胃袋掴んだもの、勝ち?


 穏やかな午後。呪術師として、平々凡々な私は、普段は一兵卒として雑魚払いの任務などを回されるのだが、今日は珍しく任務が入っていなかった。特級二人はそれぞれ任務に行ってしまったし、硝子は医学部受験のために何かと忙しくしている。教室には私一人。
 
 女子高生らしく暇があれば街に繰り出してショッピング!なんて思考は、生憎私は持ち合わせていない。ファッションビルより大型スーパー、パステルカラーのチークより、真っ赤なトマトに心おどる。こんなことを口にしたら、硝子に「所帯染みた女子高生だな」と言われちゃうけど。

 今日は午後からお休みを取っている寮母さんの代わりに食材の買い出しを請け負っている。
 いつもは任務帰りに寄れる高専最寄りのスーパーに行くところを、せっかくの自由時間だからと、最近できた比較的大型のスーパーまで足を延ばした。新鮮なお野菜や、まだ目の澄んでいるお魚、お肉もなかなか綺麗で良いスーパーだったな、とほくほくした気持ちで帰路についた。

 鼻歌まじりに高専の敷地内を歩いていると、人気の少ない木陰で、ゴルフボールより少し大きいくらいの黒い玉を、見定めるように手中で転がして佇んでいる夏油君を見つけた。
 あれま、鼻歌聞かれたかな?
 そう思ったけれど、夏油君はこちらに気づく様子はなく、変わらず黒い玉を指で玩んでいる。
 よかった、聞かれなかったみたい。自慢じゃないけど私、音痴らしいんだよな。
 気を取り直して、任務終わりであろう夏油君に、お疲れ様と声をかけようと一歩踏み出した瞬間、夏油君はその黒い玉を口に放り込んだ。そしてそのまま顔を上に向け、ごくり、と喉を鳴らした。

「……!食べちゃった……!?」

 しまった、と手で口をふさぐ。
 思わず出てしまった声は、さすがの夏油君も気がついたようだ。ひらりと手を振りながらこちらに向かってくる。
――そうだ、あれだ。今、夏油君が飲み込んだのは呪霊が閉じ込められた玉だ。

 まだ知り合って間もないときに、興味本位で呪霊操術ってどうやるの? と聞いたことがあった。「封印して飲み込むんだよ」なんて、造作もないことのように言われて、なるほどなぁー、なんて知った気になっていた。

「おかえり、荷物持つよ」
「……あ、ありがとう」

 私と夏油君との間には圧倒的な実力の差があって、任務も数えるほどしか一緒になってない。そのため夏油君が呪霊を取り込む様子は見たことがなかった。私は口に入れたばかりの飴玉を間違って飲み込んだ時でさえ、苦しくて死ぬんじゃないかと思ったのに。
 何事もなかったかのように、いつもの人のいい笑顔を浮かべる夏油君に、これは触れないほうがいいやつなのかな、と思い言われるがまま、ネギが刺さったスーパーの袋を渡す。夏油君が持つとなんだか袋が小さく見える。結構重たかったんだけど。

「何買ったの?」
「頼まれてた卵とお醤油、野菜いろいろと豚肉、あとパン粉」
「へぇー、なまえって料理できるの?」
「うん、割と好き」
「へぇ。いいね、今度作ってよ」
「いいよ、リクエストは?」
「え、本当に作ってくれるの?」
「うん」
「えー、どうしよ。何がいいかな……」

 片手を顎に添えて考え出した夏油君はいつもどおりだ。かくいう私は、実際に夏油君が呪霊の玉を飲み込んだあの瞬間、玉の大きさ、飲み込んだ後の形容し難い表情、そして恐らく人目を避けている様子を見て、あまり気持ちのいい行為ではないのだろうと感じていた。

