火をつけたのは誰


 ドンドンドン!と部屋の扉をたたく音がする。
「ねぇねぇ!夏油さん達、花火するみたいだよ!行こう!!」

返事を返す間もなくガチャリと開けられた扉から灰原が顔を出した。

「え、やだ。絶対巻き込まれるよ」

お盆の帰省のために荷造り中だった私はにべもなく返した。

 私の実家は東京から中途半端に離れている地方都市にあり、頻繁に帰ることはできない。けれども、お盆休み明けは死ぬほど忙しいことが予想されており、高専生はお盆前から順繰りにまとまった休みを与えられた。呪術師だけどまだ学生という身分なのですこーしだけ恩赦があるようだ。
ちょうど少し前に家族から実家で飼っている犬の元気がないと聞いていたので、犬の様子を見がてらしばらくぶりに実家に帰る予定を立てた。

「巻き込まれるってなにに?」

キョトンとした顔で突っ立ってる灰原に分かってないなぁと答える。

「テンションが上がった五条先輩にだよ」

あー…と納得した様子の灰原を見て、荷造りを再開する。灰原はまだ諦めていないのか部屋を出ていく気配はない。

「でも五条先輩、花火したことないらしくて、手持ち花火たっくさん買ってきたらしいよ」
「リッチな遊びだなぁ……」

半ば呆れながら一個上の先輩方が花火をしている様子を想像する。
あの人たちが大人しくしゃがみこんで花火なんてするはずがない。絶対花火を振り回しながら走り回るにきまっている。

「でも本当にすごい量らしいからさ、荷造りもほぼ終わってるんでしょ?七海も誘ってくるからさ、準備して!」

 すぐ戻ってくるから!と言いながら部屋を出ていった灰原に拒否の言葉は届きそうもなかった。確かに実家に帰るだけだからそんなたいそうな準備もないので荷造りはほぼ終わってる。不良な先輩たちに巻き込まれたくはなかっただけだけど、何年もしていない手持ち花火が少し懐かしくなってきて、腰を上げた。

 部屋の鍵を閉めたところで、灰原が七海を連れて戻ってきた。七海の表情を見る限り、渋々、強引にといった様子だけど、きっと灰原のキラキラした目に抗えきれなかったんだろう。彼は灰原に甘いところがある。

「花火懐かしいなぁ〜!昔は夏になると妹とやってたんだ」

校庭の方でやるらしいよ、と灰原が先頭をきって歩く。灰原は夏油先輩によく懐いている。その様子に少し実家の犬を思い出した。

「灰原この前実家帰ったんでしょ?妹元気だった?」
「うん。ちょっと見ないうちに成長してた」
「中学生だっけ?彼氏とかできたのかな…」
「やめてよ!妹にはまだ早い!」

ぐるっと振り向いた灰原が吠えた。番犬みたいだなと思う。

「やーだ、お兄ちゃん怖いよー…」

そう茶化していると、隣を歩く七海が胡乱な視線をこちらに向けていた。

「貴方はいたんですか。中学の時、彼氏」

先程までは番犬のように警戒した目をしていた灰原も妹の話をほっぽり出して爛々とした目で見つめてきた。

「……それ聞くの?」



 中学時代の恋バナをのらりくらりと躱しつつ、「七海には彼女とかいたの?」と聞こうとしたとき、校庭の隅でカラフルな火花が散っているのが見えた。賑やかな声も風に乗ってここまで届く。だいぶ盛り上がっているようだ。

「おー!きたな!お前ら!!」

さっそく両手に噴き出し花火を携えた五条先輩がこちらに走ってくる。
「そっちが呼んだんでしょう、危ないので近づかないでください」

花火をくるくる回しながらはしゃぐ五条先輩と少し距離を取る七海と、「楽しそうですね!先輩!」と灰原は無邪気に言っている。

「ふふん!!俺のオゴリだ!校舎に花火ぶち込んでやろうぜ!!」
「ダメだよ悟、その花火じゃすぐ消える」
数歩先から夏油先輩が花火を物色しながら言う。
「えー、いちばんすげぇやつどれ?」

五条先輩は燃え滓になった花火を片手に灰原達を連れて行った。
冗談だとは思うが、この先輩二人は何をしでかすかわかったもんじゃない。
巻き込まれないように離れたところでタバコを吸っている硝子先輩のほうにそっと近づいた。

