなに頻繁に起こっちゃやばいでしょ。それにウチには悟もいるしね」

 時折軽口を叩きながらくだらない雑談をしていると、「そういえば夏油先輩はピアス、いつ頃開けたんですか?」と聞かれた。

「高専に入る時に開けたよ」
「いわゆる高校デビューってやつじゃないですか。自分で開けたんですか?」
「まあね」
「痛くなかった?」
「まぁ。場所によっては痛いかもしれないけど、耳たぶは全然」
「先輩、福耳ですしねぇ……」

それ関係ある?と思いながら顔を横に向けて耳を見せつけてやると、「それじゃ遠慮なく」とまじまじと観察された。

「興味あるの?ピアス」
「んー……。」

肯定でも否定でもない反応が返ってくる。

 「実は、」と彼女は肩にかけていた鞄を机の上に乗せ、中から小さな箱を取り出した。

「プレゼント?」
「されたんです。私が」

 突拍子もない彼女の行動に怪訝な顔をしていたのだろう。なまえが事のあらましを説明した。

「ある人に、ピアスをいただいたんですけど、私穴開けてなくて……。せっかくだし、可愛いし、付けたいなぁとは思うんですけど……」
 
 ほら。とパカっと箱を開けてピアスを見せてくる。
 中にはピンクの石がついた可愛らしいデザインのピアスが鎮座していた。

「でね?ピアッサーも買ってみたんですけど、勇気が出なくて……。そこで、先輩。……開けてくれませんか?」

きゅるんという音が聞こえてきそうな上目遣いにお願いのポーズで首を傾けてきたなまえに、「誰から貰ったんだ?」という言葉を既の所で飲み込んだ。



 雨の日の暇を持て余して校内をぶらついていると、いつもなんだかんだと目をかけてくれている夏油先輩が教室で黄昏ているのを目撃した。これ幸いと暇つぶしに付き合ってもらっていたが、ふと夏油先輩の耳のピアスが目に留まり、昨夜の出来事を思い出した。

 いつも任務に同行してくれている補助監督さんが「自分には若いデザインだから」と譲ってくれたピアス。自分で買うには少しお高いブランドだったので思わぬ棚ぼたに小躍りしそうなテンションのまま雑貨屋でピアッサーを買ってしまった。しかし、いざ開けようとしても鏡で自分の耳を確認しながらやるのは難しく、自分の不器用さが少し怖くなってきた。
 自力で開けるのは諦めて、誰か手伝ってくれる人を探そうと鞄の中に例のピアスとピアッシング一式を突っ込んだのだった。

自分でピアスの穴を開けられる器用さと度胸を持ち合わせている夏油先輩ならば!と、渾身のお願いポーズでお願いしてみたが、先輩は能面のような感情の読めない表情で私を見下ろしていた。さすがに上目遣いはやりすぎた?とこっぱずかしい気持ちになる。

「……いいよ。開けてあげよう。」

先輩はさっきの表情が嘘のようにいつもの菩薩スマイルに戻っていた。

「……ほんとですか?」
「もちろん。ちゃんと責任もって開けてあげるよ。」
「責任だなんてそんな大袈裟だなぁ。」と笑いとばすと、
「大事な後輩に一生モノのキズをつけるんだから大ごとだよ。」

いつも飄々としている先輩が真顔でそんなことを言うもんだから、思わずパチパチと目を瞬き、言葉に詰まってしまった。なんだか今日の先輩は調子が狂う。

「で、では早速……」
 
ポーチの中からピアッサーやアルコールウェットティッシュなどを取り出し机に広げる。

「なんでこんなに準備がいいの?」
「高専で誰か捕まえて開けてもらおうかと思って持ち歩いてました」
「へぇ」
「……なんか機嫌悪いです?」
「……いや?少し緊張してるだけだよ」
「い、痛くしないでくださいね?」
「感じ方には個人差がアリます」
「や、やっぱり硝子先輩にやってもらおうかな……」
「ここまできてそれはないでしょ。硝子も忙しいみたいだし。びびってないで開けちゃおうよ。」

煽られてるのか?という言葉を投げられ、しぶしぶとウェットティッシュを手に取った。


 耳朶を念入りに消毒して先輩と向き合う。
ピアッサー片手にこちらを見ていた先輩が椅子を寄せた。
 膝と膝が触れ合いそうな距離で私の耳元に手を伸ばした先輩に思わず上半身を引いてしまったが、「動かないで。」言われ身を固まらせる。
 思っていたより至近距離に先輩の顔があり自然と息を潜めた。首や耳元に先輩の温度を感じ、自分の体温も上がっている気がした。

 私の左耳を伏し目がちに観察し穴の焦点に目星をつけている表情がなんとも色気を孕んでいて、急に気恥ずかしくなった。

「心の準備はできた?」と耳元で囁かれて、また体温が上がる。
「だいじょぶです。」

色気に当てられてしどろもどろになりながらも応えた。

「緊張しすぎ。深呼吸しなよ。」

ふはっと軽く吹き出す先輩を横目に、誰のせいだと……。と思ったが、いや自分で穴を開けてくれと頼んだった。と思い出し、軽率に先輩を選んだことを少し後悔した。もう遅いが。

「いくよー。」と言われ、フーッと息を吐き出しギュッと目を瞑る。

……バチンッという音が耳元で響いた。

 恐る恐る目を開けると、ニヤッと笑った先輩と目があった。

「痛い?」
「……痛くはないです。」
「血が滲んでる」
 
耳朶をポケットティッシュで軽く抑えてくれた。

「右はどうする?」
「……もう一思いにやっちゃってください」

ここまできたら恥もなにもない。さあ来い、と右耳を突き出した。
 再び、バチンという音がする。

 終わった……とフーッと一度息を吐いて、目を開き、顔を正面に戻すと先輩は満足そうな表情をしていた。
 手鏡で耳朶の状態を確認すると、プツっとニキビが潰れたような小さな出血があった。中央にはファーストピアスがしっかり刺さっている。

「ありがとうございます、一人じゃうまくできなかったなぁ。」

体の緊張を緩めると、お互いの膝頭が軽く触れた。改めて自分のパーソナルスペースに先輩がいることを意識してしまい、どぎまぎしてしまう。
 先輩の顔を伺うと、ニンマリした顔をしていた。

「どういたしまして。」

そう言いながらまた手を伸ばしてきて、私の髪を耳にかけた。
 もう一度露わになった私の耳朶をまるで愛おしいものを見つめるように視線を這わす。ボソリとつぶやいた。

「せいぜいピアスをつけるたびに、私を思い出せばいいよ。」



 もはや誰がこの子にピアスをあげたかなんて事、どうでもよくなった。
 この先、彼女がつけるピアスは私があけた穴に収まるのだから。
 少し血が滲んだ耳朶が愛しくて堪らない。傷をつけてしまった事は少し心苦しいが、半永久的に体に残る傷を己がつけたという事実が、優越感と所有欲を満たした。
 自分が想像以上に狭量な人間でこの後輩に浮かされていることを自覚する。

「せいぜいピアスをつけるたびに、私を思い出せばいいよ。」

 ま、他の男からのモノなんて着けさせる気さらさらないけど。

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