I LOVE YOU


 毎日毎夜の任務に明け暮れて、寝に帰るだけになった家に戻る。高専と任務と自宅のドアツードア。
数年前に特級だった同級生が高専を去って以降、高専は後進を育てるのに躍起になり、私のようにのらりくらりと昇級を躱してきた呪術師にも、半ば無理やり昇級試験と称して自らの手に余る案件が回されるようになった。万年人手不足の呪術界で特級が一人、抜けた穴は大きかった。
 毎日が生きるか死ぬかの戦いで、文字通り命を張って呪霊と向き合っているので家に帰ったらシャワーもせずに服を脱ぎ散らかしてベッドに倒れこむのもざらだった。
今日も今日とて、食うか食われるかの戦いに疲れきった心身を少しでも休めるために、帰宅して数分後にはベッドに潜り込んだ。


 ピーンポーンというインターフォンの間抜けな音が耳に届いた。夢現で空耳かと思い、一度は無視を決めた。
しばらくするともう一度、ピーンポーンという音が鳴った。誰だ私の睡眠を邪魔する奴は。と思いながらスマホに手を伸ばすと画面には2:03と表示された。

 私の家を知っている人は同期や補助監督二、三人程度しかいないし、宅配便だってこんな夜中には届かない。あの白髪非常識野郎だったら許さないと思いベッドサイドの灯りを点けて、インターフォンのモニターを確認した。そこに映ったのは想像もしていなかった人物だった。

 出るか出まいか。そもそもなんでこいつは私の家を知っているんだ。モニター前で数秒固まっていると、三度目のインターフォンが鳴った。
さすがに他の住人に迷惑をかけると思い、仕方なくエントランスの鍵を開け、久しく着ていなかった部屋着のワンピースを頭からかぶって玄関へと足を向けた。

「やぁ」
「……いろいろと言いたい事はあるけれど、こんな時間に何度もインターフォン鳴らさないでくれる?不審者」
「ごめんごめん。携帯持ってなくて。」
「……ハァ。廊下で話すと響くから、とりあえず中入ったら」
「……入れてくれるんだ」
「三回もピンポン鳴らされて目が覚めちゃったわよ」

ロックチェーンを外し扉を大きく広げて頭で中に入れという仕草をした。
本当に寝るだけしか家に帰ってない、ダブルサイズのベッドとテーブルと一脚の椅子しか置いてない殺風景すぎる部屋へと続く廊下を袈裟を着た夏油が無遠慮に進んでいく。
それを目で追いながら廊下に脱ぎ散らかした服を拾い集めて後に続いた。


 夏油はぶしつけな視線を隠す事なくグルリと部屋を見渡し、何もないね。と笑った。

「なまえは今も呪術師やってるの?」
「……まぁ」
「私、捕まえなくていいの?」
「……今は仕事じゃなくプライベートな時間だから」
「詭弁だね」
「そもそも、私があんたと一対一で戦って勝てるわけないじゃん。特級呪詛師。」
「わかってるじゃないか。君はまだニ級とかその辺かい?」
「今一級審査中よ」
「……へぇ」

 夏油は一瞬、面を食らった表情を浮かべたが、すぐに口角を上げてベッドにドカっと腰掛けた。

「勝手にベッドに座らないで」
「潔癖じゃないだろ。そもそもこの部屋のどこに座れって言うのさ」

ベッドに腰かけたまま自分の隣をポンポンと叩いて座れと示してくる。
言われるがままにするのは癪に触るから、我が物顔で腰掛け軽薄な笑みを浮かべるこの男の目前に仁王立ちで見下ろした。

コイツはこういう、人のパーソナルスペースに気づくと溶け込むところがある。油断も隙もあったもんじゃない。

「一級審査中に特級呪詛師と会ってただなんて知られたら君、立場ないんじゃない?」
「あんたが勝手に来たんでしょ。ていうかなんで私の家知ってるのよ」
「街で見覚えのある残穢を見つけたから追ってきただけだよ。」
「残穢って……」

