♪ゆず/レストラン


東京という町があまり好きじゃなかった。
一日に何百人何千人とすれ違う日常の中で、一切他人に関心を持たず冷たい心で生きている人たち。
昔は咲くことで春の訪れを感じた梅や桜。今となってはまったく見ない。季節など関係なく同じ毎日を繰り返している。


「ゆかり、久しぶりなのね。」

『…樹っちゃん。』


上京して数年。共に迎える4年目の春。
出会いはすでにおぼろげだが、ここで一番信頼できる人。

『久しぶりっていっても2週間くらいじゃない。』

「2週間は十分長いのね。」

『…そうだね。今から時間ある?ご飯とか一緒にどうかな。』

地下に続く小洒落たレストラン。
彼が教えてくれたここは、すっかりわたしのお気に入りになった。
わたしより後に上京してきて、わたしより田舎から来たのに彼からは教わることでいっぱいだった。主に海のことばかりだったけれど。

馴染みの店で馴染みのメニュー、いつも頼むものは同じ。


『最近どうかな。うまくやってる?』

「…あんまりなのね。」

『そうかぁ。』

上京したての頃は、若かったというものもあるけれど明るい顔をしていた。しかし目の前にある顔は明るいというより暗いという顔。きっとそれはわたしも一緒だろう。
それをお互いに老けたといって笑いあう。その顔もあまり明るくなかった。

彼に聞いた昔話、それは楽しそうに話していた。"いつか会わせてあげたいのね"会うたびに言われた。けれど今は辛そうに、懐かしそうに話す。"今は俺が会いたいのね"って切なそうに話す。
2週間前に会ったとき、自虐的に言っていた。

「俺、千葉に帰ることにした。家の手伝いをするのね。」

『…そう、か。寂しくなるなぁ。』

「ゆかりは、どうするのね?」

今荷物をまとめている、と彼は言っていた。忙しいからとその日はもう別れた。


スクランブル交差点の人ごみの中。
ぶつかっても何もない。それにも、もう慣れてしまった。

"わたしも連れてって"、そう言いたかった。

けれどいつからわたしたちの心は、この人ごみのようにまぎれてはぐれ、消されていった。

気がついた時には夜が明け始めていた。
渋谷は先ほどまで人ごみだった気がしたのに、今は誰もいない。


駅のホーム、始発の電車を待つ。
ふと流れ出した泪、動き出した山手線。
倒れこむようにシートに座り、いつのまにか眠っていた。

見た夢はあの頃、出会ったばかりの優しい笑顔の彼だった。




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