「こんばんは。硝子先輩」
「おぉ、来たの」
「灰原があんまりにも花火したそうだったから、来ちゃいました」
「ほんとだ」

硝子先輩の視線の先には両手に手持ち花火をもって火をつけようとしている灰原達がいた。

「おーい!こっちおいでよー!」

灰原がブシュ―と音を立てながら緑色の光を放つ花火をもってこちらに手を振っている。
ひらりと手だけ振り返しておく。

「明日だっけ?実家帰るの」
「はい、お先にお休みいただきます」
「はいはい。羽伸ばしてきな」
「伸ばせるかなー」

 一般家庭の私の実家は娘が通っている呪術高専というものの特殊性をいまいち理解できてないようだし、呪術師という仕事の実態を掴めていないようだった。今は特段怪我もしていないし、実家に戻っても何かと仕事を押し付けられそうだなと思い、苦笑いする。硝子先輩も何かを察したのかフフッと笑い、口から紫煙がこぼれた。



 なかなかやってこない私にしびれを切らしたのか、七海が片手に勢いよく噴き出す花火を持ちながら、もう片手に火のついてない花火を持ってこっちに向かってきていた。

「ほら、お迎えだよ」
「硝子先輩もしましょうよ」
「私はこっちの方がいい」

そう言って新しいタバコに火をつけた先輩はここから動く気はなさそうだ。

「じゃあ、ちょっと行ってきますね」
「いってらー」

タバコを持った手をゆらゆらと揺らして見送る先輩と離れると、七海が硝子先輩にペコリと会釈して、私に火のついていない花火を差し出した。

「早く、こっちの火が消えないうちに」
「ありがとー、これ何花火?」
「知りません、適当に取ったので」
「点いてからのお楽しみだね」

シューシューと光のピークといった具合の七海の花火から火をもらう。
プシュッという音ともに私の花火にも火が点き、色が噴出した。

「わー。きれい、何色だこれ?」
「白?あ、ピンクに変わった」
「かわいー。あ、そっちの花火もう消えちゃうね」

シュー…という少しあっけない音とともに少し辺りが暗くなった。

「次、取りに行きますか」
「うん」

 花火の色の変化を楽しみながら、数歩先の五条先輩が買ったという花火の山に近づく。
でっかいビニール袋に入った花火が3袋もある。いくらなんでも買いすぎじゃないか。
何種類もありそうだが、花火の種類なんてわからないので、結局適当に選んだ。
火を点けてみると、パチパチと火花が飛ぶタイプだった。

「…いつ帰って来るんですか」

 明日から実家に帰ることは七海も知っている。七海は私の休みが終わって入れ替わりで休みをもらう予定だ。

「えーっと、予定では4日後?」
「……そうですか」

1週間程度の休みだから2、3日実家に泊まって寮に戻ってあとは東京で過ごそうかなと思っている。みんなが一緒にお休みだったらランドとかシーとか行きたかったな、なんてことを話す。

「さっきの話ですけど」
「うん?」
「中学の時の話」
「……うん」

のらりくらりと交わしていたがまた蒸し返されるとは。しかも今ここに灰原はいないし、ターゲットを擦りつけることもできない。

「いたんですか?彼氏」

彼氏はいなかった。ただ、そういった類の質問をされて誰一人思い浮かばないわけではなかった。

「彼氏は…いなかったよ」
「彼氏、は?」
「そういう七海はどうなの?彼女の一人や二人いたんじゃないの?」

話題を逸らすためにさっき聞きそびれていたことを聞く。そこまで気になっていたわけじゃないがどちらかというと愛想のないむっつりとした七海にも好きな人くらいいたんじゃないか。ちょうど花火が消えたので次の花火を物色する。

「いませんよ。いたことない」
「えー意外…ではないか。あんまり人に興味なさそうだもんね」

七海は心外だという顔でこちらを一瞥したが、何も言い返さなかった。思い当たることがないわけではないのだろう。


「うわーっはっは!スゲーコレ!!でっけえ火柱!!」

五条先輩の一際はしゃぐ声に視線を向ける。五条先輩と夏油先輩が指と指の間に器用に花火を挟んで一人四本、合計八本の花火にライターで火を点けていた。着火係は灰原だ。
あたりに煙が充満して灰原と先輩たちはシルエットでしか認識できなくなった。

「げほげほっ。調子…ケホッ…乗りすぎ」

思わず咳き込んでしまうほどの煙に立ち上がって酸素を吸い込もうとするが、七海が私の腕を掴んだ。
向き合っている状態から七海の隣に移動させられる。

「こっちが風上です」

 七海の隣にしゃがみ込むと僅かに後ろから風が吹きつけて、こちらが一応風上であることは理解できた。
少し息がしやすくなり、呼吸が落ち着いたところで七海がまた口を開いた。