気づかなかった。
いくら疲労困憊といえどもコイツの気配も感じ取れないなんて、自分はまだまだ夏油の格下なんだと認識させられる。

「……で、何の用件でこんな時間に来たのよ」
「眠れなくて」
「は?」
「添い寝してよ。なまえ」

そう言うが早いか、夏油は私の腰に腕を回し抱き寄せ、そのままベッドに倒れ込んだ。

「……ちょっと!危ないでしょ」
「静かに。お隣さんに迷惑なんでしょ」

ベッドに無理やり引きずり込まれた上に、完全に夏油のペースに巻き込まれた。

「何もしないからさ」

トントンとあやされるように背中を優しく叩かれる。

「もう散々何かしてるでしょうが」


 大の大人が二人、しかも片方が規格外にタッパがあるせいか、ダブルベッドのくせになかなか窮屈である。しかも腰をがっちりホールドされてお腹のあたりに顔を埋められていては身動きが取れない。

ハァと盛大な溜息が出る。私はなぜ貴重な睡眠時間をコイツとの無駄話に割いているのだ。

「私明日も忙しいんだけど」
「うん。疲れてるだろ?だから寝よう」
「だ・か・ら、離してよ」
「まあまあ。抱き枕だと思ってさ」

抱きつかれてるのはこっちなんだけど…。と思いながら、抵抗するのも馬鹿馬鹿しくなってきて、されるがままの状態で放置した。
 
 腰周りに夏油の腕の重さを感じつつも、ベッドに体を預けるとやはり連日の疲れが抜けていないのか瞼が重くなる。夏油もいつのまにか静かになり、本当に寝てしまうかもしれないと、手を伸ばしベッドサイドの灯りを消した。

月も出ていない丑三つ時の街は静かで、暗く深い夜だった。

「……いつまで呪術師、続ける気?」

真っ暗な闇の中、独り言のように夏油が呟いた。

「…寝てなかったの」
「ねぇ。いつまで?」

いつまで…か。考えたこともなかった。呪術師は殉職がほとんどだし、呪霊は降って湧いてくるし辞め時なんてものはない。私生活も急な任務で忙殺されるし、呪術界は腐りきっていると思ってはいるけれど、呪術師の家柄ではない私にはなす術もない。改めて、なんでこんな仕事続けてるんだと思う。

「私はこれ以上、君を消耗させたくないよ」

 夏油は優しかった。呪術師、非呪術師、分け隔てなくどんな人にも手を差し伸べた。それは持たざる者への施しのように見えた。しかし、救える人間には限りがある。呪術師の犠牲の上に成り立っている大多数の幸せに、彼は疑問を抱いてしまった。
 非呪術者を皆殺しにして、呪術界から逃げたくせに、呪術師のための理想郷を創ろうとしている夏油はやはり、自らの犠牲の上に成り立っていることに気付いているはずだ。
そんなにも、全てを、抱え込まなくてもいいのに。

「……一緒に来いとは言わないじゃない」


「……言えないよ」


夏油の声は先程までの傲慢な形は潜めて、静かに闇に溶けていった。
自分の道が一〇〇パーセント正しいとは思えてないんだろう。それもまた彼の優しさであり弱さだ。
 自らを天涯孤独の身に落とし、誰かに頼る事を切り捨てた彼だからこそ、こうして摩耗して、切り捨てきれなかった弱さに縋る。

「……もし、私が傑に着いていくって言ったら…、私も両親を殺さなきゃいけない?」


夏油は答えなかった。代わりにギュッと腕の力が強まった。

 しばらくすると夏油の静かな寝息が聞こえてきた。
玄関の戸を開けた時の彼は、記憶にあった彼より幾分か痩せていた。顔には隠しきれない疲れが浮かんでおり、彼が「眠れない。」と言ったのは嘘ではないとわかっていた。

 遠くの方で救急車のサイレンが聞こえる。
真夜中は遠くの音までよく響く。夜が明けたら私達は呪術師と呪詛師だ。せめて今だけは。この静かな偽りの安寧を邪魔されたくない。そう思い、夏油の耳を掌でそっと塞いだ。

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