――呪霊玉って結構大きかったけどお腹にたまるようなものなのかな?美味しくは……なさそうだけど。

「……ところで夏油君、君は今お腹すいてるかい?」
「うん? 今?」
「そう、今」
「まぁ……空いてるのかな、食欲はあんまないけど」

なるほど。呪霊でお腹は満たされないと。ならば。

「揚げ物好き?」
「すきだよ」
「私、今からとんかつ作るの。食べない?」

 スーパーの本日の目玉商品は豚ロースだったのだ。分厚く、綺麗な淡いピンクをしたそのお肉を目にした瞬間、とんかつだ、と天啓を受けた。

「え? いいの?」

 食欲ない人に揚げ物をすすめるってどうなの? と内心思ったが、夏油君の反応は存外、好感触だった。

「私が作ったので良ければ、晩御飯一緒に食べよ」
「うん、あ、でも……」
「?」
「カツなら……かつ丼、食べたい……な」

 ちょっと恥ずかしそうにつぶやいた夏油君に、私はなにか、母性なのか庇護欲なのか、とにかく彼を美味しいものでお腹いっぱいにしてあげねば! という謎の使命感に駆られた。日本人男性の平均身長なんて優に超えている彼だが、まだまだ育ち盛りだ。

「……任せて!」

 寮に帰って台所で手を洗う。夏油君も「手伝うよ」とスーパーの袋から買ってきたものを出してくれていた。
私は台所の片隅にかけてある自分のエプロンをつけて、お米を洗ってスイッチオン。ストックしてあった玉ねぎをくし形に切る。夏油君は玉ねぎが目に染みるのか目を瞬かせている。

「そこの引き出し開けて、バット二つ取ってくれる?」
「……バット?」
「四角い銀のお皿みたいなやつ、……そうそれ」

 野球のバットを想像していたであろう夏油君に料理で使うバットを教え、「卵割ってかき混ぜてくれる?」と追加でお願いする。体躯のいい夏油君が高専の小さな台所で卵を割って、ちまちまとかき混ぜている様子がなんだかミスマッチで、かわいいな、と思う。
 その間、私はもう一つのバットに買ってきたパン粉を入れる。豚ロースに包丁を入れスジを切る。揚げたときに縮まないように、こういうひと手間が大事なのだと、誰かの本で読んだ。
 油をたっぷり注いだ鍋に菜箸を入れ、細かい気泡が経ったら準備オッケー。

「よーし、揚げちゃうぞー」
「待ってましたー」

 卵とパン粉に彩られた豚肉を油へ投入。キッチンタイマーをセットして、その間に卵でとじる準備をする。

「手際いいね」

 横で眺めていた夏油くんは手持無沙汰に、私の背中で結ばれているエプロンの紐をぺしぺしと弾いて遊んでいる。

「実家でよく料理してたからね」

 料理は無心に集中できるし、達成感と食欲を同時に満たすことができる。共働きの両親とは生活スタイルがすれ違いで、放課後一緒に過ごすような友人がいなかった私は、家での暇つぶしに料理を覚えた。おかげで同級生たちがゲームセンターやショッピングモールでおしゃれしてプリクラ撮って、という遊びを楽しんでいる間、私はスーパーを徘徊しては、お買い得な品から献立を組み立てて、たまにおば様たちに話しかけられ美味しい野菜の見分け方などを教えていただいた。

「いつもはね、とんかつ揚げて、食べきれなかった余ったとんかつを次の日卵でとじて、かつ丼にするの。一日目からとんかつってなんか贅沢な気分!」

にこにこと夏油君が話を聞いてくれるから、私は他にもカレーは二日目が美味しいから一日目はおかわりを控えるだとか、料理に関する無駄なこだわりを話しながら、とんかつの色が変わるのを待つ。パチパチ、ジュワジュワ、という音を奏でながら、白色の衣が黄金色に変わっていく。いい感じだ。

「かわいいね」
「え、とんかつが?」
「いや、違くて」
「それを言うなら、"美味しそう"でしょ」
「……そうだね」
「あ、でもオムライスとかは可愛いかも」
「フフッ」