「彼氏は、いなかった、というと」

なんで七海からこんなに問い詰められなければならないのだろうか。尋問を受けているみたいで居心地が悪くなってきた。

「…別に、気になってた人とか一人や二人、いるでしょ」

この花火は割と長持ちするようだ。なんとなく早く消えてくれと思ってしまう。

「私はいなかったので。」

花火からちらっと顔を上げて七海の様子をうかがうと以外にも真剣そうな眼差しと目が合った。恋という感情に興味でもあるのだろうか。その様子に観念して少しだけ恋バナに付き合ってあげることにした。

「……一個上の先輩がかっこいいなぁーとかそういうのだよ。その先輩の卒業までに告白できなくて高校はその人と同じとこに行けるように!って勉強したりした。……まあ無駄になっちゃったけど」

今考えるとストーカーみたいでちょっと気持ち悪いなと過去の自分に思う。恋は盲目だな。

「……それって結構好きなのでは?」
「そうなのかな?あんまり顔も覚えてないや」

 たしかに追いかけて高校を決めようとしていたくらいだもんな……数年前のことだけど自分の行動力と原動力の幼さにびっくりする。そんな先輩でも今は正直、なんとも思っていない。懐かしい青春の思い出くらいに昇華されている。時間は残酷だ。それに向こうはたぶん私のことを覚えているかも怪しいんじゃないか、と思う。

「その人、今は何してるんですか」
「さぁ?普通の高校生してるんじゃない?」

ようやく、火花が消えた。

「次の花火取ってくる」

七海の燃え滓も引き取って、その場を離れる。
水を張ったバケツにポイっと投げ入れると、シュン…という静かな音がした。

あんなにあった花火の山も、豪快な遊び方をする先輩方によって、残り少なくなってきていた。

「なー硝子、ネズミ花火って何、どんな?」
「やってみなよ。やればわかる」
「悟が火点けなよ。おもしろいよ」
「おう、やるやる」
「僕、写真撮りますよ」
「動画のほうがいいんじゃないか?」
「動画撮ったらちょーだい」

 この人たちには夏の終わり、とかそういう情緒は全くないな。どちらかというと海外のお祭りのようなテンションだ。

花火の山の裾の方にあった線香花火を数本取って七海の元に戻って一応、これから起こるであろう惨事に誘ってみる。

「今から五条先輩がネズミ花火やるよ。見に行く?」

七海は眉間にしわを寄せ、巻き込まれたくないといった様子で首を振った。
七海にも持ってきた線香花火の半分を渡して、残り短くなった蝋燭から慎重に火を点けた。


 小さく火の点いた火の玉を揺らさないように、そーっと静かに育てる。
だんだん大きくなってきてパチパチと静かに弾けだした。なかなかの成長具合に七海の火の玉はどうなっているだろうと、横目でちらりと確認した。まだ火は点いていなかった。
そのまま顔を上げて、七海の様子を窺うと七海の顔は私に向けられていて、ばっちり目が合ってしまった。
どうしたのかと口を開こうとしたとき、七海がこちらを覗き込むように顔を近づけた。

 七海の少し伸びた前髪が私のまつ毛を掠め、思わず目を瞑る。一瞬唇に柔らかいものが触れた。
すぐに離れたそれに、思考が停止する。

「……え」

七海はゆっくりと顔を逸らして顔を正面に向けた。

「……ちゃんと帰ってきてください。待ってますから」

 七海の耳がじんわりと赤くなっているのが目に入り、今起こったことがたぶん私の想像通りで、夢ではないと悟った。
七海の横顔を見ていられなくなって私もゆっくりと顔を線香花火に向けた。火の玉がぼとりと地面に落ちた瞬間だった。少し離れたところから五条先輩の「聞いてねーなんだこれ!!!」という叫び声と先輩たちの引き笑いが聞こえる。

私は今どんな顔をしているのだろう。だんだんと顔が熱を帯びていっている気がする。嫌ではなかった。だけどうまく処理できていない頭で捻り出した言葉は、

「……なんで今?」 と言うあまりにも可愛げのないものだった。

拗ねたよな照れたような様子の七海は正面を向いたまま、
「……昔の思い出に火を点けられると困るので」と小さく呟くように言った。

どういうこと?と七海の行動と今の言葉の意味を考える。頭の中がものすごい速さでシュルシュルと回転している。
兎にも角にも、なんだかここから離れがたくなってしまいもう一本、線香花火に火を点けた。
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