迂闊なバレンタイン


 バレンタインが近づいている。街は心なしか少し浮き足立っていて、テレビやSNSでは今年もチョコレートの話題で持ちきりだ。今時は本命チョコや義理チョコよりも自分チョコが多いらしい。
【自分のために高いチョコレートを買う】
 毎日明け方まで呪霊を払って、まとまった休みも取れず、貯まっていく一方の預金残高をここに注いでみるのも悪くないだろうと思い、百貨店で行われるお祭り騒ぎのバレンタイン商戦に馳せ参じた。

 人集りに圧倒されながらも一通りのお店を巡り、目ぼしいものを適当に買った。そろそろ引き上げるかと思っていた時、ふとそれは目に留まった。見た目はチョコレートというよりは宝石のようで、綺麗なエメラルド色が印象的だった。
 思わず立ち止まってしまうと店員さんが丁寧にチョコレートの説明をしてくれる。華やかな見た目のチョコレートには隠し味に柚子胡椒を使用しているそうで、日本酒とのペアリングもおすすめだという。

 その特徴に一瞬頭の中で誰かがよぎった気がしたが、スマホからの着信音で意識が逸れた。電話は補助監督からの緊急招集だった。せっかく説明してくれた店員さんにも悪いなと思い、
「それください。」と、とりあえずエメラルド色のチョコレートを購入しバレンタイン商戦を離脱した。

 両腕にチョコレートの入った紙袋を引っ提げながら、百貨店の最上階の催事場からエスカレーターで降りていき1階の入り口に着く頃には迎えの車が着いていた。

 迎えに来た補助監督は私の姿を見つけ後ろのトランクを開けてくれた。
「すげー量っすね。バレンタインのチョコっすか?」
「そう。目につくもの片っ端から買ってきた。」
「それ全部自分で食べるんすか?太りますよ?」
「うるさいよ。現場遠いんでしょ?早く行くよ。」

 案件はそんなに難しいものではなかったが、いかんせん呪霊の量が多く、全ての呪霊を祓い終わり、帳が上がった時には東の空が微かに白んできていた。
 疲れで重くなった体を引きずりながら車に戻り、明け方の高速道路を走る車の中で私は吸い込まれるように眠りについた。

 車中の睡眠が思っていたより深かったのか自宅に着いたことに気がつかず、補助監督に揺さぶり起こされるまで起きることはなかった。

 開けられた車のトランクを見て改めてすごい量を買ったなと思った。たしかにこれを一人で食べるのはただでさえ美容にいいとは言い難い不規則な生活をしている私にトドメを刺すことのような気がして、罪悪感が湧いた。場の空気に飲まれ思いの外買いすぎたチョコレートを前にどうするか数秒考えたが、そうだと思い立った。
 報告書を書きがてら高専にチョコレートを差し入れよう。甘いもの好きの五条さんや、高専の女子にはきっと喜んでもらえるはず。自宅で仮眠を取りシャワーをして軽く化粧をした後、高専に向かった。

 ちょうどランチタイムの時間だったのか事務室には誰もいなかった。事務室の中央に置いてあるテーブルに買ってきたチョコレートをドサっと置く。手近にあったポストイットに「皆さんでどうぞ」と書きつけテーブルに貼っておく。

 誰もいない静かな事務室で報告書を作っているとガチャリと扉が開き七海さんが入ってきた。
「七海さん。お疲れ様です。」
「お疲れ様です。任務終わりですか?」
「はい、明け方まで任務で。今報告書を書いてるところです。」
「そうですか。」
 七海さんはそれだけ言うとコーヒーを入れに部屋の奥に引っ込んだ。

 七海さんとは同僚として高専で会えば挨拶やこうした世間話をするくらいの仲であるが、実は私は彼に片思いをしている。
 だけど彼とどうこうなりたいという気はさらさらなくて、同僚という一線を超えないように、自分の気持ちが外に現れないように、努めて冷静を心がけ対応している。もし彼を狙ってる呪術界の女の戦いに飛び込んでも、私の恋愛経験値では太刀打ちできないだろう。
 同僚という立場に甘んじてこの眉目秀麗と世間話ができるなんて贅沢だなぁとさえ思っている。