 寮に入ってから、寮母さんが食事を作ってくれるので料理をする回数は減ってしまったけれど、やはり私にとって料理は最大の娯楽であり、たまに寮の小さな台所に立つことは、このストレス過多な学生生活の貴重な癒しであった。夏油君も楽しんでくれているようで何よりだ。

 小鍋でつゆ汁と煮詰めていた玉ねぎが透明になってきたら、シャカシャカと卵を溶きほぐして注ぐ。半熟の状態で火を止める。せっかく揚げたてのとんかつだから、卵とじじゃなくて、上に乗せるスタイルでいこう。

「夏油くーん。ご飯、どのくらい入れる?」
「んー、大盛りで」
「食欲出てきた?」
「なまえが作ってくれてるの見たらお腹すいちゃった」

 食欲が出てきたのはいいことだ。お疲れ気味の夏油君には大きいほうのカツをのせてあげよう。三つ葉はさすがに冷蔵庫にはなかったので代わりに冷凍庫にあった青ネギをちらっと盛り付けた。

「……よし、完成〜」
「すごいね。むちゃくちゃ美味しそう」

 へへっと内心得意げな気持ちになっていたが、はたと気づいた。そういえば私、他人に料理を振舞ったことないかも。自分では普通に、美味しいって食べてたけれど、もしかして歌だけじゃなく、実は味も音痴で食えたもんじゃなかったら? ……どうしよう急に不安になってきた。

「め、召し上がれ……?」
「なんで急にカタコト?」
「実は誰かに食べてもらうの初めてで……美味しくできてるかな……」
「初めてなの?」
「うん、夏油君が初めて。ごめんね、実験台になってもらっちゃったみたいで」
「……ううん、むしろ光栄」

「じゃ、いただきます!」

パンッと音が鳴るくらい勢い良く手を合わせた夏油君はできたてのカツ丼を口いっぱいに頬張った。
私は夏油君の反応を恐々と伺いながら、口に運んだ。美味しい、と思う。

「うまい!」
「ほんと!?」

味音痴じゃなかったみたい、安堵してまた一口運ぶ。やっぱりぶ厚いお肉は最高だな……。
美味いと言って、かつ丼をかき込む姿は見ていて気持ちがいい。作り甲斐があったというものだ。
夏油君は満足そうに一息ついた。

「ねぇ、なまえ嫁に来ない?」
「そんなにカツ丼気に入ってくれた?」
「最高だった。だから私の奥さんになって、専業主婦にならない?」
「声のトーンが本気のやつじゃん」
「特級だからなまえ一人、子どもも二人くらい養えるよ」
「子どもて。え、実際特級っていくら貰ってるの?」
 
 夏油君の戯言を適当に流して、食べ終わった食器を流し台に持っていく。
その間も夏油君は自分と結婚するメリットを一生懸命説いている。夏油君、今日の任務でよっぽど疲れてるんだな。

「なまえが料理してるのずっと見てたい。なまえの作ったご飯が一生食べたい。じゃないと無理。呪術師やめる」
「また作ってあげるから、ね?」

 料理酒入れすぎたかなぁ? かつ丼を気に入ってくれたことは良かったけど、私の料理に特級呪術師の進退去就がかかってるのは責任が重すぎる。

「本気だよ。胃袋掴んだんだから、責任取ってよ」
「料理だけ好きって言われてもなぁ〜」
「まさか!調子はずれの鼻歌も全部好きだよ」
「え、さっきの聞こえてたの!?」
「ねぇなまえ、次はカレーが食べたいな。一日目はおかわりせずに、二日目も一緒に食べよう。結婚しよう」
「……わかった、わかったから。ちょっと考えさせて!」

押せ押せで結婚を迫ってくる夏油君に正気じゃないとわかっていても、私は内心、そんな未来も悪くないかも、なんて思ったのは内緒にしておこう。



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