2.センキュー,ミスター


 
 最推し君がいつもの3分の1の距離にいること以外はいつもと変わらない授業風景だった。しかしさすがにこの距離で90分間観察するのは憚られたので、真面目くさった顔で授業を聞く。ぼそぼそと話すおじいちゃん先生の声は相変わらず睡魔を誘うが、万が一居眠りをしている姿を見られていたらと思うと恥ずかしくてもう授業には出られない。今日はちゃんと真面目に授業を聞くぞと意気込んだ。


 今日の文化人類学の授業は日本の土地神信仰の話だった。土地神といわれるとピンとこなかったがざっくりいうと家の近所の神社、氏神様のことだった。七五三にお参りしたなーとか、初詣で行くとこだなーとか、そういえば次の帰省はいつにしようかなーなんて考えていると授業終了のチャイムが鳴った。あ、やば全然真面目に授業聞いてない。と急いでリアクションペーパーを書き終えると、また斜め前に座る彼がくるりと振り向いて手を出してきた。

「出しときますよ、リアクションペーパー。」

 また話しかけられたことに一瞬心が浮ついたが、ふと我に返る。
この薄っぺらい感想しか書いてないのを見られてしまっていいのか?と手渡すのを躊躇してしまう。
 彼は「?」と首を傾げたが手を引っ込めず待ってくれているので、いやいやここで断るのも変か。と思いせめてもの抵抗で裏向けにして「お願いします。」と渡した。


 二人分のリアクションペーパーを持って席を立った彼を、やっぱり背が高いなぁ……。と見惚れてしまう。あ、そうだ。アンダーソン先生の連絡先聞かれてたんだった。
 急いで、ルーズリーフにアンダーソン先生のメールアドレスと研究室の場所を書き、提出を終えて戻ってきた彼に、ルーズリーフを手渡した。

「はい、これ。アンダーソン先生の連絡先です。研究室も一応書いておいたけど、あんまり部屋にはいらっしゃらないかも……。」
「ありがとうございます。助かりました。」

 ペコっと少し頭を下げられながらお礼を言う彼に、お辞儀なんてなかなか日本文化に造詣が深い人だなと思う。
 いえいえ、こちらこそいつも観察させていただきありがとうございます。とは言わなかったがつられて私もぺこりと頭を下げた。
 彼との会話はそれきりだと思っていたのだが、次の週の授業が始まる前に彼は律儀に先日のお礼を述べてくれた。
 

 今学期の最推しこと、彼の名前は七海建人君。てっきり外国人留学生と思っていたが、実際はクォーターで生まれも育ちも日本だった。ちなみに今学期から経済学部に編入したらしい。
 編入したばかりだったから学内のシステムに慣れていないのか。だから私に先生の連絡先なんて聞いてきたんだな。と納得する。理由はともあれ、最推しの彼の名前も知ることができて、あまつさえ雑談を交わす関係になれるなんて。アンダーソン先生ありがとうございます。と先生の研究室棟のある方角に向かって手を合わせた。


 そこから大学内ですれ違えば「おはよう」と挨拶をする仲になり、授業前の数分間だが私は七海君と話すようになった。最近読んだ本やアンダーソン先生の授業はおもしろいだとか、誰にでも丁寧な言葉遣いで話すとか、そんな些細なことだったが授業に出席する度、彼の事を少しずつ知れていくことが嬉しかった。


「そういえば七海君は経済学部なのに、どうしてこの授業を取ったの?」

恒例となったいつもの雑談タイムに私はずっと気になっていたことを聞いた。
 この授業は確かに全学部オープンの一般教養科目だが、かなり人文向けの科目だ。私のような文学部ならまだしも、経済学部の人でこんなにまじめに授業を受けている人は七海君以外、他にいないんじゃないかと思う。

「馴染みがあったから……でしょうか。」

 七海君は少し遠くに目をやって、一言ぽそりと言った。
 中身は完全に日本人だが見た目がそれらしくない彼が日本の風習や信仰を取り扱う授業に馴染みがあるといったことがなんだかおかしく、私はふふっと笑いをこぼした。

「どっちかっていうとクリスチャンっぽいのに。」
「見た目でモノを言わないでください。貴方こそ、ほとんどの人が寝ている授業なのによく起きていられますね。」

 痛いとこを突かれたが、あなたを観察していたからですとは到底言えず、またふふふと笑ってごまかした。

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