間違いだとしても
「あ、クザンさん!お久しぶりですー」
.........誰だっけか。
随分と濃い化粧でくねくね歩いて来るオンナ。お久しぶりと言ってるがおれの記憶にこの顔は存在しない。
「最近、お誘いないからつまんないってみーんな言ってますよー?」
.........あァ、その辺でナンパしたヤツか。
ああいう職場だとストレス溜まってイライラするから誰彼構わず声掛けて遊んでた時があって...その時の一人に過ぎないオンナ。だから記憶してなかったに近い。すっごく申し訳ないけど何処にでもいんのよ、キミみたいな子。
「今日とか暇ですかー?」
「え?」
「飲みに行きません?」
勿論、その後もお付き合いしますよ、と小声で囁き笑うオンナに吐き気がした。
「.........悪ィ。それどころじゃねェから」
そう、それどころじゃない。そんな面白くもねェ遊びに付き合ってる暇はない。
いくら暇でも時間を持て余していたとしても...そういう暇はないんだ。おれの後ろで多分、特に表情を変えることなく傍観しているであろう彼女。刻まれて消えない、消えて欲しくない...彼女の所為だ。
「.........いいんですか?」
「ん?何が?」
「圧倒的に冷たかったですよ。たまにはお付き合いも大事だと思うんですが」
そのことに欠片も気付いてないベレッタがおれよか気にした顔で見上げて来た。
どう見ても一度で運べそうもない書類を抱えて廊下に出ようとしていたベレッタの手伝いをするために部屋を出てみりゃコレだ。運が悪い。別にオンナ遊びをしてたことを隠すつもりはねェけど、今もそうなのかなんて思われんのはまァ嫌なもんで。
「いいんだ。本当にそれどころじゃねェから」
「と、言いますと?」
「近々、おっかないのがこの施設を闊歩することになる。警戒態勢を取る必要があるんだ」
.........とは言っても、ヤツらが動ける範囲は決められていてそれなりのヤツらを警備に置くことは決まっているんだが。
適当に話を交わすためにそれを持ち上げたが、よくよく考えれば彼女にだって警戒心は持たせなければいけないことにふと気付く。よくも悪くも彼女は真っ白な存在で、そういう輩が居ることを知らない。そういう輩をわざわざ生かして愚行を許していることも、知らない。
「此処に?おっかないの、ですか?」
「そうだ。この海軍にも...イイヤツと悪いヤツはいる。気を付けるんだ、いいね?」
何も、知らない。それを分かっててきちんと教えてやらない。
そう、この海軍において本当は口を閉ざしているおれらの方が悪いヤツなのかもしれない。
「了解しました」
「.........ほんと、餌とかに釣られないようにね」
「つ、釣られませんよ!私、これでもそういうの敏感ですよ!?」
「それは嘘。ベレッタの周囲、もうすでに悪いヤツだらけかもよ?」
おれみたいに、
本音を隠してただただ優しく監視してるだけのヤツもいる。面倒な監視だと思ってたのに...今となっては真逆のことを考えながら接してるヤツも、いる。
「少なくとも、私に優しくして下さる方に悪い人はいません」
「そう?その考え甘いんじゃない?」
「そうですか?それでも私はそう認識します。それで何かあっても自己責任です」
.........あァ、そういう"世界"で生きた人間ってのは此処の連中より馬鹿正直な生き物なのかもしれない。
微笑んで真っ直ぐにおれを見てそう答えるベレッタに目を背けたくなるほど負い目を感じる。おれは、そんなにイイヤツじゃないんだ。
「あー...まァ、とりあえず気を付けることだ」
「分かりました」
そんな笑顔振り撒いて...本当に分かってるんだろうか。
「少しでも危ない人が居たら一目散にクザンさんのところまで行きますね」
.........ヤバイ、吐き気がする。
ベレッタに対してじゃない。素直に生きる真っ直ぐなベレッタを目の前にどうしようもないことを考える俺自身に、だ。
半ば信じちゃいねェが少なくとも彼女は"何処かへ帰る身"だ。帰り方を忘れた迷子を親元へ返したくない、なんざ間違った考えで...いつかが来れば帰っていく。その時がくれば目の前から居なくなる。それを何となくでも頭の中に入れてるはずなのに...
「.........クザンさん?」
「.........何でもない。まァ、おれが相手ならヤツらも引く。その時は走り込んで来い」
「了解しました!」
考えたくない。想像もしたくない。目も、向けられない。
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