 あー。七海さんに会えるんだったらもうちょっとマシな状態で会いたかったなー。メイクも今日は適当だし…。
 そう思いながらも、少し会話ができたことに満足しながら報告書に向かってると、しばらくしてデスクの上にコーヒーが置かれた。
パソコンから目線を上げると
「ついでですので。」とコーヒーを片手にソファへ向かう七海さんの後ろ姿が見えた。
「あ、ありがとうございます。あ、よかったらそこにあるチョコレート食べてください!昨日買いすぎちゃって…甘いの苦手じゃなかったら。」
「そうですか。では少しいただきます。」

 思いがけず、想い人にコーヒーを淹れてもらえて、更にチョコレートを渡すことができて(そんなロマンチックなものではないが)、昨日頑張ったご褒美だ〜と思いながら、七海さんが入れてくれたコーヒーを啜る。
 テーブルの上に置かれたたくさんのチョコレートを吟味している七海をチラリと盗み見て、やっぱり好きだなぁ…とこういう些細なことで好きが更新されていく自分に小さく苦笑した。

 七海がぽそりと
「美味しいですね。コレ。見た目も目を引いて。」と呟いた。
「あ、それ!綺麗ですよね、エメラルドみたいで。」
「なんだか少しスパイスのような味もする気が…」
「そうなんです、柚子胡椒が入ってるみたいで!見た目とのギャップがいいですよね。中身は和でピリッとしてるけど爽やかで。
なんか七海さんみたいだなと思って買っちゃったんですよね〜」
「……私…ですか?」ピクッと七海の眉間が微かに寄った。

 ん?私は今何を口走った?
パソコンに視線を戻しながら今の会話を思い出す。
…七海さんみたいだな?
 じわじわと首から上がどんどん熱くなっていくのがわかる。

 やってしまった。……ただの同僚からのチョコレートが意味を持って渡したようになってしまった。
 ずっと隠していたのに。この気持ちを気取られたらどうしよう。距離を空けられたら嫌だ。たまに世間話するくらいの関係性が心地よかったのに、図らずとも意味深な言葉を口走った自分が憎い。
 自己嫌悪でぐるぐる頭が回りだした。

 気まずい。誰かこの空気を何とかしてくれ!と思ったが、誰も事務室に戻ってくる気配はない。
 とにかく、いち早くこの場から立ち去らねば!と残りの報告書を凄まじいスピードで仕上げ、
「では!私はこれで!失礼します!!」
と逃げるように事務室を後にした。


一人事務室に残された七海は先程、七海さんみたいと言われたチョコレートと対峙していた。
今の言葉はどういう…?と考えていると廊下から賑やかな声が聞こえてきた。事務室の扉が開き、五条と伊地知が入ってきた。

「おー!七海じゃん。お疲れサマンサ〜!」
「お疲れ様です。」
「お疲れ様です、七海さん。」
「伊地知君も。五条さんのお相手ご苦労様です。」
 いつも通りのテンションの五条と若干やつれた顔をした伊地知への挨拶もそこそこに、五条はさっそくテーブルの上の紙袋の山に気がついたようだった。

「おお!?なんだコレ、チョコレートかぁ!すげえ量!」
「結構高級なチョコレートですね。誰が置いてくださったんでしょう。」
「ああ、先ほどまでみょうじさんがいたんですよ。買いすぎたからよかったら…と。」
「なるほどね〜色気のない置き方だな〜!ま、ありがたく頂いちゃうけど。」

 五条はガサゴソとチョコレートの山を物色し始めたので七海はコーヒーのおかわりを入れるために席をたった。
 両手にコーヒーを持ってソファに戻ってきた七海は片方を伊地知に渡す。伊地知は「あ、すみません!」と恐縮そうに受け取り、七海は先程の後輩にしたように、「いいえ。ついでですので。」と返す。

 一息ついた伊地知がテーブルの上に開けておいたエメラルド色のチョコレートに目をやる。
「このチョコレート、綺麗ですね。」
「七海の目と一緒じゃん、色。」
 五条がナッツの入ったチョコレートをモシャモシャと口に入れながら会話に入ってくる。

「言われてみればそうですね。七海さんの瞳も緑がかってますもんね。」
「もう、意識しちゃって〜七海のこと。ねえそのチョコ一個ちょうだいよ。どんな味か気になるわ」
と五条が手を伸ばした瞬間にチョコの入った小箱ごとスッと七海の手に収まる。

「ダメです。コレは私のですので。」

 後日、補助監督に就いてくれた伊地知さんにチョコレートのお礼と私があの日、逃げるように去った後の話を聞かされて、恥ずかしさで車中で悶絶し、これは七海さんとしばらく顔を合わせられそうにないな…と思った。

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