私はタイプじゃないですか


「好きなタイプですか?うーん……優しい人ですかね」

 ちょうどお昼のピークが過ぎた頃、高専の食堂にはポツポツと遅めの昼食をとっている人や、食事後の一服をとっている人々がいた。
 高専の食堂はオフィスや学校にある一般的なそれとは違いかなり小規模だ。そのため人が疎らになった今の時間帯は聞き耳を立てなくても他の会話が聞こえてしまう。特にテーブル席でお茶を飲みながら話している女性三人の姦しい声は少し離れた七海が座るカウンター席にもよく届いた。その中に他のニ人よりは大人しく少し困惑した様子で話す彼女の声も混ざっていた。彼女は七海に気づくことなく、同僚の話に相槌を打っている。
七海はちょうど背中合わせのように座っている彼女の声を背中で聞いていた。

「ありきたりすぎます?えー……包容力とか?ダメ?え、見た目?見た目のタイプですか?」

 同僚の呪術師と補助監督に問い詰められて絞り出すように話すその内容は職場で話すには些か似つかわしくないが、今は休憩時間だし女性の話題にそういうものが上がりやすいというのは七海も会社員時代に理解していた。彼女は「うーん…」とまた考え込んだ。

「……背が高い人はちょっといいなって思います、見上げられる人っていいなって……」

 「あー、貴方意外と身長高いもんね」とか、「なんだかんだ高身長の男って顔が三割増しでイケメンに見えるよねー」だとか、好き放題言い合う同僚達に彼女は苦笑いをこぼした。もちろん七海からは彼女の顔は見えていない。
 そうだ。彼女はヒールが低いローファーをよく履いているが、それでも脚の長さが目立つ。同僚の女性と連れ立って歩いているのを見かけても大体彼女の頭がひょっこり出ている。それでも大柄な七海の隣に立つと頭一つ以上の身長差があった。
 七海がぼんやりとそんなことを思い出している間も彼女に対する同僚達の追及は止まらない。

「他?他ですか……えーっと、筋肉質というか……いや細マッチョというよりも、結構モリッとしているのが好き……ですね」

 七海も存在感をできるだけ消して静かに耳を傾ける。しどろもどろという口ぶりだが、なかなかこだわりがあるようだ。ふむ、筋肉。なんとなく自分の左腕に目をやった。紺色のシャツにうっすらと筋肉のラインが浮かんでいる。なるほど、筋肉。

 一人の補助監督は「えー、私はジャニ系の線の細い方が好きだなー」だとか、「それ結局顔でしょー?」と賛否両論、十人十色の好みがあるようだ。

「安心感があって良くないですか?」

……安心感か。たしかに筋肉質の男は物理的に女性に安心感を与えるのかもしれない。いや、人が違えばただの恐怖だろうな、と七海は思った。

 七海の皿はもうとっくに空になっている。箸を置き、茶を啜る。彼女達が食べ終わる頃に席に着いたが食堂を出るのは七海が先になりそうだ。女性陣の話題は尽きない。
「じゃあさー、」と彼女の同僚が口にした話題に七海はお茶を一口だけ残してゆっくりと湯呑みを置いた。

「好きな顔?顔……うーん、あんまりピンとこないですけど強いて言うなら……髭?髭が似合う人が好きかも……です」

「えー!髭?夜蛾さんみたいな?意外とおじさん好きなの?」「あーでもわかるかも。私も推しの俳優が最近髭生やしててさー……」と女性陣はそれぞれ髭について思うところを述べている。彼女も「夜蛾さんはちょっと違いますけど……好きな俳優さんがすごく髭が似合ってて、ダンディで素敵じゃないですか?」と話題にノってきたのか先程より少し声色が明るい。

 だいぶ盛り上がっていたようだが、同僚の一人が「やば私午後から任務入ってたんだ」と声を上げた。カチャカチャと食器をまとめる音がする。彼女達は少し離れた後ろの座っていた七海に気づくことなく足早に去っていった。

 ……髭。七海は思わず自分の顎を摩った。今朝剃ったばかりのため正午を過ぎてもまだつるりとしている。七海は一口だけ残していた冷めた茶をぐっと煽り、食堂を出た。

:

――次の日。

 七海は表には出さないが内心イライラしていた。定時で帰れるはずだった昨日の任務終わり、運悪く五条に見つかってしまい、面倒くさい案件を押し付けられ、尚且つその任務の後処理に追われ、時間外労働をする羽目になった。そのせいで七海は昨日から家に帰れていない。
 いつのまにか日付も変わり、太陽も上ってしまっていた。関係各所への報告やらなんやら、なんとか後処理を終わらせ、午後から入っている呪祓任務のため、一旦仮眠を取ることにした。

「クソ……」と力なく呟きながらジャケットを脱ぎ、仮眠室のベッドに体を預ける。ギシリとたわむベッドは体格の良い七海には少し小さい。しかし徹夜で疲れた頭と体ではそんなことを気にする余裕もなく、七海は光を遮るように額に腕を乗せたまま、掛け布団もかけずに眠りに落ちた。


 ヴヴヴっとスマホが震える音で意識が浮く。まだ覚醒しきってない頭でスマホで時刻を確認する。ロック画面には一件のメッセージの通知があった。
任務の時間まで後四十分はある。まだ寝れる。とスマホを投げるように置きもう一度瞼を閉じた。

 スマホから任務十五分前を知らせるアラームが鳴り、渋々体を起こす。眠気を覚ますために洗面台で顔を洗う。急な出張や何かと面倒事を押し付けてくる先輩呪術師のせいで徹夜が多い七海は、最低限の身支度セットは備えていた。使い捨ての剃刀で髭を剃ろうと手に取ったが、今日の担当補助監督は伊地知だったことを思い出す。任務終わりは直帰の予定だし最低限の身支度でいいか、と剃刀を置いた。適当に髪をかきあげ、ネクタイを締め、腕時計をとめて、駐車場に向かった。

 駐車場で伊地知の姿を探すが見当たらない。いつも七海より先に着いて準備を済ませ、毛ばたきで車を撫でているのだが。

「七海さん!こちらです!」

 伊地知の声より明らかに高い女性の声に振り向くと、車の運転席のドアから出てきた彼女が手を振っていた。
七海はサッと髪を撫で付けジャケットのボタンをしめながら彼女の方に向かう。

「……お疲れ様です、伊地知君は?」
「あれ?聞いてませんか?伊地知さんは五条さんに呼び出されて昨日から戻ってなくて……代わりに私が本日の担当です!」
「……そうですか」

 にこりと笑う彼女を見て、しまった、と思った。
そして昨日から厄介ごとを投げてくる傍若無人な先輩に対して内心舌打ちを打つ。
 車に乗り込み、スマホを確認すると伊地知から担当変更の連絡が入っていた。送信時間はちょうど仮眠中。あの時確認しなかったメッセージだった。

 彼女からタブレット端末を渡され、今日の流れを確認する。急な担当変更だったが、彼女の仕事ぶりに心配はない。補足情報を聞きながら任務に集中するためネクタイを締め直した。

「――以上、任務終了後は七海さんのご自宅まで……ということでよろしいですか」
「はい」
「では、本日もよろしくお願いいたします」

 そう言って彼女はくるりと前を向いてエンジンをかけた。七海は彼女の視線が外れたことを確認してエンジンの音にかき消されるくらい静かに息を吐いた。
 七海は窓際に肘をついて窓ガラスに写る自分の顔を眺めた。仮眠をしてもうっすらと残る隈、なけなしのキープ力でかろうじて七三に分けられている髪、そして昨日の朝から剃ってないうっすら伸びた髭。顎に手を伸ばすと指にざらりと髭の感触がした。こんなことになるならば髭くらい剃ってくればよかった。七海は元々の色素が薄いため髭が伸びたとて、そこまで不潔な印象は抱かれないが、七海本人はなんて気の抜けた姿なんだ、と反省した。

:

 昨日今日で溜まった鬱憤を晴らすようにバッサバッサと呪霊を切っていき、七海は予定の時刻より巻きで呪祓完了した。

 任務完了の連絡を入れ、ピックアップを頼む。「お疲れ様でした」と迎えにきてくれた彼女はホットの紅茶をテイクアウトしてくれていた。

「紅茶ですか」
「ルイボスティーです、カフェイン取ったら寝れなくなっちゃうかな……と思って。お口に合えばどうぞ」

 今更カフェインの摂取量なんて気にしないが、彼女の心遣いが有り難かった。ルイボスティーは飲み慣れないが一口飲んだ。ふむ。悪くない。

バックミラー越しにこちらの様子を伺っていた彼女と目が合った。

「美味しいです、ありがとうございます」
「よかったですー」

バックミラーに写る彼女がほっとした様子で目尻を緩ませた。

 もう一口飲み、タブレットの電源を入れた。しかしまだ視線を感じてバックミラーに目をやるとまた彼女と視線が搗ち合った。

「……なにか?」
「あ、いえ、すみません」

彼女は正面に視線を戻しゆっくりと発進した。

「気になることでも?」

車を走らせる彼女にもう一度問うと言いにくそうに口を開いた。

「いやその……いつもピシッとしてる七海さんが今日はなんだか……雰囲気が違うなと」

正直に話す彼女に自分の失態を悔いる。

「……徹夜でして。すみません、みっともない姿で」
「いえいえ!違うんです!」
「……?」

 ちょうど信号に引っかかり車が停まる。よっぽど七海が怪訝な顔をしていたのか言いにくそうに続ける。

「あー……、いつもの七海さんも素敵なんですよ?だけど今日のちょっとくたびれた感じの七海さんも色……ううん、素敵だな、と思いまして……」

 七海がバックミラーを見つめても彼女は視線を寄越さない。しかし慎重に言葉を選んで話す表情は少し赤みがさしている。

「何言ってるんだろう、すみません、これセクハラですよね、ごめんなさい」
「いえ……」

七海はそういえば……と昨日の食堂を思い出す。

「髭面がお好きなんでしたっけ」
「……ぅえ!?え、何でそれを……」

 慌てた様子でこちらを振り返った彼女に「信号変わりましたよ」と促す。

「高身長、筋肉、髭……」

昨日の昼の一件を思い出しながら彼女の好みを口にする。

「普通に、一般論ですよ!」
「他の方達は賛否両論の様でしたが」
「……忘れてください」

 また交差点で赤信号に引っかかる。ここの交差点は大きい。七海にとっては好都合だ。

「ところで、私の身長は一八〇センチ以上あります」
「? そうですね」
「腹筋も割れてますし、上腕二頭筋も自信があります」
「…スーツの上からでもわかります」
「……髭はあいにく、目立ちにくいですが……」

 七海は顎を撫でた。一日剃ってないくらいでは彼女の好みの髭にはならないだろう。髭はこまめな手入れが必要だと聞く。

「……それ以外は結構条件いい方だと思いませんか」
「……はい?」
「私はタイプじゃないですか」

バックミラー越しに彼女の視線が泳いでいるのが見える。

「えーと、これは……さっきの意趣返しですか?」
「とんでもない、少しの勝機も逃す手はないと思いまして」
「……勝機?」
「もう少しまともな格好をしている時に口説きたかったんですが、くたびれた私も素敵だと言ってくださったので」

彼女はバツが悪そうな顔をする。

「優しい人かどうかは貴方次第ですが、うんと大事にしますよ」
「…………」

信号が青に変わり周りの車が動き出す。彼女はなかなか発進しない。

「……、あ」

青だと伝えようと口を開けた七海の声を封じるように彼女は声を上げた。

「これ以上は事故りそうなので、七海さんちょっとお家まで黙っててもらえますか!?」

そう言った彼女の顔は照れか怒りか真っ赤になっていた。
 七海は大人しく口を閉じた。これ以上彼女を動揺させて本当に事故を起こされても困る。どうせ目的地は自宅だ。焦らなくていい。と七海は帰りの車中でどうやって彼女を口説き落とすか考えはじめた。

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